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2005/08/29(月)
過ちは繰り返「させ」ませんから。
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涙そうそうプロジェクト・ドラマ特別企画 「広島・昭和20年8月6日〜その一瞬まで夢に生きた美しくもせつない三姉妹20日間の物語!あの“さとうきび畑の唄”のスタッフが“原爆”を描く!」 ・・・ってのを見た。 姉妹たちの話は良かったよ。 一生懸命毎日を生きていた人たちの、ささやかな幸せを奪った原爆の悲惨さは、軽々しく口に出せるようなものではないと思う。
けどなあ。 あまりにも日本の軍人が酷い存在として書かれすぎている気がするし、弟の志願が軍事教練の兵隊による強制だったとして描かれていたり、またこの手の取り上げ方なのか・・・とちょっとガッカリはした。
戦争は嫌だと、叫ぶだけですべてが丸く収まるのだろうか? アメリカとの戦争を、日本は望んではいなかったのに。 アメリカから巧妙に開戦を仕向けられ、やむを得ず日本は戦うことになったのに。 明日、石油の輸入が禁止されたとしたら、日本はそれも仕方がないと言って受け入れるというのだろうか?
広島の墓碑銘。 「安らかに眠ってください。二度と過ちは繰り返しませんから。」 過ちを犯したのは誰? 原爆を落としたのは誰? 「過ちは繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」ではないのか。 日本の降伏に向けた動きを察知していながら、日本が原爆投下前に降伏してしまっては、原爆の実験ができない、ソ連に対して戦後の優位性を示すことができない、そのために原爆の投下を急いだのは誰なのか。 原爆は戦争を早く終わらせるために必要だった、と原爆を投下したエノラゲイのパイロットは言っているらしいけれど、だったら広島だけで十分だったはず。 降伏を促すための示威好意だったと正当性を主張するならば、僅か3日後に長崎に再度原爆を落とさなければらなかった必要性を示して欲しい。
広島にはウラン型。長崎にはプルトニウム型。 結局違った2つのタイプの実験をしたかっただけにしか思えない。
過ちは繰り返さない、ではなく、繰り返させない。 そのために一体日本人は何をしているだろう? 何ができるのだろう? それを考えることこそ、本当の慰霊になるのではないだろうか。
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