来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2012/04/29(日) 春が動き出す
 きのうは10時過ぎまで掃除が続いた。今日だって同じでお客さんが来るまで掃除なのだ。疲れて腹が減って力が出ない。
 ギフチョウは羽化したチョウと蛹を分けて確保している。先に羽化したチョウは放そうと思っている。掃除は見た目が大事だ。取り急ぎ片付けてちょっと見きれいにしてお客さんを迎えに対岸に渡る。
 仁成館前のサクラは一輪咲きだしていてつぼみははちきれそうに膨らんでいる。湯の旦那さんは1日には咲き出すと断言した。とすると開拓のサクラや川越しのサクラも準備万端ということだろう。お客さんの話では飯山線西大滝のサクラは満開だという。
 帰りにふと見るとコゴミが頭をもたげていた。一気に動き出したということだ。

2012/04/27(金) 続きの続きの続きの続き
 「泥の河」は良い映画だけれど片目で見ながら道具部屋の掃除を続ける。何というかゴミが山のようなのだ。去年も片付けたのだが年に2回はやらなければいけないようだ。それだけ片付くと嬉しいものだ。まだ捨てなくてはならないもあるが、毎日部屋をのぞいてその都度捨てることにしよう。本当にショウもないものが埋まっているのだから。何か身辺整理になってきた。
 広くなった作業空間で松戸の建築家に立派な看板を作ってもらおう。この家には看板がない。それでお客さんが戸惑わないようにという経営者の発想だ。開業して7年になるのにお客さんが少ない訳がそれなのかも。まっ遊びだが。
 ところで火鉢用の灰が欲しい人があったら上げましょう。篩いにかけた灰だからいいと思います。天気の良い日に灰を日に干せば最高です。風呂から出て着物に着替えて火鉢に肘を乗せてタバコを吸ったり、一本つけたりするのは大人の遊びでも上等のほうだ。

2012/04/26(木) 今日だって掃除だ。ちょっと…
 風が強い。時より雨がまじる。日も差す。仕事は進まない。
 奥の道具部屋の片付けには手間取ってしまった。とにかく何でも押し込んでいたのでゴミだらけになっている。途中で「若者たち」なんかを真剣に見ちゃったので明日また続きをやろうと考えている。この部屋には配管用の塩ビのパイプや電気工事用のコードやアンテナのケーブルやペンキや刷毛、網戸用の器具や障子貼りの小物やコーキングやグリース。電球や蛍光灯、鎌やモルタルのコテといったいざという時のための工具や道具が溢れるばかりなのだ。都会と違っていくら待っていてもホームセンターはここまで店を持っては来ない。だからいちいち買いに行くことを考えればある程度ストックを持っていないと何にも出来ない。この道具部屋はある意味大事な兵站基地なのだ。時間を掛けてもちゃんとしておかなくてはいけないのだが何時もゴチャゴチャなのだ。これでは戦争に勝てない。
 「若者たち」はやっぱりいい映画だ。フジテレビのデレクターが監督だったのは知らなかった。
 川を渡ってゴミ出しに行った帰りにお風呂を頂戴した。川は春の川になっていた。

2012/04/25(水) 暖かいからひとりでじゅうぶん
 ひとりぽっちでも仕事は進めるのです。
 起き出して食事前にいろいろと片付けの準備を始めます。メジャーリーグは点けたまま時々のぞけばいいのだからと昼まで動き回りました。朝と昼を一緒にとってNYの黒田投手を期待していたのですがダルにやられました。黒田も良かったからしょうがないのですがNYのファンにヤジられる黒田を僕は応援します。松井選手がタンパベイとマイナー契約。これからはTBを応援しよーっと。
 今日は網戸の取り付け、除雪用品の収納、布団干し、洗濯、おみやげコーナーの確立、雪消し用の仮設の池から水を抜き、灯油タンクの仕舞いこみ、居間の絵の模様替え、階段したの倉庫の掃除。とマー忙しかった。どこにもカメムシが湧いて出て掃除仕事は亀虫退治ということです。掃除の間にTVで「秋刀魚の味」を見ていたから頑張れたのだ。友人からメールで見てるかと来たからあったりまえだ!と打ち返した。「一人ぼっちですわ」

