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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2011/03/18(金) 今度何が起きてもいいように
 今回の雪は昨夜まで続き、そうですネ70cmほど積りました。2月に下ろしてから放って置いたので屋根の上にはザラメ状の雪が30cmほどあったわけです。その上に風と降雪でセッピとなって張りだしたので今日屋根に上がりました。軒に出た雪だけ下ろそうと考えていたのですが上がってみると一応ぐるりと下ろすようになりました。まだまだ寒気が来ると予報は言います。これから何時何かでここを出なければならないことになってもやることだけやっていれば前進できます。もう今年は屋根なんかに上がることはないと思っていたのですがそんなに甘くはありません。これで今年の屋根上での作業は4回となりました。今度は上から下ろした雪を片付けますがまるで1月のような感じであります。
 とにかく今は僕が日常やっていることをちゃんとこなしてゆくことが被災地に対する姿勢であります。

2011/03/17(木) 気温は−6℃、積雪は50cm降り止まず
 寒くて目が覚めました。僕はちゃんと布団に入っているのです。板の間に毛布で寝ることを僕は想像したくはありません。それはひどすぎます。1時間でも早く暖房と寝具が届くことを祈るばかりです。
 この間地震での家の倒壊を考えてマキストーブを止めていました。灯油の計画使用を考えてストーブを復帰させるのですが一旦止めてしまったせいか煙突が煤で詰まっています。午前中煙突を分解して取り替えたりして復活させました。12月お客さんのムシューAと直してから初めてでした。それでも少し抑え気味で薪を投入するのです。僕だけいい思いではいられないでしょう。
 雪は50cm。重い雪です。屋根に上がるようになりそうです。今度は屋根の際の雪を落とせばいいと思うのです。でもこの雪は滑るのだ。
 余震はずい分間遠くなりました。相変わらず砲弾の着弾のような音はしますが体感する揺れは10回前後になりました。これで納まってくれと願うばかりです。少し気弱になりました。
 秋山へ向うR405は20日を目途に工事を続けています。それと屋敷から日出山を通って森宮野原に向かう道の除雪も始めたようです。みんな頑張ってくれています。

2011/03/16(水) 秋山郷のこと
 今日は栄村の現状を見て、何が出来るかを考えるべく家を出たのだが逆巻温泉への分岐から300m先のところで土砂崩れのため全面通行止めとなっていた。昨日の雪崩の通報ではさほどと思わなかったのだが、現場管理者は約1週間はかかるだろうと話した。余震が続くため道上の斜面に残った大きな岩が落ちてくると予想され、それらの処理を終えなくては危険が去らないという。反転して山に向うと今度ははげしい吹雪に見舞われた。そのなかどうにか川を渡って家に入ると今度はこの冬一番の吹雪で山は風が渦巻き音たてて吹きすさんでいる。その間も余震と山鳴りが続いている。
 和山温泉では少しお湯が黒っぽく色つき透明感は同じだが墨を垂らしたような感じになっているがお湯の量は増えたようにも見えた。
 どうも弱り目に祟り目だ。さて開通するまでどうやって過ごすか。

2011/03/15(火) 栄村のこと
 朝の7:20ころ大きな揺れがありました。少し少なくなったと思っていたのですが気を抜くと直ぐこれです。楽観は出来ません。
 栄村では当地秋山地区を除いて全員が避難所に避難しています。ほとんどがお年寄りで自宅に戻りたいと訴えているようです。栄村の被災した建物はほとんどが赤紙(倒壊の危険)を貼られていて水が止まりトイレは使えません。水の復旧も雪ノ下にある水道管の所在を探しながらの作業で進まないとのことです。雪が消えてから田んぼや畑の被害が出てきます。行政も住民も途方にくれています。NHK長野の放送では地すべりが起ったところでは多くの雪を抱き込んでいるようで、雪が消えると土石流の発生が起ると信大の教授が話していました。
 ここもっきりやでは朝からふたたび始まった山鳴りと短いながらも間断なく続く余震に嫌な感じを抱いております。早く時間が経って少しでも落ち着けるように祈るばかりです。

2011/03/14(月) 地震雲
 晴れてくれたのできょうは過ごせました。明日からは気温が下がり雪も降るといいます。栄村もさることながら三陸沿岸、原発周辺の状況を見ると泣けてきます。
 今朝見上げると地震雲を見ました。新潟大地震の時に見たものを思い出しました。今日は雪に埋もれた索道のアンカーを掘り出し対岸に渡ってお風呂に入りました4日ぶりでした。福一さんを訪ねてこのところのここでの地震と地鳴りについて聞くのですが答えは見つかりません。それでも今日は4回ほどの地震に納まったように感じます。揺れを伴わない爆発音のような地鳴りは続いています。
 僕のところは電気が来ているのでここに居れるのですが真っ暗だったらどう判断するでしょうか。とにかく「すべてを北へ」と願うばかりです。

2011/03/13(日) 余震が続く
 きのうは眠った。2度ほど余震で目が覚めたがそのまま朝まで、朝の大きな余震まで寝ていた。いい天気で山は越えたろうと気を許したとたん12:30に大きな余震が来た。硬い感じの突き上げるような揺れに驚いてしまった。それから今までまるで戦場のような、着弾のような腹に響く音と小さく突き上げるような揺れに悩まされている。
 栄村はずい分と被害があるようで秋山地区の消防団が応援に出るかと言うような話し合いも行なわれたようだがまだ向ったという話はない。ここから飯山線の森宮野原までは距離があって車で1時間近く離れていて直接今のところは影響を感じていない。僕のところも報道を見た友人がメールをくれるが電気が来ているうちはここでひとりで頑張れるだろう。
 以前からここには「秋山地震」といわれるドーンという一発の硬い感じの地震がある。地震計に出るようなものではなく列車が走り出す時機関車が客車を引っ張るようなガタンといったものだが今回はそれがズーッと続いているようなものだ。地響きもそんな音も気持に突き刺さるものだ。また夜になったのでどうにか無事に朝を迎えられるようにタミコにお願いするのだ。

