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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
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2013/07/18(木) ご当地グルメか
 少し時間があった。テーブルを囲んで戯言を繰り返している。仕事も終えて呑気な感じだった。
 「おぶっこ」という食べ物を知っているかと聞かれた。初めての名前だった。長野県北部、小川村や中条町でよく食べられているという。さー分からない。「ほうとう」のようなものだという。帰って調べてみると「おぶっこ」とはようするにぶっこみうどんというものでほうとうのような細長い麺ではなくふつうのうどんに野菜やら肉やらをぶちこんで味噌で煮た麺というものらしい。長野の北西部では急斜面で水田が少なく雪も多くない。そこで麦が作られ簡単に食べられる労働食のようなものらしい。ここでも「はやそば」や「おやき」などが作られているが僕はそれほどうまいものだとは思わない。今でこそおやきには色んな具がはっきりした味付けで入れられているが、このあたりでのおやきの具といったら、もさもさした野草だったり山菜だったりしたものだ。他に食べるものがないから母親が夕食後に粉をねって味っけの少ない湯でた野草をいれ囲炉裏の灰の中に入れておき朝学校に行くときに風呂敷に二つほど入れて弁当にして腰に結んで出かけたという。おなじ集落でもお金のある家の子は白米でおいしそうで食べたいから悔しくていじめてやったと話した人もいた。ご当地グルメについては何時も僕は眉唾ものだと思っている。

2013/07/17(水) 昔のトイレットペーパー
 きつい斜面での草刈がきらいでこんな日はずる休みでもしたいのだがそういった敵前逃亡は人格に影響する。命綱に身をゆだねてカマを使いながらの作業はときどき垂れ下がった枝などを切る時なんか頭がぐるぐる廻るように思う。狭い所での落石などが落ちて顔にでも当たったらそうとう痛いだろうなと思いながらのお手伝いだった。
 そんなことは聞き飽きただろうからきょうは昔のトイレットペーパーについて話て見よう。簡単に。
 昔といっても戦後しばらくの頃までの秋山郷は自給自足の暮らしだったから今のように何でも外で買ってくるということはなかったようです。トイレットペーパーにしてもやわらかい紙などなくて新聞紙にしたって貴重なものでした。山が色づく頃になると母親に言われて山に出て”カクマ”というシダをカゴいっぱい採って来て、茎から葉をそぐように抜いてボールのように硬く丸めて木の箱のなかに冬の間つかう分をためたようです。始めは柔らかくていいのだけれど春が近づく頃になると乾いてきてそれを使うとウンチがくっつき手にもつくようになり、ちくちくして痛く嫌だったと和山の島田さんが笑って話したことがありました。ほんの60年位前の話です。知恵のある話ですがそういう時代を耐えてきた人たちの強さを感じる訳です。

2013/07/16(火) 暑いけれどしっかり晴れない
 梅雨明け10日というけれどそんな感じはない。何となく暑いがまだまだ梅雨の範ちゅうのようだ。越後はまだ明けてはいないのだしこの辺りも越後に接しているからか中途半端な空もようがつづいている。
 きょうは仕事の方が仁成館からもっきりやの索道への道の半分を刈ってくれた。きのう自分で刈らなくてよかった。もうかった。とすれば今回の草刈は1日あれば終る。しかし月末にはもう一回刈るようだ。その時はまじめにやるのではなく繁っている所だけにしよう。旧盆を過ぎれば草の伸びは止まる。仁成館のご主人は草を刈る仕事の人たちにスイカを振舞ってくれた。今年の初物だ。これもひとつシメシメであった。ウロチョロしていると思わぬところでお相伴にありつける。
 日が陰ってからサクラに水をやる。これが重くてなかなか大変で夏中のことになると気が重い。

