校長先生の日記
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最新の絵日記ダイジェスト
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2005/11/13(日) 開校10年記念・閉校式典挙行
 本日は足下の大変悪い中、北海道教育庁 空知教育局 局長 吉井 亮 様、北海道議会議員 稲津 久 様をはじめ多数のご来賓のご隣席をいただき、本校の開校十年記念並びに閉校の式典を挙行できますことに心から厚くお礼を申し上げます。ついこの間まで、例年になく暖かい秋の深まりの中、色鮮やかな大パノラマが心を和ませてくれました。しかし今、この北の大地の全ての生命は、明日へのエネルギーを蓄えるかように、冬の厳しさに向かい静かに純白のベールに身を包もうとしています。 
 本校の校歌に、「たけく鍛えて身を健やかに いそしむ道の果て限りなし ああわれら仰ぐ理想の責任の勤め正しき人と育たむ」とあります。明治三十三年の開墾以来、昭和十九年からの農業地から産炭地への変貌の中、この故郷、西芦別・頼城の先人たちは、子弟教育への熱い願いをもって、ついに昭和二十二年、頼城中学校と西芦別中学校を開校させました。その後、西芦別・頼城は、炭鉱最盛期の中枢を担う発展を遂げ、両校の卒業生は一万五千名にも及びます。しかし、昭和三十年頃からのエネルギー転換政策により、石炭産業の斜陽化は加速、最後まで残った三井石炭鉱業所も平成四年にはその歴史を閉じることとなりました。平成八年には、頼城中学校と西芦別中学校の両校が統合し、全校生徒五十名で新生西芦別中学校として第二の出発をすることとなりました。当時は、地域振興や企業誘致政策により生徒数の増加を期待しての出発であったと聞いておりますが、その後の生徒数減少には歯止めはかからず、統合十年の節目を迎えた今年度、本校は閉校という苦渋の選択をすることになりました。誠に哀惜の感、尽きないものがあります。
 校歌の一番には、「自主の教えの鐘高鳴れば ああ我ら胸に血湧きて人の世の真実窮めむ願い尽きせず」とあります。本校はこれまで、校訓「自主・協同・責任・礼儀」のもと、「信頼の絆と愛情あふれる教育」を基盤に、「自分の可能性を伸ばしながら学校生活をより豊かに楽しくしていく力や、自分を磨きながら人と支えあって生きる力」を生徒に育む「楽しさと活気に満ち溢れる学校」創りを目指し、地域・保護者と共に手を携えて教育にあたってきました。全教職員の熱心な指導と地域・保護者の力強いご支援のもと、何ごとにも努力を惜しまず、一生懸命頑張ることができる生徒が育まれてきました。本校の素晴しい伝統ある合唱活動に代表される、様々な活動や感動体験を通して、生徒一人ひとりが、音符一つ一つに素直な気持ちを込め互いの心を紡ぎあう、まるでオーケストラのように、人と人とが支え合うやさしさを奏でてきました。閉校と未来に向けた思いは、先程ご覧いただいた「演劇や共同制作、閉校の歌」にしっかりと託されました。今後は、本校最後の在校生が、西中の歴史と伝統・文化を継承する核となり、誇らしく逞しく邁進することを期待するとともに、西芦別中学校の伝統・校風が啓成中学校に永遠に継承されていくものと確信いたします。最後になりましたが、北海道教育委員会、芦別市、芦別市教育委員会をはじめとする関係各位、閉校にあたってご苦労いただいた前PTA菅原会長や、閉校事業にご尽力いただいた大野PTA会長を中心とするPTAの役員そして会員の皆様、さらに、これまで本校教育に数々のご支援ご協力をいただいた歴代のPTA・旧職員・地域・関係各位に、深甚なる敬意と感謝を申し上げ、開校十年・閉校にあたってのお礼のご挨拶と致します。 平成17年11月13日 芦別市立西芦別中学校長 御法川慎 司


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