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2013/07/25(木)
草刈なんかやってはダメだ
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ちょっと草刈なんぞをやったのがいけなかったのか悪くなったようだ。やっちゃたのだからいまさらなんにも云えないが見ていると気になってしまうのだ。そこのところがまだまだ幼い。伸び白はないけれども。 「もと生きるために狩をすることは罪悪でも何でもなく当然のことであった」と宮本常一は言う。そして山の獲物を容易に得させてもらうための山神信仰は古くから存在したと続ける。よく山を歩いて「山ノ神」が祭られているのを見かけたことがある。若い頃はそれらに気を配ることなく歩いていたが宮本常一の本を読んでハッと気付かされた。そこは猟場でケモノミチを行き来する獲物を獲ったところだと。 秋山の猟師小屋(いまは使われず潰れてしまった)で十二様という猟の守護神を祭る祭壇を見たことがあった。粗末なものだったが十二本の灯明をつけてお祓いをして猟があると灯明を十二本つけたという。もちろん猟はケモノを自分たちが生きるために獲るのだが時代と共に山神信仰は仏教と結びついてくるようになる。そのためにも祈ることが大切になってくるのだろうか。 この辺りの猟師も猟をやめる切っ掛けのひとつにそういった仏心があるという。
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