来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
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2011/08/16(火) 豪雨被害の道を
 朝の8時にここを出て津南、十日町、越後川口から高速で三条燕。8号線を横切って289号から高屋敷で290号。五泉で49号線に入った。行く先々で僕が見るのは今度の豪雨の惨状だった。どうも3.11からこっちはいいことがないと感じながら裏磐梯に着いたのは2時を少し回っていた。喜多方では多くの観光客が地図を見ながら屈託なくさまよっているのだけれど彼らは何を観光しているのか僕には分からなかった。喜多方ラーメンでもと店に入ると座る席さえないようで、代わりに入った店のチャーハンはどうもチャーハンとはいえない代物だった。
 ところで裏磐梯の友人の家はとても現代風で都会のマンションのように快適で彼はいい玩具を買ったように楽しんでいる。いったい幾ら位するのか彼は話さないが折角ある家なのだからみんなで寄ってみるのもいいのかも知れない。経費として1泊2000円?ほどで泊まれればとてもお得なのではと感じている。さて彼が何と言うかは分からないが。

2011/08/15(月) 一度でも空を飛びたい
 夏休みを休んでいる。な〜んにもしないことで体の調子も良いようだ。月内には風邪も回復するだろうが夏風邪は面倒なものだと身をもって感じている。
 12日に見つけた右の羽根に奇形のあるクロアゲハのことだが蜂蜜を与えたりして飼育箱に保護していたのだが昨日は部屋に放してみた。ズーッと網戸に止まって外の匂いをかいでいたようだ。蝶に生まれて一度も飛ばないで終ってしまうのはかわいそうだがかといって飛べないままに外に出してもと困っていた。どうして昆虫のアゲハチョウのことに気を悩ますのか僕としても笑っちまうのだが見つけてしまったからとでも言うしかない。カマドウマやカメムシは夢中で殺すのに。如何なものだろうかとちょっと考える。まっそれはいいのだけれどそのアゲハチョウだが僕が近づくとばたついて飛び去ろうと必死のようだった。そこで部屋の中央で飛ばすと少し舞うようなのだ。「これから君を外に放すが、外はいろいろだ。それを承知で必死に生きろ」と諭してから網戸を開けた。14:17クロアゲハは思いのほかいい風に乗って飛び去って行った。これには驚いたが見つけたときは羽化したばかりだったのだろう。何日かして筋肉も落ち着いたということなのだろうか。羽根の傷はおそらく蛹から出るときに何かに引っかかったのだろう。長生き出来なくても思い切って浮き上がり風に乗って空を飛んで1回でも本物の蜜を吸って見れればそれで上等だ。上手くすれば卵を産むことだって出来るかも知れない。クロアゲハはそれでいいのだが実は家に入って来たキアゲハの幼虫を親指で踏みつけてしまった。死ななかったものだからそいつのいく末も面倒見る羽目になっているのだ。ここは病院ではないのだがな〜
 ちょっと休みすぎると惰性に流れるので明日は喜多方の先の知り合いの山の家に遊びに行ってこようと思う。だから日記は書きません。ところで小出からシルバーラインで平が岳、鷹ノ巣には新潟からは通行不能で一切行けないとのことだった。魚沼市、旧湯之谷村の職員は福島側のことは一切分かりませんと自身満々だった。

2011/08/14(日) パーティ
 きのうの登山隊は7時半にご出発なされ、今日のご家族は9時には離れていった。ひとりになって蝉の声と水の流れる音を聞いてようやく生き返った心地がしている。やることを終えてホッとしているのだ。夕方になるとまた違ってちょっと心細くなるのだろうがいつものことだ。そんなときははるみちゃんでも聞いていれば元の自分に戻れる。僕の方程式を使えばいいだけだ。
 きのうはここではめずらしいスカート姿のちょっといい女の方が立ち寄ってくれたり、しばらく会えなかった家族とそりゃーもうワイワイガヤガヤで飲むは呑んだり、サザエを4個も頂いたり焼肉の煙で煙探知機が2回も作動したりで大騒ぎだった。たまにはこんなこともなければ人生面白くないだろう。だからご婦人達には感謝している。男どもには一切そんな感情は持たないが。
 今朝のことだがよく眠れたでしょうかとお伺いを立てると「敷布の匂いがよかった」と思っても見ないご返事を頂いた。「今は敷布をお日様では干さないから」と続けられてな〜るほどと得心した。便利になるとホテルでも高級旅館でもリネン専門の会社が現れて僕らからお日様の匂いを遠ざけてしまう。サービスが何であるのか分からないがお日様で干した敷布がそのなかの一つであると教えてもらった。でも時期によるとカメムシが洗濯物を汚すこともある。が、それも自然というものへの経験になるとしたらそれもサービスのひとつだろう。

