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2011/06/26(日)
先生は見開いた目でたくさんの幼虫を
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何となく雨は降らなかった。山は霧の中に浮んで桂林のように映った。草を刈った畑は地面がぶよぶよして昨日までの降雨のおおさを感じさせた。地震だ津波だ大雨だと今年の365日の憂鬱を痛いほど感じた。これから半年無事で過ぎてゆけばいいのだがそんなに単純ではないと僕は感じている。上手に生き抜かなければそれこそ桜は見られないのではと考えてしまう。原発はこれからが本番でここで間違ってしまうと人間の内部被爆が進んでしまうようだ。なんとも辛くなる。 ところで先生は昨日と今日血まなこになってギフチョウの幼虫や卵を探した。彼の目にはちゃんとその個体が認識できるようで僕の採取した41の卵や幼虫を入れると何と100個ほど確認することが出来たようだ。玄関前の食草の少ない個体はすべて収容し別のところの個体は小さいものを中心に確保した。結局僕のところで40個ほど先生が35個ほど切明雄川閣に15個を養子に出してこれから再スタートとなった。こうなればあんまり気を使うこともできなくなるから食草とフンがかびない程度にやるしかないと諦めた。しかし今年20個ほどを放したのだが、来年僕が無事に生きていたなら90個ほどを放すことになる。そうなると一体来春は何個のギフチョウを育てなければならないだろうか? 放す場所を変えて血が濃くならないようにもしなければいけない。血が濃いと3世代でチョウは弱いものになるそうだ。あんまり大事に育ててはいけないということだろう。
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