来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2011年8月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

直接移動: 20138 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200811 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200711 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200611 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200411 10 月 

2011/08/30(火) 助かった
 ハツリの仕事の他に従来の仕事が出た。それの担当に今日明日、僕の仕事になった。仲間にはちょっと済まぬが気を使わせて仕舞った。
 まず朝が1時間遅く起きても間に合うのは嬉しい限りだ。午後にはいい風も貰って秋の風情を楽しんだ。このところカシノナガキクイムシの被害がナラの木に及んでいないと感じていたのだけれど今日はナラの葉がずいぶん落ちていた。このナラ枯れの元凶の虫は気温と関係があるのかもしれない。暑い時期は見られなかったが気温が落ち着くとそれが顕著になるようだ。
 この辺りには夏のアブがワット湧く時期になるとアブが川筋に集まってくる。するとその時期大雨が降って水量が増しアブを押し流すことがある。アブ流しという。今度の台風がそうなのかは分からないが大雨よりかアブの大群の方がましだと思う。

2011/08/29(月) 疲労回復のため
 今日は仕事を休みにさせてもらって体力の回復に努めた。先週は仕事も仕事だったし関東外周移動で疲れてしまった。こんな時は呑気がいい薬になるはずだ。
 折角きれいに片付けられたもっきりやを汚さないように抜き足差し足で歩いたり片付けられてどこにあるのか分からなくなった笊を探したりしていても、自分のところにいるせいかゆっくりしていられる。生活はこうでなければいけない。還暦を過ぎて目を赤くして働いたり相談に乗ったりするのにはくつろいで力のバランスを上手に塩梅しなければ先が見えなくなってしまう。だから帰って来てきれいに片付けられた部屋にいると何倍も落ち着くものだ。ここに来る人にそんなことを期待するものではないが昔から友だちのようにしている方々には甘えさせてもらおう。

2011/08/26(金) イワキまで6時間
 イワキの従兄弟に呼び出されて磐越道に乗ってイワキに向う。この道は12日頃に喜多方に向かったばかりでその時は三条燕から下道で向かったのだが今回は越後川口から新潟市を通って行くので大回りになる。何だか無駄のような気もするのだが大雨の予報もあることだしテンと磐越道に乗り続けた。この道は会津まで半分以上は対面通行でトンネルが多くはつりで疲れた体には少々きつい。60才の頃から車の運転も下手になって110k以上出すとどうも緊張するようになった。ことに左カーブになるとハンドル操作も鈍くなるように感じる。以前は軽自動車で130kも出して走っていたこともあったのだがもうそんなこととても出来ない。100kをハリが指すとアクセルを直ぐ戻してしまう。それでいいのだが磐越道は通行量が少ないのでちょっとスピードを出したくなる。とたんに対面通行になってアクセルをはなす。そんなこんなでとにかく疲れた6時間だった。
 東北道を越すと道は震災の影響で波打つようになって工事車両が目立つようになる。イワキは例の発電所も近く津波もひどいもだったようだ。時間を作って小名浜港を覗くことも出来たが今更そんなものを見る気も起らなかった。従兄弟の用事は一日では済まず、平駅(今はいわきだという)前の安ホテルに泊まることになる。この町は福島県のなかでも福島、郡山に次ぐ規模だと思うのだが駅前は何というか寂しいものだった。第一発電所の影響は何キロ以内以外に関係なく人々の気持から元気を吸い取ってしまっているように感じた。何だか福島県が消えて行くように僕には映った。

2011/08/23(火) 丁稚奉公
 今日のお仕事は想像を絶する疲労を僕にもたらしてくれたコンクリートをハツルのだがハンマードリルも21kもあるハツリ機をもっての作業に手もあがらないくらいだ。御普請組とは違った作業は今週一杯は続くのだが僕の体はちょっと持たないかもしれないと感じている。平成の今だからそんなことも言えるが戦時中の日本陸軍の初年兵だとしたら逃げるに逃げられないだろうし食い物も休みもないのだから僕は戦後の生まれでよかったと心底から思う。弱兵にしてみれば死ぬほど辛いことだろうと思うし今までの御普請組の慣れた作業に戻りたいと思っている。
 この頃の寒さは全国的だそうだが、ここでは洗濯物が乾かなくて困っている。皆さんもそうでしょう。