2013/07/15(月) クサカリスト
 相模原のお客さんが帰って9時半だったが草刈を始めた。途中見学の方が来てご案内なんかしながら昼まで続ける。畑と三角小屋の周囲。川から玄関まで刈るのが精一杯だ。
 支払いをすませて買い物をして帰るのだがねむくて困った。早く寝たいけれども寝てしまうとすぐ朝だし、もう少しグズグズ時間を遊んでから寝を取ろう。
 この連休はとても多くの気になっていた作業が出来た。何となく前に進むことが出来た。その分たまらなくねむくてしょうがない。仕事に呼ばれていたほうがずっといいように思う。ここは夏は比較的客が少ないのが救いだが休みになったらゆっくりするんだ。

2013/07/14(日) 薪を運び、サクラを植えたら雨になってきた
 積み残した玉切った薪を軽トラ2台分と対岸の丸福の旦那用にハンノキをトラック1台積んで来年の薪を運び終えた。どうだ!と自分を褒めてやった。お客さんがひとりいてチェーンソウを使えるというので研修方々手伝ってもらったのだが、彼は器械の刃を研ぐのが実に上手だった。なかなかこの刃を研ぐというのは難しくこのあたりでも森林組合に出ている人でないとうまくは研げない。刃がダメだと木屑が粉になって仕事がちっとも進まない。これには驚いた。
 夕方近くになって山サクラを8本植えた。植え終わって空を見るとポツリポツリと雨が落ちてきた。本降りになってくれればサクラにとって育ての雨になるのだが。こんなときはうれしいものだ。

2013/07/13(土) 薪にする木にしたって
 薪集めが出来る。中津川の堰堤工事で伐採されたいろんな樹木が積み上げられているという話は島田福一さんから教えられた情報だった。工事事務所に出かけそれなりの挨拶をして、きょう先輩に手伝ってもらって切ることが出来た。
 薪といってもそんなに簡単なことではなくつまらない木をたくさん積んで燃やしても紙を燃やすようなものだという。というのはストーブにくべてオキが出来ないような木は冬の寒さには向かないということなのだが何年ここにいてもなかなか難しいことなのだ。ナラ、カエデは分かるのだがブナとハンの木やナラとサワグルミの違いが立ち木なら分かっても積み上げられた木を見てもなかなか分からない。この辺りの若い者などは僕より分からないだろう。木には「かなっき(金木?)」「あさっき(浅木?)」というように秋山では使い道が分かれている。金木はブナ、ナラ、カエデといったところで浅木はハン、トチ、クルミ、ヤナギで木の硬さが違う。軟らかい木は例えばハンの木ならエンピツにサワクルミなどはまな板、マッチの軸などに用材として切り出されたという。しかしそういった軟らかい樹木は薪にはむかない。燃えないことはないのだが紙を燃やしているようなものだという。
 とにかくきょうは軽トラ4台分の薪を切った。ひとりでは出来ないときは無理しても先輩の助けを乞うことが大事だ。なんにもひとりでは出来ない。それが現実だ。

2013/07/12(金) さて、こんどは山桜か
 まだ出来ていないのだが秋山のサクラマップを作らなくてはいけないと考えている。だが身体がひとつしかないもので調査中のまま2年が過ぎてしまった。秋山で協力してくれる人でもいたらいいのだが、計画を相談すると「それはいい、是非やってください」としか言わない。僕もここでは友だちがいないということになるのだが、それなら日芸の写真部や早稲田辺りの耳にピアスの学生に丸投げしたほうが斬新なものが出来るはずだからそんな学生に発注してみようと考えている。でも時間がない。そこでひとりでサクラを探している。どうもサクラが少ない、みんなが見れるサクラが少ないと感じていた。
 著名な渓流釣り師下田香津矢氏も同意見でそれではサクラ、山桜を植えてみるかということになった。本来なら梅雨の内と踏んでいたのだけれどきょう山桜が10本届いた。下田氏はやることが早い。そこでこの山桜を定植して雪囲いの世話をして行くことになった。これは僕らの時限爆弾で秩父の「小林ムツ」さんとはレベルが違うけれど、僕もお世話になった秋山郷に対するお礼のひとつだ。50年もしてこのサクラも格好がつき、花の蜜をギフチョウガとまって吸うとしたら僕の夢も完結すると思うのだ。だから元気な内に時限爆弾を仕掛けなくてはいけない。ただ何時もやるのは僕一人だけれど…

