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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2013/05/31(金) 緑もヤワではない
 5月が終ります。雪が降るまで5ヶ月。何となく年を取るのが早いように感じるわけです。
 今日も家の周りの草を刈ります。この時期の草は雨が降るとアッという間にグンと伸びます。鼻の頭やおでこに機械のヒモに巻かれた石が当たります。痛い。夏の草刈や冬の雪構いというのは放っておけばなくなるのですが住んでいるとやはり片付けようと思うのは自然の強さに対しての自分の弱さによるのでしょうか。何もしないでいるとどんどん緑に追いまくられるように思うのです。
 仕事始めのこの月は慣れるまでが大変で年は取るし力が落ちるでようやく5月が終わったと感じています。

2013/05/30(木) 残業として草を刈る
 終日降ったり止んだりしながら一日が動いていく。
 少し早く家に帰って時間があるので頑張って右岸側の草を刈った。雨の日はよく草が刈れるように思う。ただからだが汚れる。およそ2時間僕は頑張った。こういう時の作業は「シメシメ」といったものだ。だらしなくしていたのではまた気分が落ち込む。何といっても頑張ってこなすと やれば出来るじゃないかと高揚する。これが大事だ。
 きょうは一本つけてゆっくり夜を楽しめる。そのためにここにいるのだ。

2013/05/29(水) 登山や釣り情報
 風が強い一日で、身体が持っていかれるような感じが続いた。この3日間の強風はめずらしい。
 昨日は苗場山に荷揚げのヘリが上った。手伝いに行った方に聞いたのだが4合目から先は沢筋にまだ雪が残っているようだがロープなどを張って6月1日の山開きに備えたということだ。鳥甲山はシラクラの先のダルミにはまだ残っているようだがあらかた消えたのではないかと聞いた。そこは両サイドに切れ込みがあっていい気分の所ではないので注意が必要だ。
 昨日釣りに出た人は川が変っていてなかなか連れなかったと嘆いていた。去年の10月末まで切明の魚野川で重機の入った工事が続いた影響なのだろう。また栃川の砂防工事が続いているし屋敷橋の下にも大きな重機が何台も入っていてここでも釣りは無理だろう。切明から雑魚川方面では外の川まで行くしかなく、魚野川では渋沢から先までいくしかない。山は落ち着いて上れるようになったがこの辺りの中津川水系では毎年釣り難くなってきているとと云う声は多く聞く。地盤の弱いこのあたりでは砂防ダムの必要は分かる。そのだけ川は荒れてくる。これもしょうがないことなのだろうか。違った解決方法はないのだろうかと気をもんでいる。

2013/05/28(火) 夏への衣替え
 舞台の上で出ない声に涙を流しながら唄う歌手の心情を思いながらDVDを見ていると何となく分かるような気がしてきた。「これが最後の舞台になっても…」この映像はこれで封印しておこうと感じた。出ぬ声と帯に書かれしRUNRUNを流れるなみだ消し去ってゆく。もしこの人がいなくなってしまうと僕の真冬の援軍が消えてしまうように感じる。
 今日は渋沢へと歩いた。2回目でずい分と慣れたように感じた。山は一日ごとに色を重ねていくようだ。ところどころに残っていた雪もほとんど消えて夏の姿に衣替えをしているようだ。

2013/05/27(月) あの頃の友人とあの頃を生きた
 学生時代の友人が9時にやって来た。3時まで話し込んできょうの仕事には出られなかった。
 40年も前のあの頃のことを、ひとりではどうしても思い出せない学生や先輩の名前が次々と確認されて僕の心の中に住み始めた。デモに出る日の不安や動き出した隊列のなかで感じた高揚。機動隊と対峙したときの心の高ぶり、追われて逃げる身体の悲鳴。そんなことが禿あたまの今の自分を忘れてドキドキとよみがえった。軽い脳梗塞で倒れて酒もタバコもやめたその友だちはあの頃、明大前の茶店でねばった6時間じっとコーヒーカップを見つめた同じ目をして寂しそうに笑っていた。学部のバリケード封鎖が解かれた日だった。
 友人が帰って僕は冬のごみを捨てに津南へ出た。帰りに届いていた今年2月の「都はるみ」を見てみた。本来の声ではない歌い方をする彼女を見ながらこれもこの歌い手の歴史なんだと思った。だから僕も頑張って続きの草刈を「邪宗門」を口ずさみながらやった。みんな平凡なだけではないのだからと…

