来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2012年4月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

直接移動: 20138 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200811 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200711 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200611 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200411 10 月 

2012/04/08(日) 春旅 前兆
 一昨日、帰った晩のこの家は冷え込んでいて布団から出す顔がいつまで経っても寒かった。昨日も一日雪が降って気温も上がらなかった。今日になって日が差し、春らしい気候になるのだけれど雨だれが忙しげに音をたてている。
 響灘の魚島を出て来島海峡を越えて今治に着くと藤堂高虎の再築された今張城を左に見て街に入る。今は繊維ことにタオルが世界的に有名だと聞いたが道行く人は少なく大きなアーケード街は寂しいばかりだった。
 翌3日は善通寺を見て岡山へ抜けようと予定していて出張で岡山に来るという東京の友人にも逢うつもりだからだ。
 雨は降っていたがその日の大荒れはちっとも考えなかった。駅では案内もなくそのまま列車に乗ったのだけれど新居浜の手前で動かなくなって特急列車に抜かれることになる。伊予三島で強風のため運行が出来ず新居浜駅ではホームが空かず動けないという。予讃線は多度津以西は単線であると若い車掌は言う。幹線が複線でないのはよくないというと1時間に特急普通上下各1本だからこれでいいと云われたがそのおかげで普通列車は何時も割を食うのだ。車両など古くても複線は大切だと四国の人は考えないのだろうか。それは余計なお世話だとしても代行バスに乗って伊予三島に着くと特急石鎚が入線していて切符がなんであろうと飛び乗っていた。風は時折強く吹くようだが心配はしなかった。多度津で乗り換えて善通寺に向かう時も風は強くはなかった。
 善通寺は弘法大師の生誕の地で真言宗善通寺派の本山で八十八箇所内七十五番札所である。昔は11師団が置かれたところで浅草のように賑わったところらしいが今はお遍路さんの観光バスばかりのように見た。参拝を終えた頃から風雨激しくなり駅に戻ると瀬戸大橋線は強風のため運行を見合わせているとちょっとエンタツもどきの駅員が対応に出た。予定のある観光客としては見合わせであるということでは済まない。がまだ事が深刻になるという予感はなかった。

2012/04/07(土) 春旅
 旅は非日常の具体化で若い頃はいつも変ったことを探して汽車に乗ったものだ。な〜にどこかに行きたかっただけで日常も非日常も格好をつけたいいわけだったけれど。
 いろんな所に行ってみたけれどいつからか日本の景色がどこも同じに感じられるようになって飛行機に乗っての旅だったり、生活に追われたりであまり旅をしなくなっている。今暮らしている所でいつも旅をしているようなもので汽車に乗らなくても充分乗ったのだからもういいと思ってもいる。だからいいのだけれど今回は徳山にいる13歳も若い友人と尾道で待ち合わし、瀬戸内海を渡って四国を見てこようと思い立った。丁度仕事で岡山に行くという他の友人とも逢い、いつもと違った西の方岡山でとは面白いだろうと考えていた。
 尾道は小津安二郎「東京物語」のもうひとつの舞台でいい町だと思う。そこから船で魚島という小さな島に渡るのだがこれは40年前か「旅」という雑誌の瀬戸内特集で見て行ったことのある島なのだ。生意気盛りでコートを着て茶封筒をもって格好をつけて島を歩いたように覚えている。今回はそんな小さな島で沖行く船を眺めて暮らすのも悪くないと考えたからで今年の雪で苛められた身としては老後の進化を願ったということもあった。
 尾道を朝1番の船で因島の土生。ここで魚島行きの舟に乗り換える。僕より若いおばちゃんが、魚島にはな〜んにもないよという声を流して乗り込んだ船に乗客は数えるばかりでこれでサクラが咲いていれば静かな旅になるのだがと見上げる島にサクラは見えなかった。瀬戸内は暖かいと思っていたが海風に吹かれるせいかサクラの開花は遅いと教えられた。
 今度は4月10日頃にまた来なくてはいけなくなってしまった。花と海と空でいい眺めだと思う。ブラブラ歩いていると「ここでは飽きてしまうのじゃないか」と友人に云われてハッとするのだが、確かにそうかもしれないと少し気持が引いてしまうのも本当なのだ。でも後10年したらどうだろうか。その頃は病院がなくてはダメなんだろうか。安直に住むということは云えないなと心は乱れるのだ。
 もしひと月借りられる借家や別荘のようなものがあれば体験暮らしが出来るのだが。
 13時に島を出て弓削で乗り換え今治へと向うのだ。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.