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2005/03/28(月)
血中闘争本能濃度
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やれやれ、今日も疲れましたな。 ライブの感想はひとまずおいておいて。 最近このブログのレスポンスの良さに喜んでるよ、うん。
言葉を持たぬべーシストにとって公共の場で発言できるのはここだけなのです。まさにマイ パブリック アドレス イズ ヒア。
でも、これだけ色々言ってると敵も増える。時に打ちのめされたりもする。
その前に、僕にとっての天敵ってのは意外と違う場所にいる事に改めて気付かされる。 それは何か。
毛嫌いする人。
これは非常にめんどくさい。 だけど、めんどくさいを理由に話さないのも辛い。 俺は土俵で「待った無しの真剣勝負」を始めるつもりが言い訳つけて「待った」を言われた場合、だんだん俺がアホに思えてくる。逆にこっちが「おい、ちょっと待て」ってな事になったりして。 「訳も分からぬ理由での試合放棄は非紳士的行為です」の声もとどかぬ。先制攻撃仕掛けて嫌な、煙たそうな顔をされるのは参る。
別に俺の考えを根付かせようとは思っていない。 あくまでも「提案」なのですが、みたいな。
これは今後の課題です。
その一方でがっぷりよっつの勝負は本当に面白い。 容易では無いが面白い。 額突き合わせて。
互いのイデオロギーのぶつかり合いってのは何かが生まれる可能性を秘めているのです。「おぎゃー」と産声をあげて健全なる、健康優良児の誕生。それを産む為のsexとも表現し得る。
すなわち、「丸め込まれる」を無しにした場合、戦利は両者にあります。
分かりやすく「勝負」と言う表現を用いましたが勝ちも負けも無いのです。 自分の意見が採用されたからと言って有頂天になる必要も無ければ逆に嘆く必要も無いのです。
もし無性に嘆きたくなる感情に刈られた場合、それはもっと戦うベきでござる。バト(ー)ルでござーるー♪
延長戦にもつれ込んで、集中力が切れかけ「なぁなぁ主義」になりそうな自分に鞭打って。ギブ アンド テイクと言うビジネスアイディアな逃げを欲する事勿れ。
しかしながら、拳に頼る事もせず。 闘争本能の暴走では無く「思想の中での『勇気ある』亡命」も忘れず。「さぁ、お前の言う事は分かった、じゃやってみろ」となる訳です。
それが出来て本当に意味のある出発となるのです。
心配する事はありませぬ。
そこまで出来る関係の人間との間柄は切れません。お互いを理解しあえる事で絆は深まります。討論する事による相乗ってのは恐るべき確固なる比類なき唯一無二のグルーブをうみだしやす。やす。
人間の闘争本能を剥き出しに食らい付く事。それは己のポテンシャルを発揮するだけで無く身内から始まる楽園建設の第一歩なのでありやす
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