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2005/05/12(木)
出ない釘は抜かれる
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小学校の頃の自分。 例えば国語や道徳の時間、文章や物語を読み終えた後の感想の発表の時まず僕一人全く違った事を言ってた。まるで俺だけ違う物語読んでるんじゃねーかってくらい俺の思った事は他人とは見当違いで冷たい目線や笑いをもらったりした。
幼き頃はそれで良かった。 多くの中で声を出すだけで気持ちよかった。
時は過ぎ、知らず内に身に付く物心。 他人と違う事を恥と思い、不特定多数の人間から浮いた自分を咎める。 「やべ、おれ違う事やってる。ねぇそこのあんた、どう思う?」って小さい声での確認作業。言わば確信犯、まるでパズルのピースみたいにそこにピタッと求められる答えを探す。インスピレーションをリミッターで制御する。
だけど実際、この類いの答えって十人十色が当たり前であって、方程式から導き出される一つの数字でも無く、歴史に起った塗り替えられぬ事実でも無い。それに年齢や心境でも姿を変える。
良く言う、「出る釘は抜かれる」って。 最近話題の六本木の若頭も急に出てきたモンだから足下すくわれて。土壌がしっかりしていなかったって話なんですが…。
でもとにかく人だろうが作物だろが価値観だろが、何もかも均一化してしまっているこの社会に疑問を抱く。外見の個性は取り敢えずおいておいてクリエイティブになる事が必要なんじゃ無いか?本当の意味で求める一個性。たぐいまれぬ唯一無二。自分だけのコーディネート見つけだして、自分らだけのグルーヴ悟って見つけだすステップ踏み締めて。やったらいいんじゃねぇの?お前だけの世界地図描きゃいいんじゃねぇの?自問自答繰り返して定めた自分のルール乱さなきゃいいんじゃねぇの?
俺は思う。 今必要な思考。 すなわち… … … 「出ない釘は抜かれる」と。
他人と同じ事やってリゃはめ込まれるは「その他大勢」って系譜。 それじゃ張り合いが無い、自分である意味が無い、ここにいる価値も無い。
やってやろか、このモノクロの社会に色染め。黒い部分だって鮮やかに染め直してみようじゃねぇか。
飛び抜けた感覚、恥ずかしがらず放ってみろよぉ。それが一人一人存在する意味なのよ。
だからkeep da good attitude.グッとくるオリジナリティの完成度。
そんなこんなでまた今夜も旅に出る、意識の中で。周りには誰もいない荒野。生きていく為に探すアイデア。ほんじゃまたね"see ya!"。
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