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2011/05/31(火) 稽古と6人の小人
 「只今」「あら遅かったのね」「いつもと同じだよ、なんで電気付けないの」「もったいないから」「だって暗いじゃないの。電気点けなさいよ」「分かったわ。あらずい分汚れているのね。直ぐ脱いで。洗ちゃうから」「風呂に入る時でいいだろう。」「いやダメ。直ぐ。」
 これはもしかして同居人が出来た時のための訓練で、生活というものは予想もしない展開をするので慣れておかないと破綻を簡単に来たす。だからこうして訓練を重ねていることは僕の人生に役に立つはずだと思っている。今は同居人の出現はなくなって、癖のようにこんな台詞をおもって遊んでいるだけになった。これも一人遊びでそれなりに面白い。
 今日は変な釣り人6人に会った。格好は立派な渓流釣り師だがリックにはシラネアオイやヤマシャクナゲ、ヤマウドやワサビが詰まっていた。花は都会に持って帰っても枯れるだけなのにその辺が分かっていない人たちだった。それが6人もいたものでワサビが自生しているところはぐしゃぐしゃに踏み荒らしてあった。その6人の小人は沢筋で焚き火をして白雪姫でも待っていたのであろうか。その小人が僕と同じ老人なのには困った。今時めずらしい小人達であった。もちろんすれ違う時に「魚は釣らないの」とは言っておいたが小人も6人も集まれば恐いものなしだ。

2011/05/27(金) 鼠害
 風の強い一日だったけれど雨はひどくはならず助かった。この2週間で少しは体もなれてどうにか働ける目途がついた。まだ稼ぎ仕事を止めるわけには行かない。人に言えない予定もあるのだから。
 風呂に入って久しぶりに発泡酒なんか飲んでポテトチップを開けようとするとすでに何者かが僕の湖池屋のそれを開けていてくれた。もちろん彼はネズミなのだけれどここのネズミは小さいハツカネズミと云われる奴で時たま視線の隅っこを横切るのを感じる。何回か掃討作戦を試みてはいるのだが今は共存を考えている。ところが僕の湖池屋のポテチーにまで手を出すようでは停戦協定違反といわざるをえない。ただ、目を見てしまうとなかなか殺せない。都会のチューとは違うのだから。
 ところでこのところのここの余震だけれどもここに来て再び感じることが多くなって来た。ドンとひとつ感じる程度だけれど、続くことが多くなった。世界では地震や火山の噴火、竜巻、台風と地球そのものの健康が悪くなってきているようだし、わがままな人間どもに対して意志として攻撃をしているようにもチョット思ってしまう。地球が怒ったらひどいぞ。
 昨日からヘリが苗場山へ荷揚げに向っている。登山口までの道も今日開通したということだ。ただこれからの大荒れの天気に充分覚悟を決めてからでないといけない。志賀も然りだ。ここは携帯は通じないのだから。

2011/05/25(水) シラネアオイを見に行く
 明日は天気がくずれると予報は言う。今日は貴重な晴れだそうだ。27日の午後には志賀方面の林道が開通するというので道を見に出かけた。ついでにシラネアオイやイワカガミ、ショウジョウバカマにスミレ、ヒトリシズカといった花を探しに山に入った。大きなナラの木がひっくり返っていたり水量の多い沢を渡ったりしながら山菜も探してみたが5日遅かった。もっと奥にも確かにあったと残雪の沢を恐い思いをして渡ってみたのだけれどここでも目的の山菜は大きくなっていた。ひっくり返った大木のに牽かれてドウダンツツジが投げ出されていた。このままでは枯れてしまいそうなので持って帰って植えてみようと思った。
 たしかこの先に日本特産のシラネアオイがあったはずと沢まで下りてみると昨日咲き出したという感じの紫の強い美しい花を見つけた。色はだんだん淡くなって行くのだろうがこの色のシラネアオイは僕にとって初めてだった。
 志賀への道は亀裂は直せないが落石などはきれいに除去されていた。何回かこの道で動けなくなっている車を見たことがある。そのほとんどが石で腹をこすってオイルが漏れたり、足回りをやられたりというものだった。くれぐれも石をよけて確実に走らなければならない。もちろんM ro-doもおなじであるけれど。
 つづけて山を歩くのは疲れる。きょうはヒザをサポーターで確保しての歩行だった。