2011/08/22(月) お盆の間の過ごし方
 久しぶりに弁当を作って仕事仲間の顔を見て来た。天候のことや地震のこと、僕ひとりで騒いでいるようなのだがそうしないとみんな喋らない。賢者の風格でコーヒーなんかを飲んでいる。それじゃつまらないから喋るのだがその話の中で返ってくる返事にこの辺の情報を汲み取っているのだ。何だかエージェントのようだが、何でもサルが出て作物を荒らす。そこでお盆だといって家で遊んでいるとサルにすっかり荒らされてしまうのだそうだ。サルは南瓜が大好きで両腕に南瓜を抱えて逃げていったり、トウモロコシは実が成る前が好きなんだそうだ。僕のところにサルが出ないのは「お前さんのところはな〜んにも成り物がないからだ」と適切なご指摘を頂いた。
 さて明日からは5時起きで本村のほうに手伝いに出るという。僕は5時に起きて弁当を作ってから7時に仲間の車で事務所に向かうことになる。帰りも大変時間がかかるようだ。出たくはないが客もいないし仕様がないから、取り合えず明日は挑戦してみよう。
 例の節約タイプのテントだがもう2週間ほどエンジョイされているようだ。先達ては2台の車が止まっていたという。やるもんだ。

2011/08/21(日) もしかしたら
 昨晩から気温がぐんと下がって外で18℃、居間で20℃とすっかり秋のようだ。ジャンパーを引っ掛けてちょうどいいくらいで布団から出られない。
 昨日から続いているのだが山鳴りや縦に1回ドンと体が持ち上げられる地震のような揺れがある。それが少し間隔が詰まってきたようで、そう1時間に1回ほどガツンと体感できるようになった。あの時に向かって逆戻りして行くのじゃないかと体が揺れを感じる度に思う。そう云えば会津でも同じように山鳴りを何回も感じた。とすると東日本の山間部は同じように山鳴りがあるのだろうか。ちょっと気になる。
 寒くなったり日が暮れるのを早く感じるようになるとこんなものなのだろうか。でもテレビの予報では9月になると再び残暑だという。暑ければ暑いで寒くなるとなったで人は弱音を吐く。こらえ性のない存在になってしまったと感じるのだが、それは僕が感じるわけで僕だけだも知れないが。
 

2011/08/20(土) 子供の頃は
 先日北会津で夢を見たような気がしている。どんな夢なのかまったく思い出せず、夢を見たことさえ判然としないが、今日小用に立ったときにその断片をふっと思い出した。「あなたは小屋を作って楽しかったですか」と中年の婦人が僕に問いかけていた。返事をしたのかその後どう続いたのか思い出せない。小屋というのは22歳の頃、湯之谷村鷹ノ巣という辺境に建てた営業小屋のことで参加した仲間はひとりを残して逃げ帰った。その小屋も去年撤退して無人になっていた。残った小屋を見て会津へ出よう思っていたのだが7月末の豪雨で道が寸断され近寄ることは出来なかった。小屋を作ったこともひとりにすべてを負いかぶせるようになったことも責任は僕にもあると考えている。
 だから今ここで暮らしていることとつながっているというのでは断じてないのだが高校を出たばかりの子供っぽい正義感で世の中のあり方を批判してデモにも何回も出たし石も投げた。逮捕寸前に機動隊員の手から必死で逃げたこともあった。この世の中の不正にまみれるのならと考えた小屋だったがどうもそこのところが若かった。僕の青春なんて実に子供々々したものだと苦労知らずのまま思う。
 昨日Mロードに倒れたヤナギの木の枝を切って通れるようにしたのだがまたずり落ちてきた。そこでトラックの荷台に乗って枝を再び切った。車は通れるようになったが雪が降ると今度は幹が落ちてきて春に難儀をするようになる。切らなければなるまい。若い頃の夢見心地の生き方の付けが廻って来たのだろう。これも致し方ない。
 昨日から今日にかけて気にかかる地震が続いている。

