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2005/03/25(金)
メッセージ
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日付けがよく分かりませぬ。 実はこれ入力してるのは26日だったりしてさ。暫く日記を怠ると何とも心の整理整頓が出来ぬ。
脳内ハードディスクの容量が極端に小さい、あるいはその機能そのものに欠陥があるであろう俺にとって「何かを書き下し記録する作業」をしないとどうも自分の変化に順応出来ません。連続的自己矛盾にも気付かず力ずくで物事の指向を決めてしまいそうになります。仕方ありません。人間…、少なくとも僕はそんなに器用じゃありません。
いかんせん、期待もしません。
さて、季節はめぐり巡って「寒い」ってのより「暖かい」と感じる今日この頃。梅の花は満開なるピークを過ぎ、桜前線が進路を北に定め飛行を始めようとする中、 新たなスタートへの期待に胸膨らませる方も多いでしょう…が、それと同じくらいの「悩んでいる人」に接する機会が多い気がします。
どうもそれに対して「五月病にはちょっとはえーんじゃねーの?」なんて言葉は洒落にもならず。21才なりの考えで相談にのるのですが。
どうも「愛されていない」らしい。 それは、家族だったり、友人だったり、恋人だったり。
愛って言うのは多分、掴み所がなく明確な定義が無いもので。それは気持ちであり形では無いから。時に変な風に歪んで入られたく無い心の隙間に「あらよっ」って入り込んで始末の悪い場合には居心地よく居座ったりする訳で。その痛みってのは他人と違うから、時に愛が裏目にでたりして。
その一方、「愛して欲しい人」に焦点を当て過ぎると「愛されてるセンサー」が鈍感になったりする気がする。
「自分自身を愛してますか?」
それが一番大切なような気がする。
少なからず僕は自分自身を愛せない人間を愛せない。
それはまた捕らえようのない信念であって、裏付けを基に確実な信憑性を言葉でもって説明するにはもうちょっと時間と手間が必要ですが、この「先走った答え」ってのにはそれなりの手ごたえを感じます。
人は悪い事ばかり考えてしまう癖がありそうな気がするな。「ダメだしして下さい」って。
ダメなところにしか焦点を当てない様に見えたりする。
自分を愛するため。必要以上に「自分は愛させて無い」と思う前に、自分の長所を明確に捕らえもっとのばしていく事の方が大切におもう。「何が間違っているか」より「何が正しい」か、「誰に愛されて無いか」より「誰に愛されてる」か。 自分自身を愛せてるか。
それをやってみて下さい。
少なくとも、笑顔でいる瞬間は増えるはずです。
keep your bigsmile!
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