着道楽日記
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2006/05/14(日) 一周忌。
今日は大好きだったおじいちゃんの一周忌の法要があった。

和尚さんの法話のなかで、法事っていうのは、亡くなった人や先祖との繋がりを考えたり、生きるっていうことの意味を考える機会なんだよ、って意味合いのお話があって、
確かにそうだなあと深く心に染みた。

今の和尚さんのお父さんもこのお正月に亡くなったばかりで、その方はうちのおじいちゃんと親しかったので、今頃ふたりで天国で酒でも酌み交わしているんじゃないかなんて話をしていて、ほんとにそうだといいなあって思った。

なんか、仏教の宗派によっては死後の世界っていうのがありえなくて、死んだら終わり、みたいな考えのところもあるらしいんだけど、
そんな宗派じゃなくてよかったな。

そんな宗派だったら、納得できなかったよきっと。


自分で信仰を持っているわけじゃない私は、
結局宗教は自分の心しか救えないんだと思っている。
だから奇跡を起こしたとか病気を治したとかいう類のことは、
その宗教を信じさせるために後から作られたものじゃないかって思ったり。
この前までちょっと聖書なんて読んだりしてたんだけど、なんかそんな感じの匂いととっても感じちゃって。

信じて心の支えにすることによって人が救われるってことはあると思う。
信じることによって生きる力が湧き、その結果体の免疫力が高まって病気が治っちゃうとかってこともあると思う。

すべては心の中の問題で、救いは自らの心の中にしか無いんだと思うんだなあ。

「供養」も、亡くなった人のために尽くすこと、亡くなっても覚えていますよとか、亡くなった後もこれだけのことをあなたのためにしているのですよ、と思うことによって、自分の心を軽くするためのもののように思ったりしている。

全く自分がそのような気持ちになってしまうからそう思うのかもしれないのだけど。

おじいちゃんが私に与えてくれたものに何のお返しも出来ないまま死なせてしまった、と思う気持ちが強くて、亡くなってからずっと、死んでしまったおじいちゃんに対していったい自分は何をできるんだろう?と考えて行動した一年だった。

時々、こんなことしててもおじいちゃんはホントに喜んでくれるのかなとか、生きているうちに何でもって色々できなかったんだろう?って思って、泣けて泣けて仕方ないときもあった。

まだ一年。
多分もう暫くは、おじいちゃんのことを思うと泣けてきちゃうんだろうなあ。


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