2011/05/24(火) 遠足
 ひとつ奥山へでも出かけてみようと知り合いから誘われた。天気もいいので誘いに乗って出かけてみる。弁当を作ってブラブラと山を歩いてきた。
 ここから野反湖に向って山道がつづきヤシオツツジ、コブシ、シャクナゲが咲き誇っている。地面にはイワカガミ、ショウジョウバカマがまだ盛りだった。山菜もフキノトウやコゴミ、タラノメやコシアブラ。天ぷらにはもってこいの食材になる。フキノトウはこの辺りまで残雪の近くまで来なければもう見れないし、コゴミはすでに時期を終わっているようだ。新緑は淡くいい風が吹きぬけた。
 道は地震の影響による落石が山をなしているところもあるが、崩落してはいない。毎年雪の残る沢筋には少し大目の残雪も見られたけれど山を歩きなれた人には野反湖へ向うことは出来るだろう。ただ初心者だけでは危険だと僕は思う。
 2万7千歩も歩いたせいかヒザが上がらなくなった。風呂に入ってシップして明日は家でおとなしくしたがいいだろう。

2011/05/23(月) 新緑のその後
 雪しろがおさまればここにもたくさんの釣り人がやってくるのだろう。しかし昨日今日は気温が上がらず仕事から帰って来るとすぐにストーブをつける始末だ。昨夜は仕舞った掛け布団をまた引っ張り出していた。この間すこし飲みすぎたようで疲れがたまって直ぐに眠くなってしまうのだが来週はナメコの駒を打たなければならないし、くれるという薪を集めなければならない。来月になればMro-doの草刈も待っている。逃げる訳には行かないからやるけれどもなるべく体力を温存させるべく、早く寝た方がいいようだ。しかしそれだけで1日が終わってしまうというのも淋しいだろう。楽しいことを無理やりにでも見つけて作業に結びつけられれば大人だな〜と思うのだが、このところ忙しすぎた。
 ところで今日は外仕事に出たのだが仕事の合間に見る新緑のグラデーションがきれいで外に出てよかった。つまりこういったひょっとした体験が続くように目を見開いてないとここでの暮らしが色をなくしてしまう。寺山修司ばりに言うなら「テレビを捨てよ、山に出よ」と言うところか!

2011/05/22(日) 雪解けもおさまりつつある
 忙しい1週間で久しぶりに疲れた。だらしなく酒を飲んでいるから当たり前だがいつもひとりでいるせいかお客さんが来ると調子にのってしまう悪い癖は直らない。
 今日は昨日と比べるとずっと寒いと感じるのは朝からの雨のせいだろうか。だからあれほどいたカメムシはジッとしているのか出てきやしない。現金なものだ。
 帰ってゆくお客さんを見送っていつものように洗濯、掃除が続いた。薪をくれるというので現場を見て切明のお湯につかってから帰った。ついでに池の水を増やそうと詰まって水の出なくなったパイプを構うのだが、砂利が詰まってしまって一向に水が来ない。パイプを外し、ふってみたりたたいたりしてどうにか回復した。桶に溜まった土砂をきれいにしてドレーンの栓を外して砂が入り込まないように工夫をしてみた。雪解けがおさまり作業が出来たのだけれどズボンもシャツも濡れてしまった。
 中津川の水量もこの分で行けば後、1週間もすれば落ち着きそうだ。

