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2011/04/02(土) 昭和30年後半
 今回の出来事を友だちと話すことが出来た。やはりそこは長年の友人だ。僕らが中学生だったころの暮らしと言うものは今と比べれば豊かではなかったけれど貧しくもなかった。物の価値もちゃんとしていたと思う。自動車なんかはもてると思ったことはなかったし旅行は混んだ列車を何時間もかけて並んで待ったものだった。でもそんな苦労は僕にいい思い出を残しているし、車で一気に走り抜ける今の旅行とは違っていた。そりゃ何回も出かけることはなかったけれど充分に準備して勉強して出かけたものだった。旧国鉄の職員は何でも知っていて鉄道が好きでたまらない人ばかりだった。夏はランニングやシミーズ姿のおじさんおばさんがうちわをつかって歩いていた。どこの家でも同じようなものを食べていろんなおかずが行ったり来たりしていた。みんな良く僕のことを知っていて何だかんだと話しかけてきたものだ。子供の僕にしたって面倒で煩わしいと思っていたけれど、だからどうということもなかった。隣の家は興味津々でやれテレビを買った、犬がいる。東大に入った。菓子会社に就職した。嫁に行った、子ができたととても賑やかなものだった。子供にしたってガキ大将がそれぞれの家庭の事情まで良く知っていて守ったりしていたものだ。
 その1960年代の時代をこの一年ちょっと旅して電力会社に踊らされないようにしてみるのもいいのかもと僕は友と話していたらずい分と楽になった。
 いくつもの国家がなくなる時代に電力会社のひとつふたつ消えたからって僕らはやって行けるよ。それだけ大変な時代を生きてきたのだから。


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