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2005/07/13(水)
ロック≠サービス業
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いやいや、これは最近思った事で。 あくまでも個人的価値観に基づく発言なんだがね。
ロックって誰かを喜ばせる為にあるものでは無い…と。
結果的に誰かが喜ぶ事を否定してる訳じゃ無い。 これは本当に素晴らしい事だ。 拍手喝采ってのはステージに立つ人間にとっては最高の快感であって、様々な努力(努力の定義も様々だが)が報われる瞬間であって。
簡単に中学校の頃勉強した「需要と供給」の例えを使うなら、 「需要があってそこに供給される」では無く、「供給があり、そこに需要があるべき」だと思う。
僕らは、ヒーリングミュージックをやっている訳では無い。 疲れた現代社会人に癒しを提供する分けじゃ無いんだ。
その時に「ロックって何?」って根本的な問題に差し掛かる訳で。
度々このブログで言ってきた様に、 我思う、ロックは生きざまだろ?
って。
因に、以前読んだ下らない本によるロックの定義はこうだ
「1950年代から世界的に流行した音楽。 黒人のリズム&ブルースに影響を受ける。 特徴として、割れた(歪んだ)ギターの音も欠かせない。」
…以上。
まぁ、考え方は色々あった方が面白いとは言うが
バカか、おめーは。
是非、こう書き直して欲しい。
「(事実として)1950年代から世界的に流行した音楽。 スピリチュアルなやり場のない感情を表す手段。 そのラウドな精神に添える様に、ギターはドライブする事が多い。」
と。
極めて言葉のボキャブラリーに欠ける僕にはこれくらいの事しか言えないのは非常に歯痒いが、こんな感じ。
要するに、爆発しそうな内面的な何かを表現するのがロックだと思う。
誰かが決めたルールなんて何も無い。 ハッキリ言ってその精神がありゃ、ギター歪まなくたって「ロック」と胸張って表現し得る訳です。
誰かを喜ばせたいとか、気持ちよくなって欲しいとか 極論から言ってしまえば
不要です。
お手本を見ながら色鉛筆を選び、線からはみださない様に塗り、ママに「よく書けたね」って誉めてもらうのを求める塗り絵では無いんです。
誰かを喜ばせたいだけなら、手紙つけて花束でも送って下さい。
つまる所、 嫌われる事を恐れたり 誰かに気に入られたいが為にだったり 十字架の前に跪いたり
それを求めたらロックにならん。
冒頭に告げた様に僕の価値観の中では。
ロックはサービス業では無いんです。
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