来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2011/02/12(土) 同じ名を見つけるとドキッとする
 僕の父は子供の頃三人の息子にこんなことを言っていた。「兄は成田山新勝寺の授かりっ子、次男の僕は水戸常盤神社の授かりっ子、弟は浅草浅草寺の授かりっ子」父は旅を愛しその行く先々の名所旧跡を巡るのが好きであった。僕の名前は「好文」と書く。これは水戸の光圀が好んだ梅の木のことを好文木といい、後に斉昭が造った偕楽園のそばに好文亭という文人墨客の集まる建屋まであって僕は密かにこの名を付けてくれた父を尊敬し、自負まで持っていた。子供と言うのはそんなものであるけれど今日テレビを見ていてこの名を持った識者を見つけた。建築家の中村好文氏で「住宅巡礼・ふたたび」という本について週間ブックレビューという番組で特集が組まれていた。
 好文という名を持った方はこのほかに三人確認していてひとりは松竹映画山田組の照明担当青木好文氏、山岳写真家の船越好文氏、そしてこの栄村に引っ越してきて何気なく見た電話帳に見つけた斉藤好文氏、まだ会ってはいないけれど。そう思うとこの名前は僕だけの特別なものではなく結構一般的な名なのだと思わざるを得なくなってきた。それでも僕を含めて五人の好文のうち三人までが世に役立つ仕事をしているわけで、自分の現状を思うと忸怩たるものがあるがこれは実力でしょうがない。僕なりに勉強を続けて行くしか父の思いに応えることは出来ないということだ。
 因みに線香に「好文木」というものがあって好んで僕はこれを焚くが僕の葬式にはこれ一本でいってもらいたいものだ。同じ名前の線香がある人はそんなに多くはないだろう。父に感謝だ。考えなくていい。

2011/02/11(金) 暗くては暮らせないから
 どうも帳簿作りが億劫になってだらけていた。雪は大したことはないようだ。東京が天気が悪いとここはいい、逆もあるがたまにはこんなことがあってもいいだろう。雪道で滑らないコツは歩幅を絞ってゆっくり歩くしかない。明日の凍た道は履く靴を考えて方がいいだろう。そのうち東京の雪は消えるから。
 さて作業に取り掛かろうとしたのだがペンダント式の明かりが消えなくなってしまった。そこで器具を分解して調べるが一向にスイッチがうまく動かない。甥っ子から貰ったシーリングの器具に付け替えざるを得なくなった。天井の穴を塞いで重い器具が落ちないように直してようやく器具を取り付けた。リモコンの設定を直して点灯すると今度の明かりは3本ライトでズーッと明るくなった。こんなことならもっと早くやればよかったけれど使えるうちは面倒で体が動かなかった。必要に迫られての仕事だったが完成してほっとしている。それに力を得て帳簿にかかった。明日で目鼻がつくだろう。時間がたくさんあっても気を揉むばかりで先に進まないのは僕のだらしなさに尽きる。困ったものだ。
 これから1本付けて小説でも読もう。何だか疲れた。

2011/02/10(木) 進化する「捨て丸」
 終日どことなく雪が舞い続けている。今朝は10cmほどの降雪があってそれを片付けてからお客さんのムシューを和山のバス停まで送っていった。ついでに捨て丸がどうなったかと雄川閣まで足を伸ばした。
 捨て丸は雪に埋まっていた。シートの小屋の中で丸いたらいの中で眠っていると支配人は言うが毛布も布団もないただプラスチックのたらいである。おまけに雪まで入っている。捨て丸は毛布を入れるとみんな外にほっぽり出してしまうようだ。おまけに所構わずフンをするから内に入れられないとこぼした。きっとそれは外で雪にまみれてひとりで過ごす捨て丸の抵抗なのだと思うが施設での飼育と言うのはそもそも無理があるのだ。誰か2歳半のこの犬の里親になってくれないだろうか。もちろんしつけをしなおさないといけないが。この境遇のなかで暮らす捨て丸はずい分とたくましくなっていた。誰か奇特な方はいないものか。僕はいけない。ネコ派でひとりで商売が出来なくなってしまうのだ。無理ならいいけど。
 こんど津南に下ったら津南ポークで豚カツを買って来てやろう。僕が出来ることはうまいものをたくさん食べさせて寒さに立ち向かう脂肪を付けさせてやることぐらいだろう。

