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2013/07/22(月) 禿の恩返しになるだろうか
 秋山には長い時代を通して生きてきた人間の、それぞれの歴史がある。民俗学的に調査もされたのだろうが今その歴史はどことなく埋もれているようにも思う。それだけのことだといえばそうかもしれないが出来たら少しづつ話を聞いてみようと考えている。仕事にも出なければならないしお客さんの世話もある。一気にできることではないけれど少しづつということだろう。
 天明の飢饉は現代においてもこれ以上の噴火はないという大爆発(天明三年七月七日)だったといわれている。このあたりも灰が何メートルも積もり大秋山集落はその影響から来る飢饉で全滅。和山でもかろうじて生き残った男女ひとりが夫婦となってもとの集落から下がった所で新たな集落を作ったとされている。またその後の飢饉と思うけれど上の原と和山の住人が村を出て田沢(現十日町市旧中里村)に上山(両方の名をとった)という集落を作り秋山にあったお寺まで持って出てそこに安置したという話。昔、栃川は小川のような流れであったが時間と共に浸食されて現代のような激しい流れになったということ。また時代は下るが「地蔵栗」という社に伝わる話。まだまだたくさんの歴史があると思うのだがそういったことを古老に聞いてみようと思っている。以前「山の暮らし」を調べたことがあった。それが30ほどあったのだがこれを少しづつ続けていこうと考えている。これはここで世話になった恩返しのようなものである。こればかりはひとりで再開しようと考えている。


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