着道楽日記
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2005/10/22(土) 伊47潜友会。
昨日から一泊で伊47潜友会に行ってきました。
今年の春に亡くなってしまったおじいちゃん。
おじいちゃんが元気な頃は毎年楽しみに行っていたのが、おじいちゃんが戦時中に乗っていた伊47潜水艦の元乗組員でやっていた伊47潜友会。
今回集まったのは、元乗組員の方が4人+その中の一人の無二の親友で陸軍将校として戦時中はインドネシアにいたというIさん。
そして私と、母、祖母の3人。

昨日はおじいちゃんのお墓へみんなでお墓参りにきてくださった。
墓前に私の取り寄せた呉の地酒を供えて、お酒を酌み交わしたり、中にはお経を上げてくださる方も。
おじいちゃんのすぐ下の弟で伊48潜水艦で戦死したK大叔父の話にもなり(墓碑銘を見て)、二人の名前を挙げてお冥福をお祈りします、と言ってくださったのが嬉しかった。
おじいちゃんだけでなく大叔父の名前も挙げてくださったのが。
やっぱり、同じ海軍軍人、そして潜水艦乗組員、それも自分たちも出撃した作戦で亡くなっているというのが他人事では無いということなんだろうな。
伊47で使っていたという通信機のヘッドホンとモールス信号の打電機?のようなものを、墓前に供えて手を合わせてくださった方もいた。
本当だったらこの方たちとおじいちゃんも一緒にいたはずなのに、と思うと私は涙がとまらなかった。
でもきっと、おじいちゃんは喜んでくれていただろうな。

お墓から宿泊するホテルのある秋保温泉へ行き、夜はみなさんと宴会。
みなさん本当に良い方たちばかりで、だからこそおじいちゃんは毎年楽しみに出かけていたんだなあと思った。

元陸軍将校のIさんがインドネシアの歌である「ブンガワン・ソロ」を歌ってくださった。
Iさんはインドネシアで現地の住民の教育係をしていたそう。
終戦し、インドネシアの独立のために住民たちが日本軍の兵器を奪いに殺到し、この前まで自分が戦い方などを教えていた人たちに襲撃されたという。捕虜として4ヶ月間収容所暮らしも体験し、そのときは食べ物も無く這う様にして暮らしたという。
日本語の教育には歌が一番良くて、それを教えているうちに自分もインドネシアの歌を覚えるようになった。「ブンガワン・ソロ」はその一曲なんだって。
ほかにも、初めて「金剛隊の歌」、「轟沈」を聞くことも出来た。
お酒が進んで、みんなで歌っていた。
本で歌詞を目にしたりしたことはあったけれど、メロディーがどんなものかは知らなかったから、凄く感動した。
それも本当に「金剛隊」として出撃した人たちが歌っているのを聞く機会なんて、無いものね。
金剛隊の歌を作詞したという川久保中尉は伊47潜から出撃しているのだから。
そしておじいちゃんは、出撃前に形見として川久保中尉から軍刀を頂いている。
今もおじいちゃんの家の居間には川久保中尉をはじめとした、金剛隊の回天搭乗員の方々の寄せ書きが飾られている。

正直、期待していたほど、そんなに戦争の話とかおじいちゃんの話は聞くことは出来なくて…
結局、みんなで集まっているときって、今更戦争の話なんてしないんだよね。だって今までに散々話していることなんだろうから(笑)
個別に聞くと話してくれるんだけど、なかなかそんな時間も取れなくて。

でもね、それでいいのかなって思った。
なぜかって、みんな楽しそうで、和気藹々としていて、そこで部外者である私が昔のことを根掘り葉掘り聞くのが場違いのように思えたから。
私の母や祖母は戦争の話には全然興味が無いっていうのもあったし。
もっと色々聞きたかったな、という気持ちはあるけれど、たとえば、どうしても聞きたかったら改めて手紙を書くとか。電話をするとか。訪ねていくとか。
別にアクションを起こせばいいことなんだろうなー、と思って。

それでも、ところどころに聞いた潜水艦での話は、私にとっては貴重で、どきどきするようなものだった。
そしてとても印象に残っているのは、帰り際、伊47で使っていたという通信機を持ってきていたTさんに、(通信機の)写真を撮らせてくださいとお願いしたら、そのヘッドホンをつけて、手に通信機をもって写真を撮らせてくださったときのこと。
カメラを向けた瞬間、にこにこと温和な顔がきりっと引き締まり、まるで本で見る特攻隊員が出撃前に撮った写真みたいに見えた。
なんだかわけも無く悲しいような気持ちになり、泣きそうになった。
戦死したK大叔父も、Tさんと同じ通信兵だったからかな…

今回、本当に貴重な体験をさせていただいたなあ。
みなさんにお会いできて本当に良かった。
今回で「潜友会」としては最後なのかもしれないけれど、お元気なうちにまたお会いして、お話させていただいたりする機会があるといいのだけれど。
今度はみなさんと一緒に飲めるように、少し日本酒を飲む練習でもしておこうかしら(笑)


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