2011/08/19(金) 夏の佃煮
 指先がヒリヒリするのは午前中に辛南蛮とピーマン、しし唐の佃煮を作ったからだがいつまで経ってもこの感じは消えない。ハバネロという赤ん坊の握りこぶしくらいの激辛の野菜の場合はこれはまたその幾倍も激しく、忘れて小用にでも行ったひには飛び上がるような痛みが走るのである。だからハバネロはカルメンに任せることにした。
 私の家では昔から梅雨の頃は青梅を切って塩水に漬けて食べ、夏になると決まって葉唐辛子を佃煮にして食べていた。祖母は水戸の出でそれらを母に伝授した。母方の祖父は広島の人でのち姫路に住まいしたという。やがて外科医になって佐久間町で開業し帝劇や国技館また東京駅の嘱託医もやっていたようだ。昭和5年に祖父が他界すると祖母も母もずいぶん苦労したようである。戦争になって母方の伯父は二人応召しビルマ、満州でそれぞれ戦死している。そういった家に伝わるこういった料理は庶民の食卓にはよく似合っていた。今でも家ではこの頃になると家族総出で葉唐辛子の佃煮を作る。といっても作り手はずいぶんすくなくなってしまったが。
 こう言う私も葉唐辛子は大好物で暑い夏をこれひとつで乗り切るのである。葉唐辛子は収穫してその日に葉をむしり洗い茹で、生醤油で煮て作らなければならずここでは素材の栽培をしてないので無理のようだ。そこで、南蛮やピーマン、しし唐を用いてもどきを作り上げる。今回は3時間立ちぱなしで鍋ひとつを作った。これを冷凍にして置くと一年間私はいなくなった家族のことを思い出し続けられる。

2011/08/18(木) プロパンガスコンロ入れ替え
 これから大雨が降るとテレビが言っている。栄村も名指しで指定された。だから大雨と大水が出ると考えた方がいいだろう。しかしだからといってどうすればいいのか分からないから家の中に入って何かが起こるのを待つしかない。何も起らなければいいのだが今年の状況は何があっても致し方ない。覚悟はしている。ただグズグズと苦しんで最後を迎えるのだけはやだな〜と思っている。
 若い女の方が帰った後でお米を精白しようとしたのだが虫が発生してその虫退治に手間取ってしまった。お米によく湧く虫で唐辛子でも入れておけばよかったのだが忘れてしまったのだ。フルイで少しずつ虫を取ってゴザの上に拡げて天日に当てた。先達て精米器が壊れたのだけれどそれは米が湿気ていたということだった。だから虫が湧く原因になったのだが僕は気が付かなかった。また今年は少し暑いというのもその理由だと今は実感している。
 ようやく昨日手に入れたガスレンジを取り付けてみた。あんまり立派過ぎて使い慣れるまでは脇に取扱説明書を置いておくようだ。老いてくるとこういった新しい機械に慣れるというのは大変なことになると感じている。

2011/08/17(水) 会津高田駅
 裏磐梯の彼の家を出て奥州二の宮と云われている伊佐須美神社を廻ってから帰りにつた。伊佐須美神社は20年ほど前に父と訪ねたことがある。もっと素朴な感じだったが今回は新しく作られる何とも派手でお粗末な新殿の予定図を見てその神々しさを感じることなくそこを離れた。只見線の会津高田駅にはまさにいま入線する上りの列車を眺めることができた。災害にめげず走る列車にこそ僕は神々しさを感ずるのである。只見線は会津宮下で折り返し運転という。また磐越西線は三川近くで路床が阿賀野川にぶら下がるように落ちて線路上には枕木が置かれていた。この分だともしかしたら年賀状をもらえないこともあるなと覚悟した。

8月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.