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2004/01/01(木)
これこそ正月
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起きたら既に昼過ぎ。睡眠で年末の疲れを一気に解消した感じ。
年末の疲れが出ている人が、またひとり。母が胃痛を訴えている。 母曰く、「風邪が胃に来た」と。私もなんか胃の調子、おかしい気がするんだけど。。。
妹はこれから仕事と家を出た。こういう時に妹がいなくなってしまうのはとても心細い。 看護婦である妹は、さすが病気や怪我の対応には慣れている。こんな時、私は何をしたらいいのかわからずオロオロ。。。情けない。。。(-_-;)
でも今日は元日。毎年元日は、親戚の新年会。持って行かなければならないものもあるし、年に一度ぐらいは顔を出さないとね。病床の母を置いて(>_<) 私はひとり、祖父母の家へ。
祖父母の家までは早ければ車で20〜30分。車ならね。ペーパードライバーの私には、その道のりは遠い。自転車→電車→タクシーで倍以上の時間がかかるのね。 今年こそ、脱ペーパー!!(・・・でも乗せてもらった方が楽なのよね。)
19時過ぎに皆が揃って宴会開始。たまに会う従兄弟たちや、親戚のおじさまおばさまと近況報告など。 そこで「へぇ〜」って話もチラホラ。
私の話題もあった。 それは私が1〜2歳の頃のこと。私は都はるみの『北の宿から』を3番まで覚えて歌っていて、それを、何故かイクエ叔母さんが電話の受話器を通して聞いたんだって。そして、それがなかなか上手かったって。 上手い、というのは身内なのでひいき目としても、歌詞を3番まで暗記しそれなりの音程で歌っていたというのは自分でも驚いた。 私の人生、最初の演歌は3歳ごろの『津軽海峡冬景色』だと思っていたのが、ここに来て塗り替えられてしまった。あの時、母が私の才能に気がついてレッスンを始めさせていれば、私は今ごろ演か歌手になっていたかもしれないのに。。。(ちょっと残念? いやいや、今のまんまで良いんです) それにしても、当時電話口で黙って私の歌を聞いていたイクエ叔母さん、どんな気持ちだったでしょう?それよりも、どうしてそんな状況になったのでしょう?もう一人の関係者である父がいない今となっては真相は闇の中。。。
豪華な料理と金箔入りの日本酒。これこそ正月ですよ。 あ、もしかしたら年末から呑んでたっけ。。。
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