着道楽日記
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2005/07/05(火) 想い。
今日はおじいちゃんの四十九日。
和尚さんの話だと、今日を堺に、おじいちゃんは御本尊の大日如来さまのところへといってしまうのだという。
きっとそこにはひいおじいちゃん・ひいおばあちゃん・大叔父さんたちもいるだろうから、さみしくないよね。
私はまだやっぱり凄くさみしいけど、元気なおじいちゃんに還って、天国でみんなで楽しく過ごしてるんだろうなって思えば、悲しみも薄らいでいくような気がするよ。
今は幸せなんだよね?
いつでもおじいちゃんたちが天国で幸せでいますようにって祈ってるからね。

四十九日でおじいちゃんの兄弟たちが集まったので、特攻隊員だった大叔父さんに話を聞いてみた。
震洋特攻隊員だった大叔父さん。
第19期乙種飛行予科練習生として土浦海軍航空隊に入ったのは昭和17年12月。その後三重の海軍航空隊(鈴鹿?)に異動、そこで特攻隊員に志願し、震洋の搭乗員として川棚、大村湾で訓練。その後、本土決戦のための震洋隊として伊豆に配備され、そこで終戦を迎えたそう。
私が図書館で借りた元震洋搭乗員の方が書いた記録の本を見せて、今こうゆう本を読んでいるんです、といって話を聞いたら、凄く喜んでいっぱい話を聞かせてくれた。
弟も戦争には興味があるらしく、二人で色々聞くことができた。
話し始めると話題は尽きない。
予科練に志願したときの話。予科練での話。特攻隊に志願したときの話。震洋の訓練の話。
本を読んである程度予習(?)をしてから聞いてよかった。
色々質問することもできたし。
とはいえ、マルロク兵器=回天をマルハチじゃないか?とか言ってしまうような駄目ダメな私だけど…(ちょっと自己嫌悪)
話をする大叔父さんは嬉しそうだった。穏やかなひとで、自分から進んで戦争の話なんてしたことは無いけれど、やっぱり聞いてくれる人がいるのは嬉しいのかな、と思う。
ほかに用事があって帰らなくちゃいけないのに、なかなか話が止まらなくて、最後まで名残惜しそうにしていた。
また会えたら、きっと沢山話を聴かせてもらえるだろうな。それまでにもっと色々調べてみよう。
予科練の期別や配備された場所もわかったことだし。
そういった記録は殆ど持っていないっていってたから、なんかいい本とか見つけたらプレゼントしようかな。

戦争のことを知りたいなら、一度沖縄には行ったほうがいいよ、と叔父さん(母の弟)が言うので、まずは靖国神社に行きたいな、と行ったら、おじいちゃんの一番末の妹である大叔母さんに、靖国神社って一般の人でも普通に行って参拝できるのかしら、なんて聞かれた。
そうかー。そんな風に特別に思っている人もいるんだなあって思った。
公式参拝だなんだかんだって騒いでいるから、敷居の高い特別な場所だと思っている人も多いんだろうか。もしかして。
そんな風に聞くってことは、大叔母さんは靖国には行ったことがないんだろうなあ。自分のお兄さんが祭られている場所なのに。
やっぱり今のところ身軽な(笑)私が行ってきて、資料なんかも色々貰ってきて、どんなところだか話せるようになろう。
おじいちゃんを迎え入れたお仏壇の中に、遺影とは別の戦死した大叔父さんの写真が納められているのを見つけた。
遺影のちょっとかしこまった写真とは少し様子が変わって、白い水兵服の大叔父さんは、軽く微笑みを含んだような優しい顔をしていた。
遺影の写真よりも親しみが持てて、私が生まれる前に亡くなってしまったことを本当に悲しく感じた。


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