来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2011/06/18(土) タミコを祭神にでもするか
 70を過ぎた遊び人の発想はなかなか面白い。
 索道が玄関から見えるように邪魔になる枝を払って、その枝を集めて一斗缶で煙を出して遊んでいたり、池にソーラーライトを置いて虫を岩魚に食べさせるべく準備したり、燻製製造機を作ったり、車を側溝に落としたり、煙突のドラフトが悪いので僕を屋根まで上げて煙突を掃除し結局ストーブの中の排煙装置の操作に原因があることを突き止めたりと僕には思いつかない思考回路を持っている。日本の歴史の中で最高の時代を生きたA氏は最後にこんなことを言ってお帰りになった。
 「玄関から見える大きな木の祠に神でも祭って、注連縄を張ってみたら面白い」「そりゃ〜いいね」と応える僕はタミコをそこに葬って祠の中にお寺だか神社だか分からないものを作りなかに気の利いた岩でも置いたらさぞ立派なものが出来るのではないかとひらめいた。僕が死んだらその骨のひとつも入れてみてもいいと考えがつながった。桂の木は信一さんがワサビを作るに当って日当たりが悪いということで切ったのだが、いつぞやきこりの若ちゃんがこの祠を見てお酒とか塩とかを撒いていたのを思い出した。何年かすれば朽ちてしまうとしてもちょっと面白いイタズラだと思った。これはやろう。そこで今日は草刈をしてみた。

2011/06/17(金) ヒカリコケやら…
 ヒカリゴケは5月に見たときと比べて光り方が強くなっている。毎年そう感じるのだけれど暖かくなってこなくては光らないものなのだろうか。僕には分からないがいつもそこを通る時は腰をかがめて眺めてしまう。今年もよろしくといったところだ。
 山ではウツギが満開でチョットどぎつい色合いなので好きではないが、ヤマツツジやヨウランツツジ(?)と次から次へと楽しませてくれる。そう云えば桜草も気がつかないうちに咲き出していた。もっと前に咲くものと思っていたせいか、絶えたと思ってしまった。5月のうちに一度草を刈っておくことが大切なんだろう。めんどうなものだがしょうがないか。
 池の前のアイリス?も咲き出したし池にソーラー電球も付けたし長期滞在のA氏はドラム缶を加工して燻製製造機まで作っていた。人がいると疲れるけれどそれ以上におもしろい。ことにA氏ならば。

2011/06/16(木) 季節も人生も過ぎ去るのは瞬間である
 山はあっという間に春から夏へと変ってゆく。春の桂の芽吹き、山桜、ブナの早緑は厚い緑に覆われてゆく。吹き抜ける風にそよぐ木の葉の季節になった。
 今日はもっきりやの用事で講習に出かけるのだが、道に立つ政太郎さんを見つけた。「昔、この山に植えたワサビがどうなっているか見たくて」と87歳になる政太郎さんは山を見上げていた。講習の帰りに斜面に腰をつけて山を見つめている政太郎さんを見た。まるで杜甫や老哲学者が昔を懐かしむように座った姿に僕は感動を覚えた。
 戦争に持っていかれ、帰ってここの開拓に力を注いだ政太郎さんの人生を考えざるを得なかった。機械のない、道すらほそぼそと付くだけだった時代を生き抜いてきた世代の汗と涙と喜びと矜持に感動した。僕らの時代では考えられない世界が50年前まで続いていたのだ。どうしたら彼等の人生をつなげて行けるのかと涙を流した。

2011/06/15(水) 山で見かけた宝物
 昼に弁当を食べながらふと見ると白いスミレを見た。その株は少し青みがかっているのもあるがほとんど写真のような白の花だった。こういった花の遺伝子を調べて多様な色のスミレを作るのだろうが、園芸店には多種多様なスミレが売られているのを思い出した。つまりめずらしい花ではないのだからそのまま山に置いて来た。それでもチョット可憐できれいな花だと眺めながら弁当を食べ終えた。仕事をからの帰り道にサイシンをつまみながら来たのだけれど実に曲のない草だと思った。しかし考えてみるとこんなつまらない草を敢えて選んで食草とするチョウは思慮の深い種なのかもしれない。どうも親ばかになった。
 池の岩魚について考えていた。ムッシューAは池の上に電球をつければ集まってくる虫を岩魚が食べるだろう。しかし電気ではもったいないからホームセンターで売っている太陽光で発光する明かりではどうかとなった。ムッシューAは兄貴になった。

2011/06/14(火) ウスバサイシン
 仕事の帰りにウスバサイシンを集めた。粉のようなフンをし始めた我がギフチョウは元気に食草を食べ始めているから今年もまた成長を見守らなければならなくなった。忙しくなる。
 池の岩魚にはミミズを集めたりして繁忙期に突入するということになる。
 昨日のパソコンの以上は諦めた後で復帰したのであてがいぶちの日記を書いてしまったがこれからは同じような日記となるのだろう。本当はあえて書くようなことはないのだからしかたがない。そこのところは何分よろしく。
 ムッシューとストーブを点けて暖を取るのだが6月も半分過ぎるのにまだ火が恋しいということは…