2013/05/26(日) 仕事とお客と草刈と
 金曜土曜とお客さんが見えて、草刈もしなくてはと合間を見て機械を使い始めた。ほんの100mほどだが昨日はそれからの食事用意などで大変疲れた。お酒もいけないのだがこれは営業上の付き合いで逃げる訳には行かない。どうも注がれるとこの〜コップが唇に触れてしまう。{うまい}と思う。
 草刈は新しき機械の使い初めで26ccのエンジンは力も合って具合がよろしい。しかし2時間もやっているとその重さに疲れてしまった。
 昼頃にお客がお帰りになり 掃除、カメムシ、ハエタタキ というくらいで大いに疲労困憊をしている。きょうは昔の仲間が来るという。明日は身体第一に考えよう。

2013/05/24(金) 秋山情報
 奥志賀林道が通れるようになりました。ゆっくり景色を楽しんで新緑を満喫して下さい。この道は観光道路ではないので狭く走りにくいのですが注意して下されば問題はないはずです。
 また外の川方面の道も通れるようになりました。ここも雪が少なかったようで山菜も秋山と同じようなものでした。
 雪解けの水もおさまりつつありいよいよ釣り人で賑わう時期です。この頃が釣れるようです。

2013/05/22(水) 夏になったようなものだ
 このところカメムシはぐんと減っていよいよ夏になったようだ。夏になると外へ出て行き卵を産む彼らにとっては是非とも外に外にともがいている。去年の10月から殺し続けたカメムシは数えることが出来ないくらいの数になる。彼らのセンサーは非常に優秀で僕が捕虫ビンをもって動くとすぐに彼らは感知して逃げるものジッと動かないものといろんな対応をする。この家を二回廻って捕りつづけるのだがこの分ではもうすぐあらかた処分できたということになる。ずい分殺した。その見返りは僕が死んだあとに分かるはずだ。
 渋沢まで歩いた。橋がほとんど架かっていた。十二沢は基礎が壊れていたが渡渉は出来る。例年と比べて雪消えは早いようだった。

2013/05/21(火) 弁当考
 お弁当を作るようになったのはこの6年ばかりだろうか。外で仕事になると毎日のように弁当を作る。それも決まったもので15分から20分で作るのだから毎日同じようなものになる。母親が作る弁当もたいしたものではなくあの頃、昭和36年頃で男の子3人をかかえた母にとっては面倒なものだったのだろう。でもご飯には何時も海苔が挟まれていて、甘い卵焼きと塩鮭だったとおもう。だから僕も毎日おなじおかずの弁当でもいいと考えている。ご飯の上に当日ある佃煮やらっきょなどを散らせばそれで充分だ。きょうは先日の残りのハムやレバーを焼いてみた。少しご飯の量を減らしてみた。1合ほどだ。しかしこれでいい。

2013/05/20(月) 遊んでばかりいないでたまには仕事しろ
 ということで手伝いに出る。お客さんのお世話より仕事の方がズーッと楽だと思った。ただ帰って来るとカメムシが気になって1時間も退治しているのも変なものだと感じた。カメムシは家のガラスサッシの周りで交尾をしているようでここを頑張らないとまたぞろ大群発生に行き着いてしまう。だからである。一通り各部屋を廻って1時間なのである。
 聞いてみた話だと渋沢方面は谷にはまだ雪が付いていて急峻な沢を越えなければならないということだった。また奥志賀方面は24日の午後4時が開通予定時間だという事を聞いた。またたくさんの採集家たちが網を持ってチョウを追っていると。僕のチョウは人懐こいからほとんど獲られてしまうかもしれない。獲るだけを考えていたらいなくなるという道理が分からない採集家が多いのには困る。どうしたらその人たちを巻き込んでチョウを増やすことが出来るだろうかと考えてみたが取りあえず僕はチョウを殖やすことをしよう。

5月絵日記の続き


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