2011/03/12(土) 手が震えています
 疲れて3時ごろウトウトしていたら天井に引っ張られるように起こされました。疲れて今まで寝ていました。
 真っ暗ななか外に飛び出しましたが寒いので直ぐ戻りました。4:00ベッドから飛び起きました。4:30トイレが安全と飛び込む。4:40ズンと音がして縦揺れ。腹が減った。4:50揺れすぎだ。5:05大揺れドンと伴奏つき。この間ズーンとまたどーんと山鳴りが途切れない。5:103度こきざみに揺れ続ける。5:12ゴーと山鳴り。5:19地鳴りと数秒の揺れ。5:22山鳴りと小さな揺れ。5:30夜が白む、ちょっと恐い、手が震える。5:39ドーンと山鳴り揺れる。恐いからヘルメットをかぶる。5:45同じ。5:44大きい。友より電話来る。5:55揺れ方で震源の深さを予想する。「こりゃ浅いな」5:55来た。6:19一気に揺れる。6:34ヘリ飛ぶ。ここより宮城だろう。6:40これは困った。原発が問題だ。7:01大揺れ一発。7:06外は晴れだ。7:14地鳴りと揺れ7:18ふたたび。7:24405号線雪崩通行止め孤立。8:30少し揺れる。8:33少し強い。8:57小刻みに揺れる。8:57ドーンと一発揺れ9:02小揺れ9:03ボワッツと廻るようだ。9:07ドッカン一発9:10ドッカンブルブル。9:14ボッカン一発揺れ。ひとつ始まると10分くらい続くようだ。9:25ブルブル9:45グーンと来てドン。9:57ドッカン。
 まるで戦場のような響きが続く。榴弾砲が着弾したような音と揺れが続いている。13:30過ぎに再度大きい揺れと地鳴りが続いた。去年工事が終わった地デジが見れなくなった。どこかで雪崩でも食らって切れたのか。だから人の通らないところに配線するべきではないのだよ。情報が入らなければここでひとりでいるのはちょっと恐いぞ。
 たぶん日本はこれから10年回復しないかもしれない。それならみんなで手をつないで今の日本の問題を10年かけて建て直すしかない。そうすれば失われた10年ではなくて、進化のための10年になるはずだ。

2011/03/11(金) 無事を祈る
 きのうの三陸沖の地震で3cm東に地殻がずれたというニュース見たときにはもう終わったのだなと感じていたのだ。ところがどうだこのひどい地震と津波は。日記なんか書いている場合ではないけれど2時50分頃からズーッと山が鳴っている。2:55ドンと山鳴り、2:57ドンと突き上げる、吊るされたものが円を描いて揺れている。3:04ドン1回3:20グルグルと廻るような揺れ。リュックに荷物をつめ外に出られるように準備する。3:26ドンという山鳴り。3:52ボワッ揺れる。4:55ドン、5:40山が鳴る。5:43揺れる、6:37揺れる、6:45山が鳴く。7:20ドズーン8:10ズズズドン。
 どうも地球が怒っているようだ。というのも地震が起こってから雪がはげしく降りだしたのだ。

2011/03/10(木) 町を歩いてみた
 秋山では20cm、津南、飯山では5cmほどの雪が積もった。毎年この時期は積っては解け、解けてはまた積るといった天候が続くが今朝は結構いい降りで止む気配はなかった。そこで今日の職安行脚はやめにして周りの雪を片付けていると日が差してくる。予報では明日も雪のマークがあるのだからと遅れて飯山まで手続きに向った。117号を走っていると暖房を切っていても汗ばむくらいでずいぶん違うものだと感じた。田んぼや河原にはまだまだ雪は消えそうもないが町なかはどこもかしこも歩き易い。飯山から西は老後を過ごすにはいいのだろうと思いながら走っていた。この国道沿いの冬は12、1、2月くらいなもので本当に厳しいのは1、2月のふた月といったところだろう。しかし住みやすい所というのは人も多く都会で暮らすのとそんなに違わない。僕は厳しくても呑気に過ごせる秋山の方がずっといい。

2011/03/09(水) 中途半端な冬と春
 起きだして直ぐは晴れていて玄関前の谷にはカモシカの足跡がきれいに見える。そのままハシゴを上って雪を構うかとも思ったのだけれど恐いので止めにしてはしごの周りだけちょっと突いてみた。天気がよければ屋根のトタンさえ少しでも出しておけば雪はずっと早く消えるもので努力しようかとも思ったのだが30cmほどの雪が付いているし滑ったら痛いだろうと思ったら普通のおじさんに戻っていた。
 昼前に雲が出て飛行機も見えず和山巡礼に出るのだが湯とマル福商店を廻って御普請組で書類を受け取って帰って来るともう日が暮れ始めていた。なんか中途半端な日が続く。
 索道で川を渡りながら中津川を覗くとどうも少し色が変っていてどこかで雪解けの前兆なのかも知れない。ということは水量も増えているということだ。この16日辺りが解禁日で釣りに来る人もいることだろうがそこのところは覚えていた方がいい。気温が一気に上がれば水は増えるということだ。
 僕はきのうもきょうもあしたもERを楽しみに見ている。これで終わってしまうようだがここに来て夢中になってみた番組だったな。
 明日は職安に手続きに飯山までドライブを楽しもう。

3月絵日記の続き


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