2011/06/12(日) お客の事情
 パソコンの調子悪く、このまま持続できるか分かりませんが、やってみましょう。
 お客さんが休んでいたり、またひとり来たり、来るはずの友人が来なかったり。僕は必死で洗濯したりいろいろだ。来る予定の友人はなかなかやってこず、草刈を始めるのだが、どうも嫌な思いが浮んできて困った。すると何食わぬ顔で彼等はやって来た。人間定年を越えるとどうも気が抜けるようだ。今日はみんな還暦以上で老人会の総会になった。僕は明日の検診のために早く寝るしかなかったがギフチョウの半分は幼虫になった。僕は幼虫になれず胃カメラなんかを飲んで長生きを狙っているようだ

2011/06/11(土) お客さんにニレタケを
 昨日のことだけれど信一さんからニレタケが出ているから採っておくようにと電話があった。信一さんは90才になるここのもと持ち主でこの山のことは良く知っている。僕にしてはここに16年もいるのに一向にこの山のことは分かっていない。
 今日はお客さんがいるので草刈のついでにキノコを見に行った。昼までの雨が上がったころに見るとちょうどいい大きさで虫もいなくて味噌汁に仕立ててみた。他の食べ方もあるのだろうが今日はこれで勘弁してもらおう。
 家の周りだけは草を刈ったが対岸の草刈は明日にまわしてお客さんの手当てをしなければならない。先週の疲れが抜けないけれど今日はお客さんに任せて早く寝てしまおーっと。

2011/06/09(木) 夕立の時期になった
 ゴンゴロと雷様が鳴って追いかけるように雨が来た。ブヨに追われて仲間のまぶたはお岩さんのようにはれ上がってしまった。なんとか濡れずに帰って来たが、これからの仕事は夕立との競争になりそうだ。
 山でウスバサイシンを見つけて家の前の食草を増やそうと根っこを掘っていた。するとそこに幼虫になったばかりのギフチョウを見つけてしまった。数えると10個ほどの孵ったばかりの幼虫だった。それはそのままにしておくしかない。ここまでは趣味人も入ってきそうにない。7月に入って草刈をするときは僕が率先して刈らせないようにしなくてはいけない。その頃はまだ蛹になっていないと思うのだ。
 ところで我が家のギフチョウの卵であるが切明温泉の支配人に里子に出してもいいかとたずねた。幼虫になった時点で強く里子を承諾してもらおうと思う。それ位の環境へのかかわりは必要だろう。と僕は勝手に思っている。迷惑は百も承知だ。
 奥山のスミレはきれいだ。これはオオバスミレだ。

2011/06/08(水) 山の賑わい
 山はとても賑やかになった。ハルゼミが鳴く、カエルがささやく、いろんな鳥がさえずる。志賀から草津から車が通る。山菜取りが山にへばりつく。ヘビが足元をかすめる、チョウが盛んに飛び交う。山を見るとすっかり夏になっているようだ。
 家の中でもネズミが僕のパンをかじる。アリンコが歩いていたり、蚊が飛んでいたり。すっかり暖かくなったのだがそれでも昨日の夜は室温が16度でストーブを点ける。ここはそういった場所だ。今年の夏が暑くならないように願うけれど眠れない夜が続くようならここにいらっしゃい。
 今日は14キロばかり歩いたせいか疲れた。帰って玄関前のサイシンの葉を丁寧に見るとなっなんとまた卵を見つけてしまった。6個に5個。今朝見つけた9個と合せると20個。昨日の25と今日で45個。これは困った。家の前のサイシンは数が少なくこのままではチョウの食べる葉っぱが足らなくなる。もうひとつギフチョウマンションを作って3つにして飼育するか頭が痛い。チョウを育ててくれる人を捜してみて、いなければ仕方が無い。
 とこんな調子で僕の周りも賑やかになった。

2011/06/07(火) 帰ってきたギフチョウ
 奥山で仕事で汗をかいた。生活者として働けることはいいことだ。辛いなというときや休みたいなと思うこともそりゃあるけれども、仕事を終えて帰って来るとちょっと元気になっている。
 5月に外に飛び立ったギフチョウだと僕は思っているのだけれど、今日三枚のウスバサイシンの葉裏に計25粒の生まれたばかりの卵を探し当てた。探し当てたのである。去年の幼虫が帰って来るだろうということは僕には感じられていた。奴らはきっと僕らのサンクチュアリに帰って来て卵を植えつけると。それが彼等と僕との約束のように思っていた。
 卵を確保するのは害虫であるアリやクモから守るためだが折角見つけたのだ、なるべく多く成虫にして放してやることが仕事になったし楽しみになったといって云い。今年僕はここで放した18?ほどの蝶のほかは見なかったように思う。それだけギフチョウは減っていると感じている。何もしないのが自然だという人もいるけれど、そうだとも思うけれど、網を持って入ってくる人間の趣味のためにいなくなってしまうのは自然とは違うのだからこれくらいの保護はなんでもないと思う。
 それでも増やすことはまた一つ面倒な仕事が7月15日頃まで続く。自分の面倒だって満足に出来ない僕にとっては大変な日々だが、歳をとったせいか、それも楽しみになった。もう本当のじいさんだ。

6月絵日記の続き


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