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2011/02/12(土)
同じ名を見つけるとドキッとする
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僕の父は子供の頃三人の息子にこんなことを言っていた。「兄は成田山新勝寺の授かりっ子、次男の僕は水戸常盤神社の授かりっ子、弟は浅草浅草寺の授かりっ子」父は旅を愛しその行く先々の名所旧跡を巡るのが好きであった。僕の名前は「好文」と書く。これは水戸の光圀が好んだ梅の木のことを好文木といい、後に斉昭が造った偕楽園のそばに好文亭という文人墨客の集まる建屋まであって僕は密かにこの名を付けてくれた父を尊敬し、自負まで持っていた。子供と言うのはそんなものであるけれど今日テレビを見ていてこの名を持った識者を見つけた。建築家の中村好文氏で「住宅巡礼・ふたたび」という本について週間ブックレビューという番組で特集が組まれていた。 好文という名を持った方はこのほかに三人確認していてひとりは松竹映画山田組の照明担当青木好文氏、山岳写真家の船越好文氏、そしてこの栄村に引っ越してきて何気なく見た電話帳に見つけた斉藤好文氏、まだ会ってはいないけれど。そう思うとこの名前は僕だけの特別なものではなく結構一般的な名なのだと思わざるを得なくなってきた。それでも僕を含めて五人の好文のうち三人までが世に役立つ仕事をしているわけで、自分の現状を思うと忸怩たるものがあるがこれは実力でしょうがない。僕なりに勉強を続けて行くしか父の思いに応えることは出来ないということだ。 因みに線香に「好文木」というものがあって好んで僕はこれを焚くが僕の葬式にはこれ一本でいってもらいたいものだ。同じ名前の線香がある人はそんなに多くはないだろう。父に感謝だ。考えなくていい。
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