2012/04/24(火) わくわくするようで
 昼からだったがいろいろと作業にかかった。トイレの掃除に水をつないで温水便座を取り付ける。雪囲いを外して仕舞いこむとようやく春だぞ!春、春とワクワクする。部屋の窓を開け放って風を入れたり凍結防止の通水を停めたり、いよいよ「もっきりや」の営業が始まると感じる。これはあんまりウキウキしない。来てくれる方のためにどうだ!と言いたいだけなのだ。
 明日は玄関のおみやげコーナーを設置して奥の道具部屋を片付けよう。アッ部屋の掃除も洗濯もやらなくちゃ。野球も見たいしちょっと困るが、まず8時に起きて食事をする前にちょっと片付けてそれから野球か。
 今朝はフキノトウ、ヤマニンジンの天ぷらなんか作ってしまってあの苦さに体か反応したのかもしれないが探せばこの辺りにもフキ玉やニンジンがよく見れるようになった。

2012/04/19(木) 女化神社
 牛久にある女化神社には桜の林が植えられて、咲いていればなかなか見ものなのではと行ってみた。神社の宮司は昨日ならまだ良かったですと話した。確かにほとんど花は散り果てていた。お宮参りに切り替えて頭を下げて帰って来た。車検が予定より少し安く済んだので一番経済的なナビを入れてテストに出たのだか安いぶん画面が小さく見にくいのだがこれで十分だ。タイヤもそろそろだと言われたが秋まではガマンしょう。調べてみるとこっちの方が選択肢が多いようだ。
 掲示板に亡父長谷川末夫のスケッチを載せてみました。

2012/04/15(日) 東京のさくら
 多摩川沿いに植えられたサクラはその半分ほどが昨日の雨に打たれてしまいましたがそれでもきれいなものです。車椅子で父と散歩でイヌと歩いたサクラの下は年々歳々顔ぶれは変わってもそれぞれの憂愁をひきつれて通り過ぎます。サクラには人の喜びを咲かせ、人の愁いを散らすような気がするのです。
 用事の時間まで東京のさくらを探しに行きます。

2012/04/13(金) オチョコチョイのギフチョウが
 切明温泉に預けたギフチョウが2つ羽化したと連絡あり。まだ雪の山で雪の消えた所でも花など先のことのように思っていましたからサー大変ということになります。チョウの先生に連絡するのですが共に困ったという話にしかなりません。入れておいたスチロールの箱は保温性が強いのですが置いていた場所が温かかったようです。今放しても死ぬことは明らかなので羽化した2羽はしょうがないのですが残りの蛹は箱のまま雪のなかに埋めてしまうより仕方がないのです。そうするとここにいて玄関の上げ蓋に収まっている蛹が気になります。ここのは素焼きの鉢に入っていて外気温と連動しているから大丈夫と思いますがとても気になります。明日からここを離れるのだから明けて様子を見るわけにも行かずこのままで勝負ということにします。
 用事で武雄さんのところに行ってみると一株雪割草が花をつけていました。だからと言ってこの雪のなかに放すわけにはゆきません。僕も雄川閣の方もこの応急処置が功を奏することを祈るばかりです。勉強になりました。これは来年の教訓になります。
 つまりそれだけ暖かかったということです。

