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2013/08/08(木)
最後の焼畑のころ
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ここに来た頃、もう18年も前のことだけれど大家さんの山田信一さんが山の斜面の草を刈って、一週間ほど乾かしたのち火を放ったことがあった。観光やイベントで行なう焼畑を除けば最後のものだったのではないかと僕は思っている。火をつけるときにはいなかったのだが煙が山に立ちこめて驚いて帰って来たことをおぼえている。信一さんはタオルで頭を巻いて半袖のシャツひとつで火の管理をしていた。刈って干した草は燃えたが生い茂った草には火は燃え移らないと聞いた。こんなことをひとりでやり通す経験や実力には恐れ入った。広さは一反歩ほどだったが信一さんはしばらくして赤カブを植えた。秋になって上手に出来たころ赤カブはサルの群れに荒らされてほとんど収穫にはならなかった。サルはカブを食べるにしてもひとつを大事に食べることはしない。ひと口食べてはほっぽり投げて食い荒らす。収穫に来たキヤさんは残念そうに畑を見て、それでもひとつひとつ大切に集めていた。僕もおすそ分けに預かったがそれ以後焼畑をやる事はなかった。 このあたりにもサルが群れでやって来て各集落の畑を荒らしている。彼らは食べごろを知っていて収穫をしようとするときに先に来て荒らしてゆく。地元の人たちはそりゃ悔しいのだがそれもしょうがないと笑っている人が多いようだ。 山にはぼつぼつススキの穂が見え始めた。季節はちゃんと動いている。
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