2011/08/13(土) これっくらいの〜おベントバコにィ〜
 もっきりやでは毎年このお盆のころはお客さんが少なくていい塩梅なのであるが今朝は苗場山に登るお客さんがお弁当を持って8時前にここを出発していった。真夏のおにぎりはやはり注意して作らなければならない。もう20年も前だけれど鳳凰三山を登っていた時薬師小屋で激しい下痢に見舞われて動けず小屋の番人に「体は自分で直すものだ」と言われて「こんちくしょー」と思ったことがあった。原因はおにぎりで傷を持った手で握ったサルモネラか黄色ブドウ菌だったのだろうと考えている。その晩はそれこそ何十回も汚い便所で吐くやら出すやらで苦しんだ。ちょうど台風が来ていて少し良くなったのを見計らって蜂蜜とコンデンスミルクを舐め舐め青木鉱泉に下ったことを覚えている。その晩は雨が激しく朝方た建物から出されて何処かに避難したことを覚えている。道は寸断され一日閉じ込められた後、村のマイクロバスで遠回りして帰ったことがあった。そんなわけでこの時期のおにぎりは極力作らないことにしているのだが困っているのを見過ごせないもので注意して作るしかない。ご飯を炊いてお櫃に移して粗熱をとってドクターベントンが手術に向うようにきれいに何回も手を洗い、おにぎりセットを用意して再び石けんでよく洗いアルコールスプレーで消毒をした。握ったおにぎりが冷めてから海苔で巻いて沢あん、火を通したソーセージとピーマンの佃煮を入れてパックを新聞紙でくるんだ。新聞は震災前のやつにしてやった。まだ元気だったニュースを読みながら体力を作ってもらいたいからだ。もう3時を過ぎたのだからどうか何の問題もなく下山してくれたと信じている。
 そう云えば鳳凰三山では左足ヒ骨を折ってしまったことがあってどうもこの山でのいい記憶はない。以来登ってはいないのだけれどこの山が僕の山岳レベルにあったいい山だったとこの頃良く思い出す。
 懐かしい家族が来てくれたので今日はいい加減な日記になった。これでいいのだ。

2011/08/12(金) 助手
 ドン・キ・ホーテにはロシナンテス、ローン・レンジャーにはサン・チョ・パンサ、シャーロック・ホームズにはワトソン君、明智小五郎には小林少年、鞍馬天狗には杉作と世界の偉人にはその仕事をサポートするこれも何だか可愛げな助手がいた。ロシナンテスが従者だったか馬の名だったか忘れたが更に言えば三蔵法師には孫悟空がいたじゃないか。
 今日はちょっとした手伝いに栄村の中を走り回った。3月の地震で被害を受けた橋梁を調査する方に頼まれて切明から五宝木、北野から更に千曲川沿いの橋を見て廻った。橋梁のラーメン構造は僕には分からないのだが掛けられたばかりの橋や林道の先の打ち捨てられた橋には何というのかロマンを感じてしまった。TVの熱中人のこだわりを理解した。
 秋山郷は栄村の中にあって辺境に位置し本村の事情に疎い僕にしてみればいい勉強になった。長野県内にある何万もの橋の消長を探してみるというのも結構いい時間稼ぎになると僕は思った。

2011/08/11(木) 夏のすごし方節約タイプ
 いろんな暑さ対策がある。その中でちょっとユニークなタイプを紹介しよう。
 一昨年の夏だったか林道沿いにテントが張られて関西方面のナンバーを付けたRV車がそばに停まっていた。その持ち主は約ひと月ほどそこに滞留してそのうちに家族も合流したようだった。どうも道の脇だったものであんまりいい印象はなくずいぶん危ういものだと僕は見ていたことがあった。彼らは河原の湯に入ってそこで自炊して野外活動を楽しんだわけだ。その後そこを訪れてみると片付けられたテントサイトに子供の字で「ありがとうございました」と書置きがあった。僕は危うさは消えなかったがいい方の旅人なのだろうと納得したことがあった。去年は見かけなかった。「来ないね〜」とちょっと寂しく思った記憶がある。
 今日の午後のことだけれどその前を通る用事があり走っているとそのテントサイトに懐かしい色のよりよくなった簡易別荘を見た。その場所はいい水がありステップまで作られていたから良い夏を過ごしているのだろうと想像した。きっとゴリラのような屈強なおじさんがランタンで灯りをとってラジオを聴きながらイタリア料理を作っているのだろう。テレビやクーラーに毒された今時の観光客と比べると実に新しい画期的な夏の過ごし方だと思っている。こんなことを書くと何処かのまねっこ小僧がやって来てそのテントサイトを占領してしまうかも知れないが、僕がチラッと見た屈強なおじさんの押し出しの前ではとても対抗出来るものではないと見ているのだが。
 ところで便所はどこに作っているのかととても気になっている。

