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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2013/08/09(金) 予定の作業をこなす
 腰は治ったが膝が痛い。だからと言って遊んでいてはよくない。
 今日は久しぶりにもっきりや道と川西街道(もっきりや街道改め)の草刈を始める。昼にはU字溝の木のフタに防腐剤を塗った。それからまた草を刈った。草刈は明日に続きを行なって、家の周りを刈ればお仕舞いになる。あと二日。
 去年の工事で増やした水だがタンク内で水位が下がった時に空気が入ったようで水が動いていない。多分10日ほど前からのことだと思うのだが、昨日になって気付いた。草刈の途中で思いフタを外してパイプの空気を抜くのだがなかなかうまく言うことを聞かない。行ったり来たりしながらどうにか通水を確認した。1次タンク内の水位が下がった時パイプに空気が入ってしまったようだ。水面際にあるパイプにエルボをつけてすこしの上下に対応して、2次の枡に入るゴミを家の水道タンクに入れないようにドレインを使ってパイプ内のゴミ水を切った。ひとりだから行ったり来たりに時間がかかる。
 今回はじめての故障だったからこれを頭に入れてこれからの対応を考える。源水の量が上下するようだから1次タンクの確認を頻繁にすること。1次タンク内のに溜まり始めた土砂を排水ポンプを使ってくみ出さねばならない。それをいつやるか。冬前だろうと思っている。
 それでも予定をこなせばヤッターマンなのだ。

2013/08/08(木) 最後の焼畑のころ
 ここに来た頃、もう18年も前のことだけれど大家さんの山田信一さんが山の斜面の草を刈って、一週間ほど乾かしたのち火を放ったことがあった。観光やイベントで行なう焼畑を除けば最後のものだったのではないかと僕は思っている。火をつけるときにはいなかったのだが煙が山に立ちこめて驚いて帰って来たことをおぼえている。信一さんはタオルで頭を巻いて半袖のシャツひとつで火の管理をしていた。刈って干した草は燃えたが生い茂った草には火は燃え移らないと聞いた。こんなことをひとりでやり通す経験や実力には恐れ入った。広さは一反歩ほどだったが信一さんはしばらくして赤カブを植えた。秋になって上手に出来たころ赤カブはサルの群れに荒らされてほとんど収穫にはならなかった。サルはカブを食べるにしてもひとつを大事に食べることはしない。ひと口食べてはほっぽり投げて食い荒らす。収穫に来たキヤさんは残念そうに畑を見て、それでもひとつひとつ大切に集めていた。僕もおすそ分けに預かったがそれ以後焼畑をやる事はなかった。
 このあたりにもサルが群れでやって来て各集落の畑を荒らしている。彼らは食べごろを知っていて収穫をしようとするときに先に来て荒らしてゆく。地元の人たちはそりゃ悔しいのだがそれもしょうがないと笑っている人が多いようだ。
 山にはぼつぼつススキの穂が見え始めた。季節はちゃんと動いている。

2013/08/07(水) 他人の力で生きてゆく
 このところやることなすこと裏目に出てすっかり元気がなかった。こんなことはよくあることだが気分転換が出来ないでいた。昨日も重機の作業オイルをどうするかと津南の友人に来てもらって考えていたのだ。ところが技術主任は壊れた部品をすぐに作り変え、オイルを持って帰って来てくれた。こんなことはめずらしいことではないという。ただここへの2度の往復には腐ると言う。それはそうだ。
 北千住「もっきりや」時代からの友だちがやって来てくれて元気を置いていってくれる。久しぶりに遅くまで話し込んでいた。ユニークな物書きの先輩もジャカルタからの友も寄ってくれてすっかり気散じが出来た。
 2週間ぶりに仕事にも行って仲間ともワイワイやれたし落ち着いた。ひとりで生きているような気になっちゃっているが僕はみんなに支えられているからここにいられる。ということだ。
 夏鳥が少しづつ群れて飛び始めたように思える。今年生まれた幼鳥もふくめて飛ぶ練習をしながら南下していく時期になった。
 この日記が満杯になって古い日記を削除しなければ投稿できなくなっている。そこでもうひとつ同じ日記を作ることになった。新しい日記は1825件まで投稿保管が出来るというので。

2013/08/05(月) 貧すりゃ鈍する
 何となくおっくうで何にもする気がなくて、動くのもめんどうに思えてしょうがない時がたまにある。昨日ぬれて帰って来て座っているとだんだん身体が傾いてきて正す気もしないまま傾いている。何がいいとかわるいとかではなくて何となく全否定してみたくなったような感じだ。こんなことを話したところでラチもないのだけれど人はそんな心の不安や高ぶりを繰り返して生きてゆくのだからしょうがない。メンドウだなとつぶやいたらすこし楽になったか。
 燃料を買って来てバックフォーを動かしていた。土側溝の土砂を片付けていたのだがもう少しというところでショベルの油圧のポンプが破れて油が噴出した。重機を道からずらして止めて油漏れの管を見るとゴム管に穴が開いているようである。昨日の憂鬱がまだ続いていた。いやだな〜。