2011/02/09(水) もっきりや回廊
 仕事だというのでお客さんをほっぽり出したまま仕事に出かけた。天気は雪のちうす曇りといったところだ。相変わらず重たい雪で肩がシップだらけになってしまった。
 このところの風に乗って黄砂があったようだ。雪が赤い。毎年これがあると「春」という言葉が浮んできてちょっと嬉しくなるのだ。鼻水をたらしながら「もう春だ」と仲間が言う。僕も鼻をすすり上げながらそうに違いないと思う。午後からは気温が上がったのか屋根から雪解けの水が落ちてくる。
 帰ってから台所の裏の雪をどけて家の周りを周回できるように道を作った。毎年この回廊を作ると何となく元気になって朝1回夕1回家の周りを歩いたりする。これが出来てはじめて雪に負けていないと感じることが出来る。
 夜はお客さんと笑いながら一杯また一杯と気分を高めていた。

2011/02/08(火) ひとり遊びが出来る人は面白い
 ムシューはのよさの里にある定点カメラに自己を写すというので8時過ぎに川を渡って行った。湯の犬に吠えられながらも上の原まで歩いて行く。若い頃から山に親しんでいたムシューはどんな季節でも自分での遊び方を知っているようだ。その分僕は雪を片付けながら申告の準備が出来た。おまけに昼まで作ってもらってこの分では毎日ビールの1本も付けなければバランスが取れない。
 そんな訳で早起きした景色はきれいなものであった。昨日の雪も10cmほどで苦にもならずいい塩梅だ。これが続くとは思わないけれど一日一日春を迎えに出るような気分になるのは嬉しい。

2011/02/07(月) 雪が雨に変って
 掃除をして、池に雪をぶち込んで先月亡くなった方にお線香を上げに行った。そこで聞いたのだが「ここでは雪だけれど、津南では雨だと思うよ」そう僕は聞いた。しかし和山の降りは結構はげしくて雨はないだろうと信じてはいなかった。ところが和山を出て津南に下がるにしたがって降りは弱くなり町では雨になっていたのには驚いた。和山の普通のおばさんが普通に話した天気の予報がこんなにも当るとは思わなかった。大したものだ。
 今日は津南で人と待ち合わせて山へと連れてきた。僕は彼に僕がここに居ないときの代理を頼んだ。それは結局ここに来る人のためだろうと思っている。だから誰でもいつでも来ていいですよ。僕よりいい感じであなたを迎えてくれるかもしれません。
 結局きょうは税金の準備が出来なかったけれど明日からまた始めようーと。
 今日の雪は10cmか。朝起きて片付ければいいくらいの雪でよかった。予報によると明日は日が差すという。

2011/02/06(日) 南の風の上を飛んでゆく
 嬉しいことに5日も好天が続いた。得をしたことになる。明日は明日で気にすることはない。今日は暖かかった。気温も4℃に上がり雪がズンと沈んだようだ。
 ゆっくり起きだしてまず池に雪を投げ入れる。昨日山のように押し込んだ雪はほとんど消えているということはそれだけ暖かいのだ。結局今日は続きの小説なんかを読みきってそれから去年の帳簿にかかった。去年は140人ほどのお客が来たがそれでも大した収入ではない。少ない年金の補填のようなものだ。今年は目標を200人に置いて見ようか。御普請組とこれで暮らしてゆければ上々だろう。そのうち少ないけれど年金だって来るはずなのだ。しかし、僕もずい分とガマン強いと思う。もっともズーッとひとりで暮らしていればこんなものでお客さんが来ても少しも疲れないのはやはり一泊3000円といった気楽さだろう。もう欲しいものもさほどないし今年もこれで行けばいいのだ。あんまりお客さんが多いとそれこそ老人になる僕は続かないから。
 青空に飛行機が成田を目指して飛んでゆく。ここは飛行ルートになっていて5分に一本が成田、羽田を目指して高高度を滑るように流れてゆく。今度晴れたらボンボンベッドを出して日に当たりながら流れる飛行機を見よう。また乗りたくなるな。もう少し目標を上げて300人にするか?いやそこまですることはない。ここで見ていても想像で旅は出来るのだから。