2013/07/11(木) 岩魚の怪
 昨日はムッシューがバイクで来てくれて今朝短パンをはいて浅間に向いました。天皇は後醍醐天皇はたくさんの薬を飲みつつ元気にアカショウビンをさがします。
 ところできのうは2頭のクマを見ました。遠くだったので彼もこちらも安心の距離を保っていましたがこのところクマは多いようです。充分注意されることを祈ります。
 もう一度ところでなのですが池の岩魚が突然1尾になってしまっているわけなのです。天皇曰く「そりやアカショウビンだろ」とおっしゃいますのですがどうも30cmをこえる魚を食べるのだろうかと疑問に思って仕事仲間に聞くと「そりゃイタチだろう」とおっしゃいます。でもイタチならいかに馬鹿な私でもバシャバシャいう音に気付かないわけはないではありませんか。ここの岩魚はどうも性質が悪い。いじめっ子だし鯉のえさなんかを与えているせいか岩魚も鯉化しちまったのではないかと岩魚の怪に頭をひねるわけです。
 ついでだからもうひとつところでなのですがこのところの少雨で水が細ってきているところもあるそうで家の水を注意して見ているのですが去年の水量増量工事のおかげで今のところ事なきを得ています。この連休で玄関前に沢の水を流して涼しくして見ようと考えました。

2013/07/09(火) すずしい秋山だ、風が…
 仕事を終えてチョウの世話、風呂に入ったり日記を書いたりしていつも時間がなかったのだけれどいろいろ落ち着いてこのところよく映画を見ている。ライムライト、麦秋、アフリカの女王、レイ。いつも都はるみばかりではありませんぜ。
 チョウの蛹になりつつあったひとつが脱皮の途中で止まってしまった。2日も同じ様子なので幼虫の手助けをしようとしたら薄い皮を破ってしまった。殺してしまった。しょうがない。それと遅い3っの幼虫もまだ同じ様子だ。放って置こう。それが一番だ。
 水平道を歩くといかにも夏になって木陰の道では汗もかかない。東京は狂うような暑さだと聞いたがそんなときこそもっきりやではないかな。山ではクルマユリが迎えてくれます。

2013/07/08(月) 寂しくなっちゃった
 久しぶりにギフチョウについて報告しましょう。
 6月1日に先生と見つけ確保した76個の卵は順次幼虫に変わって何回かの脱皮を繰り返して大きくなり今日の時点で3つの幼虫が寂しくちじこまって蛹になる準備をしているだけです。この3つはすこし小さいようなので気になるのですが自然のものの生命力を信じています。残りはほとんど糸を出して体を固定させて蛹になったりもう少しだったりということです。はっきりした数は分かりませんが多分70の余はいるようです。これは大変だったけれど卵を確保した時点での責任でした。途中ひとつの幼虫が死にましたがこれはしょうがない。残りの幼虫が蛹になってくれれば98%の確立で蛹になる訳です。秋までここにおいてのち先生と玄関前のコンクリート枡を整備して自然に近い状態で春を待ちます。来年はここだけでなく山へも放そうと相談しています。秋山の小学校にも手伝ってもらって4人の生徒の見ている前で野に放せば来年のチョウの保護のための飼育に協力してもらえれば小学校の存続にもいい影響があるはずだとおもっています。
 蝶の愛好家というものは自分本位で嫌いですが、そういう人もいます。捕っちゃいけないと言っても始まらないけれども何兎も捕るのはこりゃいけません。みんなが育てて放しているのだということを分からせることから始めるよりないと僕は思っています。
 でも大きな箱の中に動くものがなくなると寂しくなるものです。きっと子育てもそういうことなんだろうと感じています。さてあしたになって3っつの幼虫が体を固定させてくれさえすれば、ことしの「GIFU KEEP AND INCREASE」のミッションも上々吉となります。

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