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2005/09/18(日)
高知街ラ・ラ・ラ音楽祭 2005
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今年で4回目を向かえる高知街ラ・ラ・ラ音楽祭は良い天気に恵まれ、表現する人、聞く人、それぞれの立場で思い思いに楽しんでいる様子でした。 私は仕事を終えてからの参加です。 ひとりのサポーターとして思ったことは、聴衆のゴミ処理モラルの低さ、それをカバーしきれないスタッフでした。 盛り上がりとしては最高のお祭りに発展してきたと自負しています。 企業スポンサーも大きいけれど、各会場を支える多くのスタッフやボランティアの支え無しにはこういうイベントを成功させることはできません。 来年もよりそういう屋台骨が強化されるように願っています。 最初の年、くろしお国体の歓迎イベントとして始まり、中央公園には県外から沢山の選手やスタッフが集まって良い空間が誕生していました。 ひとりの青果屋 堀田氏の夢はここまで拡がりました。 1回目2回目と締めの熱い挨拶を聞くことが出来ましたが、残念ながら彼はもういません。 愛用の自転車のみが舞台に立てられ、追悼の想いを皆さんで伝えました。 堀田さんとは10年ほど前にまちづくりコミュニティーの仕事を一緒にしていただいて、数年後はワークショップを経て出来上がったおびさんロードに感激し、彼を取り巻く音楽の輪は高知街ラ・ラ・ラ音楽祭として大きなイベントになりました。 高知の街を元気にしたい、その思いは若者へと受け継がれていって欲しい。高知にはまだ、こんなイベントを達成できるマンパワーがあるんだから。 祭りの終わる頃、中秋の名月は雲間から煌々と会場を照らしていました。 来年も街の人みんなで高知街ラ・ラ・ラ音楽祭を盛り上げましょう。 祭りの後も熱い話は続き・・・帰宅したのは へ? 午前3時頃でした。
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