2011/05/20(金) クマの親子の話
 昨晩は二人の兄貴に囲まれて昔の唄を聞いていた。僕はそんな年齢の人と一杯飲んでいるのがいいのだ。ゴロリと横になって気持ちよく酔ってゆく感じはなんと言うのか極楽なのかもしれない。どっちがお客か分からなくなってしまうことはちゃんと反省して立派な朝ごはんを食べてもらった。もちろん食べ残すほどは出さないけれど。
 きょう、もっきりやへ入る畑で野菜を作っている人と出合った。彼はトラックに八重の桜を括りつけて桜が西日に光って粋なトラックになっていた。彼は猟師としてこの辺りのクマの生態には最も詳しい。
 「オレの畑の行者ニンニクの様子がおかしいと思ってみてみるとどうもクマの親子が畑の中で遊んでいたらしい。今日のことだな。この辺りはクマの遊び場が多く「野の向かい」(もっきりやの旧屋号)の上の斜面はクマの好んで遊ぶ場所でクマは斜面が好きだ。秋山林道から「野の向かい」を通って開拓辺りで遊ぶか、その逆か。今は藪が茂るから鉄砲を撃っても藪に当ってクマには届かない。だから対岸にクマを見つけても奴さん逃げもしない。」
 桜を荷台で振り振り彼のトラックは遠ざかっていった。
 人もクマもこの季節を楽しんでいるのだ。

2011/05/19(木) 奥志賀方面 桜が散る
 天気が続くと何となく得をしたような気分になる。今日も暖かく弁当を持ってさくらを見に出かけた。
 ここでは開拓のさくらも散って仁成館下の植えられた山桜が残るばかりだ。奥志賀方面の秋山林道を行くとそこはやはり寒いのか山桜何本か咲いていた。林道沿いに見られるさくらはそんなに多くはないけれどひとつだけいい木がある。よく見ると散り始めているがそれでも北海道に渡ってしまった桜前線の取りこぼしのようにいつも思う。それで毎年この木に挨拶に出る。林道が開通する前でその下で弁当をひろげて裸になって日光浴をしながら道路に寝ていた。今年はこれが最後のさくらになるだろう。
 そう云えばギフチョウである。ここから1kmほど先で今日初めてその姿を見た。あのチョウ達はどこをほっつき歩いているのだろう。ウスバサイシンは赤ん坊の手のひらぐらいになった。

2011/05/18(水) 自然の恐いところといいところ
 天気が良かったから今日も奥志賀方面、秋山林道に行って見た。まずオオミズ、コミズの雪は捕らわれの冬将軍の残党のようにおとなしく感じた。今ごろは奥山ではさくらが満開で今週末までは最後のさくらになるだろう。深い雑魚川の谷を挟んで大きく烏帽子岳が望まれる。木々の葉が山を隠す前の景色は天気の良い時はなんともいえない大きさを僕に見せ付けている。山はいい。通り抜けの出来ないこの時期行き交う車のいない今こそこの道があるうちに走ってみるのもいいものだ。ところどころ道が陥没していたり、山が崩れている姿を見てこそ自然の中に暮らすちっぽけな自身の存在を感じられる。自然の恐怖と自然のたおやかさは諸刃の刃で僕らはそこを避けて通れない。いいところだけを見ようとするのは人間の甘えだろう。新宿の歌舞伎町にしたって恐怖と快楽は裏表なのだ。ここの自然の良いところはそれでも注意さえ怠らなければお金は掛からないということだ。貯めるほどの収入は無いけれど。

2011/05/17(火) 奥に行けば
 道の状況を見にちょっと奥まで走ってきた。朝から降りだした雨は10時頃に止んでその隙間に出かけてきた。志賀方面の林道もこの間の地震にずい分と苛められたようでアスファルト上の陥没や1箇所崩落しているところもあった。ミズの沢の雪は去年よりもきれいで6月中ごろまで雪を見れるかも知れない。
 奥に向えばさくらも見ごろだったりフキノトウも昨日出てきたように輝いている。1時になって雷が鳴り出し雨が大粒になってきたので調査を終えて帰ってきた。
 毎年のことだけれどこの林道は落石や崩落に見舞われていて今回の状況もそれを考えると耐えられる程度だ。本来こんな深い谷沿いに道を作るのが間違いで昔のように人の歩く道であれば災害なぞということはなくなるのだが、やれ観光だ、便利性だと無理な注文をするから災害復旧に多くの資金を使わなくてはならなくなる。本来、観光とはそこで暮らす人々の姿とか厳しい自然を眺めるだけでいいのだと僕は思う。登山や釣りに夢中になる人は何も自家用車で志賀高原へスイスイ行けなくても文句は言わない人種だと。

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