2012/04/10(火) 春旅 打切
 3日続けて暖かく雪もずいぶんと消えたように見えるのだがまだ1.5mはあるのだろうか。
 岡山駅前の漫画カフェで狭い椅子に一夜を過ごし朝のコーヒーなんかを飲んでから今まで一緒だった山口の友人は西に帰って行った。出張の友と神戸まで来て壊れたかかとを直して元町、三ノ宮を歩いたのだけれど何となく渋谷っぽいだけだった。その後中華街を歩いたりしたのだが少し疲れて早めに眠っていた。会社勤めの友人は一番の新幹線で東京に向って去った。ゆっくり宿を出てブラブラと大阪城のサクラを見に出かけた。まだ2分咲きの花の下を中国や韓国、ベトナムの観光客のあとをついて歩いてみたがひとりで歩いてみても少しも面白くない。ひとことも喋らないのだからしょうがない。彦根城ではひこニャンひこニャンひこニャンニャンとうるさい音頭のなか城を見学したけれども何の好感もなかった。このお城を世界遺産にしようと看板を立ち並べてもひこニャン音頭では世界遺産には届かないし無理だろうと思いながら長浜の観光地を歩いたがこれも確かに観光地だった。
 一晩ここで泊まって朝早い列車に乗った。十日町に向う列車が犀潟を出てトンネルを越えると一面の雪景色に変った。
 ひとりでずーっといたのならばいいのだけれど旧友と歩く面白さを味わったあとでは今回の旅も、もういいだろうと切り上げるしかなかった。結局サクラを見つけることは出来なかったがまた今度もう少し年を取ったら瀬戸内をあるいてみようと

2012/04/09(月) 春旅 勉強
 日が差すとアオゲラがやって来てトントントントンと軒を叩く。今日はアオゲラと交ざってタタタタタタタタタタと小刻みに打つ違った音がした。コゲラかと思って外に出ると見えたのはいつものアオゲラだけだった。彼らはあのカメムシを食べに来るという。
 さて四国から本州に渡る術を失った僕らは善通寺の駅でない頭をフル回転させて方法を講じてみた。昔の宇高連絡船を思い出したまでは偉かった。船は走っているとフェリーは云う。エンタツ駅員にその旨を伝えるといや〜勉強になりました。といやに素直に手柄を褒めてくれた。やって来た特急に乗って見たが列車は次駅の多度津で打ち切り、後続の普通列車に乗り換えてくれと云うアナウンスのままホームに立つのだが乗客で溢れるくらいになっている。特急の車掌は列車は4両で来るというので待っていると何の事はないいつもの2両連結だった。車掌にしてやられたのだ。
 高松から宇部に向うフェリーは着岸しているし宇部線もホームで接続するという。それならばいいだろうとにやけていたのだが着いてみると、強風のためフェリーは運航が取りやめになったと改札で言われると、今度は乗客たちがやくざになって駅員に詰め寄るのだ。ここにいても埒もないので取りあえずバスを探すが走らないとの返事。では港へ向かうと大きな船が沖に向って走り始めている。聞くと宇野行きの船だという。何と5分早やければ間に合ったのかと思うと、とたんに今日会う予定の友人の顔が浮んできて居合わせたJRの職員を詰ってしまった。JRとふたつのフェリー会社、本四架橋の公団、バス会社がよくあるというこういった状況に対処する方法を作るべきだとナマを云ってしまったのだがその後の5時間何の情報も与えられない通路の椅子に座って考えてみた。
 四国という所は大昔からそういったところで平安時代は島流しの流刑地だった。だから今は3本も橋が架かっているのだがその橋にしても完璧ではない。いつも割を食っているここの人たちは風が吹いたり台風が来て本州に渡れない不便を託っているわけで、たまにしか来ない観光客はいくら文句を言っても運行が再会されれば直ぐに船や列車に乗っていなくなってしまう。足止めを食う体験を大事にしてここで暮らす人の思いを考えればいい旅になるのではといった対応の大人っぽさを考えてしまった。地震にしろ津波にしろ強風にしろそれで騒いでいても何にも思うようには行かないのだよと。さすがお遍路をもてなす国柄を分かったように思えたし、観光客としてのわがままをどうしようと反省をするよりなかった。
 それにしても風はそんなに強くはないのだがな。
 宇野では列車が走らず代行のタクシーに乗って岡山には深夜の到着となった。ホテルはキャンセルしたしようやく見つけたインターネットカフェに入り込むまで長い一日だった。かかとの壊れた靴を眺めながら靴修理店を探しながらどうにか朝を迎えるのだ。

4月絵日記の続き


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