2011/08/10(水) 津南病院待合室
 ゴロゴロ目はまつげが刺さって傷を付けていたと眼科医はこともなく言った。久しぶりに訪ねた町の病院は朝の8時には溢れるような人の波でむせ返っていて、僕は若い患者の一人のように立ち尽くしている。まづ、受付がなかなか大変で朝の8時にはすでに多くの人たちが順番待ちで並んでいるのである。各科の医師はいろんなとこから通ってくるようで慈恵会医大や帝京医大などの医師たちが交代でこの地方の患者を支えてくれている。もちろん医者も大変なら患者も大変で危うい関係の中でどうにか病気を治しているようだ。僕はこのシステムでいいと思う。医者が来てくれてくれさえすればどうにか僕らの病状は改善してゆく。ダメなものはどこに居たって同じだろう。あまり待ち時間が長かったので隣の図書室で時間を使ってから診察を受けた。朝早く家を出たけれど痛い左目も良くなって安心した。
 「もりあおがえる」の中島さんとばったり逢って、彼が言うにはyoucubu(ユーチューブ)の動画サイト東北大震災 相馬村を思うを検索して見てくれといわれた。見ると蕎麦打ち名人の、坊主頭の、尺八、穴山の怪人の名調子が聞けた。是非 東北大震災 相馬村を思う を見てやってください。なかなかです。
 きのう見たカラスアゲハの写真で今日は誤魔化そうと思う。

2011/08/09(火) 雲に映る夕焼け
 風邪の次は左目が昨日からゴロゴロしだしてどうもいけない。涙は出るし薬はないしで困っている。あんまり格好のいい病気ではないが指先に棘が刺さっても飛び上がるのだからしょうがない。この辺りには眼科という町医者はない。たまたま明日は津南病院に眼科の医者がやって来ると聞いたのだ行ってみるかと涙を流しながら思っている。どうも眼球を傷つけたようだ。
 今日は夕立はなかった。昨日の続きの作業を終えて会津の方に頼まれた行者ニンニクを集めていた。2時間も外に居たようだ。今度の風邪は長く続いて何ヶ月も抜けない人がいたり、肺炎になる人もいると聞いた。
 今日で引っかかりでカゴに入れたクロアゲハはみんな羽化したし作業中にはミヤマカラスアゲハがたくさん集まっているのも見た。キアゲハの幼虫がアカソという草を震わせて怒っていたりやはり外に出ないと何にも分からないものだと思った。
 ところで昨日の夕方だが夕日が入道雲を染めていた。すっ飛んでいって写真を撮ってみた。ザンビアの夕焼けとは比べるべくもないがちょっと気に入った。

2011/08/08(月) ゆっくり生きろ
 私の前に逢ったことのない祖父の写真がある。たった1枚しかない写真である。肋骨が浮き出るように瘠せた胸をよれよれの着物からのぞかせ、頭を右に幾分かかしがせてしゃがみこんだ膝に手を組んで困ったようにレンズを見ている。子供の頃から仏壇にあってよく見ていたのだけれどちゃんと見たことはなかったように思う。彼は慶応3年の生まれで江戸時代の人ということになる。明治39年の鉄道国有化で失職した祖父は定職もなく失意のままで生涯を終えたと聞いた。
 そんなことを思い出したのは同じようなよれよれの夏物の着物を着て一日を過ごしたからだろう。その間に2台の車が入って来てそのうちの1台からは人の下りてくる音がした。訪ないがなかったから玄関に出ることもしないで本を読んでいた。そんな自分の子供っぽい困惑にいら立って、ふと見やった祖父の姿や心情が分かるように感じたからなのだが、山の中で引きこもっていてもしょうがないと今日はガラスを拭いたりMロードの側溝を掃除しに出てみた。暑さを避けて午後に仕事を始めると1時間もしない内に夕立が来て「ゆっくり生きろ」と祖父さんに言われたように思った。

2011/08/07(日) 生活の実感
 「オレは生活の実感なんてないよ」
 5ヘクタールの畑と四つに組んでひとりでそばの種をまき終えた友人はそう云うのだ。5ヘクタールの広さが5万平方メートルで約6町歩だと云われても僕には想像も出来ない。それをひとりで小さなトラクターで耕し種をまく男に生活の実感がないといわれると僕は困ってしまうが生活の実感なんて人それぞれだと種まき貫徹集会を二人で始めた。だから今日は特別に刺身も買って来て久しぶりに賑やかな卓の上になった。
 風邪でなければ僕も1日は手伝いに行く予定にしていたのだけれどそれが出来なかったことへの詫びも入っている。朝になって忽然と消える前に良く飲んでよく唄って二人の坊主頭が出家のように屈託なく笑っていた。
 いつものように起きだして一日養生専一に本を読んでいたのだが降りだした夕立と激しい落雷にいつまでもグズグズしているなとカツを入れられた。

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