2011/02/05(土) ドラマなし
 午後から少し降ったが夕方には止んでいる。このところ疲れてしまって朝に起きようとしない。みんなに言わせるとグズグズと遅くまで起きているからだと呆れられるが、一向に僕には響かない。僕は僕の62歳だ。
 そんなところで9時からストーブの番をしながら時代小説を読んでいた。人生に影響は与えてはくれないけれど、小説読んで人生が変るような齢ではない。1ページずつぐいぐいと読み進められればいいのだ。小説はそれでいい。因みに僕の祖父は江戸時代、慶応3年の生まれで2世代前はちょんまげちゃんばらちょうちんの時代だったのだ。
 少し読みつかれたので気分転換に雪を片付けた。池に雪をぶち込み、台所の明かりを取るべく屋根から落とした山のような雪を少し片付けた。降り始めたから家に入ったが終日運動がてらやれば家の周りを周回できるように道が作られるだろう。
 申告も待っているしひとり残った伯母も具合が悪いというしひとつずつ片付けよう。明日から1週間は申告に専念だ。だから今日は風呂に入って髭でも剃るか。

2011/02/04(金) 負け惜しみ
 夕方の6時前まで山の端がうすくながめられるようになった。その後は漆黒の闇に満点の星空である。今日で3日続いて晴れになった。朝、ひとしきり降った雪もいい塩梅に止んでうす日が射してきた。
 今日は仕事だというので8時前に家を出る。ここにいても外に出てもすべて雪片付けであるけれど、今日はただ働きでない分少しはいいのだ。今月も5日は稼ぎ仕事に出たいものだ。
 休憩の時のことだ。僕は自分の屋根の3回目の雪下ろしを褒めてもらいたく報告したのだ。「ひとりで上がってさ、5時間かけてきれいにしたのだ」と。すると「何で5時間もかかるの、せいぜい3時間でしょう」これには驚いた。返す言葉をさがしながら「僕は雪のないところ育ちで、一生屋根の上なんか上がらないはずだったの」と負け惜しみを言って笑うしかなかった。しかし考えてみると地元の人なら僕の半分の時間で終えるものなのだなー
と。この辺が町から山になどに気楽に移り住んだ者の弱いところである。恐い、疲れる、力もない、要領が悪い。子供の頃からここに住んで大人の動きを見て育った者にはやはりかなわないということだ。いくら地下鉄の乗換えがうまくても雪は片付かないのだ。だから「屋根の上で給料の計算をしていた分時間がかかったのだ」と負け惜しみの上塗りをしていた。
 遠くで「捨て丸」の声を1回聞いた。この寒さを外でひとりで乗り越えるしかなかったようだ。「捨て丸」の覚悟は僕よりすうだん上だと思った。

2011/02/03(木) いつまで経っても寅だな〜
 柴又の観光客は屋根にこそ上がらなかったがよく頑張ってくれた。僕が屋根から落とす雪を片付けて玄関前が広くきれいになっている。今日の天気ならばどんな観光客が来ても問題ないようになった。
 夜になると二人して「男は…、夕焼け小焼け」に笑い転げた。このシリーズはひとりで見ているとどうも寂しくなちゃうもので大のおじさんが酒を飲みながらゲラゲラ見るべきもののようだ。
 今日も晴天で気温は上がり4℃ほどになった。今日の屋根上の作業は大変で昨日は正解だった。川に面した雪を観光客と片付けるのだが、柴又の寅同様非力の彼は「動かない」と言いながらも作業を続けた。二人して行う作業は4倍の結果をもたらす。また誰か観光客が来ればいいのだが。
 仕事に帰る観光客を津南に送って帰ってきた。別れぎわに「また来てよ」と言うと「もう冬は来ないの」と笑って遠ざかっていった。帰って台所の雪を片付けて明かりを入れるようにしてストーブの前に座っているのだがいくらテレビが騒いでもつまらないと感じるくらいこの二日は面白かった。
 車の屋根に置き忘れてなくした手袋は片方を見つけた。もうひとつも郵便屋さんが預かってくれているらしい。よかった。

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