|
2013/08/02(金)
さーて明日こそ晴れなさい
|
|
|
きょうだって同じような天気で短時間に強い降りが繰り返された。用事を作って無理にでも下まで降りた。津南では蒸し暑く用事を済ませたついでに再度腰に注射を打って帰った。何といっても明日の薪割りを終えたい。強力な薪割り機を借りてトラックに載せてくる。切明で久しぶりに温泉に入ってくる。風呂の温度は40℃を示していたが僕にはぬるいと感じた。 渋沢に向う水平道の晩鳥沢のひとつ前に橋のかかった沢がある「鍋割り沢」というと聞いた。ふざけた名前で正式の沢の名前ではないと思うのだが聞いた話で恐縮だが、飯盒のない時代は鍋を背負ってみな山に入った。あるとき鍋を背負った人が沢に落ちて、仲間は落ちた人よりも鍋が心配で鍋ばかりを気遣った。その後「鍋割り沢」というようになったと。秋山紀行などによると天保のころの猟師は奥山に二十日も三十日も住むので荷物はもてない。着たきりの毛皮が衣類と寝具になる、食器は鍋が二つか三つ。椀は人数分…と書かれている。この話をしてくれた方の時代ではなくて鍋ひとつが大事な財産であったころの伝承なのだろうと思った。
|
|
|
|