2013/08/04(日) 僕はツールド栄村でいいと思う
 今回で6回目となるぐるっと栄村100Kmサイクリングが行なわれた。僕はツールド栄村でいいと思うのだが反応は一切ないけれど、しょうがない。北部地震でお世話になった栄村としてはいい企画だと思う。参加者も400人(?)を越えたと聞いた。これで10回を迎えるころには参加者だけでなく応援団も募集して地元の人と多くの街からの低額見学応援ツアーも集めて盛り上がるほかない。上位の人たちには順位をつけて表彰したりシャンパンかけもいいだろう。栄村だけでは応援も手伝いもスタッフも人手不足だ。そこで都会の面白がりに助けてもらうのだ。ひとつ気になるのは車を開始何時間かは通行止めに出来ないのかと。それは難しいのだろうか。事故のほうが困るのだけれど。
 ところで昨日の続きを終えるころにひどい雨になった。薪割り作業は終わったが機械を返しに行くまですこしの間にすっかり濡れたしまった。行き交うサイクリストもずぶぬれなのだがみんなそれを楽しんでいるようだった。
 ボーっとして何にもする気が起きなかった。ただかったるいといったことだ。

2013/08/03(土) 薪割り貫徹
 曇りだったからよかった。山のように積み上げた玉切った丸太を強力なドイツの薪割り機で割っていく。思ったほど量があって時間をくってしまう。ここが終ったら福一さんのところの木も片付ける予定なのだが半分残してしまった。明日の朝から続きを始めて昼までに終えようと思う。薪を片付けるということはここでの大切な仕事である。また玉切った木をそのままにしておくとフケてくる。そうなるとせっかくの薪も火力が落ちる。今度は割った薪を積んで置くのだが一日かけて終えるだろう。
 昔は薪作りは春の半月もそれにかかりきりになって終えたという。暖を取るだけでなく炊事や風呂焚きにも使ったからそれは大変だった。また今のような機械もないので斧と金矢だけで作るのだから股になっている部位や枝分かれする所は割ることが出来ない。いいところだけを割るしかなかった。昔の人の体力は今の比ではないけれどそういったところは捨てるしかなかった。もっとも樹木も手直にたくさんあった。今はドイツの圧搾機でエンジンはカワサキだけれども、そういったところも切るというよりも押しつぶすように割るのである。どんなふうに割られてもみんな同じように煙になっていく。むしろそういった部位の木のほうが暖かいという人もいる。
 割りながらいつまで続けられるだろうかとしきりに話しあっていた。

2013/08/02(金) さーて明日こそ晴れなさい
 きょうだって同じような天気で短時間に強い降りが繰り返された。用事を作って無理にでも下まで降りた。津南では蒸し暑く用事を済ませたついでに再度腰に注射を打って帰った。何といっても明日の薪割りを終えたい。強力な薪割り機を借りてトラックに載せてくる。切明で久しぶりに温泉に入ってくる。風呂の温度は40℃を示していたが僕にはぬるいと感じた。
 渋沢に向う水平道の晩鳥沢のひとつ前に橋のかかった沢がある「鍋割り沢」というと聞いた。ふざけた名前で正式の沢の名前ではないと思うのだが聞いた話で恐縮だが、飯盒のない時代は鍋を背負ってみな山に入った。あるとき鍋を背負った人が沢に落ちて、仲間は落ちた人よりも鍋が心配で鍋ばかりを気遣った。その後「鍋割り沢」というようになったと。秋山紀行などによると天保のころの猟師は奥山に二十日も三十日も住むので荷物はもてない。着たきりの毛皮が衣類と寝具になる、食器は鍋が二つか三つ。椀は人数分…と書かれている。この話をしてくれた方の時代ではなくて鍋ひとつが大事な財産であったころの伝承なのだろうと思った。

2013/08/01(木) 降りかたに驚く
 バシャバシャと降る雨の音で目が覚めた。そんな雨もふと止んでみたり、そうかと思うと一段と激しく降った。あんまりいい気持ちではなかった。しょうがないので本を読んだり野球を見たりしていると昼前に日が射してきた。そこで予定を変えて索道にグリースを塗ったり、滑車に油を差したりしている。見学したいという方が帰ってから久しぶりにもっきりや道の草を刈り始めた。2日もすれば終るのだけれど土側溝にこの雨で流れ落ちた土砂を片付けることと道を水が削った所を考えなければならない。通行には何ら支障はないけれどコンクリーを流すしかないかと思うのだが面倒でもある。何となく限がないなと腕を組んだ。


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