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2011/03/22(火) 10日たって考えたこと
 神戸の震災の時、兄とよく話したことがある。兄が言うにはこういった災害時には必ず被災者が出る。彼等をまとめてどこかに避難させるために千人ほど収容できる避難船や病院船を平時に作っておけないのだろうか。昔の青函連絡船クラスだったり各管区保安庁に配置させておけばいざと言うときに役に立つばかりか海外の災害時の救援に大きな役割を果たせるのではないかと。考えてみれば神戸の震災から大きいものでも中越、中越沖、今回と5年に一回は被災民の出る地震は起っているのだ。その兄は病気で亡くなってしまったが何時も事あるごとに僕は思い出すのだ。
 きのうはこんなことを思っていた。遠くにいる呑気なひとり者の戯言みたいなもだけれど。
 僕の子供の頃にはよく飛行機がビラを撒いて飛んで行ったものだ。つまらない広告だったが必死に追いかけて拾った時は嬉しかった。日本の海上自衛隊には「ひゅうが」「おおすみ」「しもきた」といったヘリ空母的なものがある。今回は米軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」も三陸沖に来たようだ。僕は寝ながら考えてみたのだ。まず地震・津波後ただちに被害地上空にビラを撒いて、生存者の避難している箇所を確認する。そこに空母からヘリを毎日同じ時間にその大小の避難所に送って少しづつの支援を始める。物資は海上を軍の救助船にて空母に送る。マッ救助へりタクシーみたいなものだ。空母のような大きな船なら燃料の確保も物資の仕分けも出来ないものだろうか。そんな支援も10日ほどで今度は避難所船を配置して役割を移管させその間に避難住宅を仮設で作る。そんなことを考えながら焼酎を飲んでいるのだ。
 フランスのTVが同国の救助隊が活躍の場を与えられずにパリに戻ったと報じていた。救助犬が現場に入ることを拒まれたとか日本の消防はタケの棒で救助をしていると。フランスには進んだ機器があるのにと言うことのようだ。如何にもフランスらしい報道だけれど救助はデジタルよりもアナログの方が適していることもある。救助犬を使わせなかったのは担当した役人が法律を噛み砕いて解釈できなかったからだろうがそれでも海を越えて助けに来てくれた隊員には感謝をしている。フランスは遠いんだから。


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