|
2013/07/26(金)
大日本帝国陸地測量部昭和9年版
|
|
|
夕立が激しくなった頃ふと目が覚めまして、昼から寝ていたのです。さすれば腰にはいいようでベッドに入って寝たり読んだりであります。別に悪いわけではありませんが身体を休めつつの養生です。先日聞いた話ですが、大昔 上の原と和山の人間が田沢(旧中里村)に出て集落を作ったと書きました。その名前が「上山」。昭和9年の大日本帝国陸地測量部の5万分の一の地図でその場所を見つけました。宮本常一の本によれば山で暮らす狩人も木地屋もサンカも山を下って下の村に出て定住したといいます。ことに飢饉ともなれば平地と比べて山での生活はより困難だったと思います。想像を超えた悲惨さだったと考えます。で、ここから田沢に上山という集落を作った年代やその理由は調べないと分かりませんが、上の原と和山にあったお寺でワオウ山ルリコウ寺?と呼ばれていた寺が人がいなくなったので住民が一緒に仏様を持って田沢の上山にお寺を作って安置したとも聞きました。 その上山という場所ですが飯山線の越後田沢駅と国道117の間で、道の反対側には如来寺というお寺があります。きっと昔の秋山の住人はその仏様を如来寺に預けたのではないのかと想像しますがこれも調べないと分からないことです。
|
|
|
|