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最新の絵日記ダイジェスト
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2011/02/27(日) 色気づいた
 一昨日の行軍の名残が両方の太ももに来て痛くてしょうがない。明日までは直らないだろう。余計なことを考えて追い込んでもしょうがないから一日外に出て空を仰いでいた。するとJALのB777が何機も飛んでゆく。あれに乗れれば僕も何処かに飛んで行けるのだと思うと懸命に双眼鏡のピントを合わせた。飛行機が杉の木に隠れる時に尾翼の赤いマークが見える。そうでない機体は青っぽい色が望める。と言うことはANAでこの路線は国内線なのだろうか。鳥甲山から東京方面への飛行だから出所は小松、能登、富山といったところか。僕はてっきりソウル、北京辺りと思っていたのだがどうも国内線のようだ。今度はフライト時刻を調べれば分かるだろう。
 ところで春っぽくなったので、伸び放題の「磯野波平」のような頭にバリカンを入れてチョイ長めの坊主頭にした。だから髭は剃らずにハサミで切ってみた。今年はこれで行くかと鏡を見ながらにやけるのだから暖かくなったのだ。62歳のおじいさんも姿を映して少し調子に乗っている。
 文読む日々
  第二義的なものを多く知るよりも、真に善きもの必要なものを少し知る方が良い。
                             トルストイ

2011/02/25(金) 雪山登山
 このところの暖かさで雪はがさついて急な斜面をカンジキで蹴って上るのだがあんまりいい気分ではない。
 今日の仕事は22日に伝えられたのだけれどその間僕にしてはいろいろと想像をめぐらし、あるときは雪の斜面をひとり一気に落ちていったりまた病院のベットで点滴を受けていたりとそれは後ろ向きのもので、それだけ今日の仕事は「逃げたい」の一点張りだった。どうにか終えて帰って来ても3時間ほど横になってボーッとする始末だった。
 僕は昔に従兄弟が山で亡くなった時から今日までいやズーッと先まで高いところは嫌いなのだ。だからハイキングでも岩場に来ると従兄弟がこう言うのだ。「気をつけろ」とそうなると僕の想像力は低空飛行に移って何時も岩に叩きつけられる姿と痛みに泣いている声に遭遇するのだ。実に困る。
 ところで来年までは執行猶予なのだが今から来年のことを思ってドキドキしているのだ。
 文読む日々
  人間の行き方が自然のあり方を決める。    ターシャ・テューダー

2011/02/24(木) 天気がいいと逆にやることがなくなる
 予報通りの好天が続いている。今日などは気温も8℃まで上がってうす雲りながら暖かい昼だった。まーより戻しはあるだろうが大雪と云うことはないだろう。18年の豪雪の年も12月半ばから1月中はずい分とひどい目に遭ったけれど2月は比べると穏やかだったようだ。それから今年まで2月の雪は心配することはなかった。以前は1月2月は気が抜けずに警戒態勢を解けなかったのだがこの6年間は新たな降り方が定着したように感じている。地球の意志だろうか。
 こうなるとここでの1日がとても長く感じるようになる。現在の積雪は1.5mほどだろうか。それが融けるまでは連日の暖かさに自分の身体が腐っていくように感じるのだ。広島や福岡では桜も咲いたと聞く頃になるともう全身がのたうつようなモンモンとした感じになる。これがあんまり精神状況にいいように影響を与えない。
 去年は瀬戸内海に遊びに出たのだから今年は四国の道後温泉にでも桜を見に行ってもいいのではないか。旅はひとりがいいから思いついてサッと出て行けるようにしておこう。
 文読む日々
 「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ夜の人を友とするぞ、
 こよなう慰むわざなる」
                            徒然草 兼好法師

2011/02/22(火) 冬の楽しみ
 いい天気が続いてほんとに嬉しいものだ。洗濯をして掃除をしていた。
 もうずい分以前のことだけれどドブロクを飲んだことがあった。強かったのか気持が切れてしまったことがあった。清酒と違って度数も強いのだろう。
 昔は南会津の村の入り口に大きな看板があって「密造酒は止めましょう」と書かれてあった。昭和40年頃のことだ。この辺りでも昔はドブロクを造っていたという。清酒などは正月か何かの祝い事にしか飲まなかったという。だからここの酒屋はそんなにお酒が売れたわけではないと聞いた。もちろんドブロクにしたって毎日飲んだわけではないという。当然そうなると手入れが行なわれたわけで、密告などがあると査察官が朝早くから村が見渡せる場所に陣取って、手入れの情報を受けて急いで酒を隠す姿を見ていたという。酒作りの道具の没収、酒の廃棄とサンプルを持ち帰ったという。それでアルコールの度数を計って罰金の額を決めたという。今は酒もいくらでも外で買えるし値段も安くなってきたからそんなにドブロクを造る人はいないようだが冬のこの時期には昔を思い出して造る人もいるようだ。今は何でもドブロク造りを申請して許可を貰って特区で作っている地方もあるという。でも昭和のもののない時代には税務署の査察官と地元民との知恵比べのようなこともあったという。雪深い除雪もない時代の人間の強さや機知にとんだ話は明日にしよう。

2011/02/21(月) もう、しょうがないことだ
 春が来たように暖かい日であって、雪の上を長靴で歩いても沈むことはなかったけれど逆に踏み固めた道は凍って2度ほど転んでしまう。家の回廊も屋根からの雫が凍りついて周回するのが危険になった。
 昼過ぎから青空を見つめていた。日が当る時間はそんなに長くはないがボンボンベットを出してビールをもって屋根からの水滴が砕けて輝く様や煙突の煙と時より飛びすぎる旅客機の引く雲を見つめているとなんとも手の届かない大きなものに包まれていると感じる。宇宙の広さや自然の深さを感じながら手の届かないものを眺めているようだった。
 池の脇の枕木のテラスを掘り出したから青空が拝めたら悠久の想いを感じてやろう。

2011/02/20(日) 「捨て丸」はその夜どんな夢を見ていたのだろう
 あの日は晴れて、いい天気で僕は羽根を伸ばしていた。その夜はその分冷え込んでいたはずだ。
 一昨年の5月にこの辺りに捨てられた「捨て丸」はすわりの玄関先で泣いていたという。その後小さい犬っころは切明にある雄川閣の前でも泣いていたのであろう。施設の人たちは彼を拾い上げてほそぼそと面倒を見ていた。2回の冬をもう少しで越そうとしていた15日の朝に「捨て丸」はひとりで旅立って行ったという。あの日は本当に寒い日だった。もう少しガンバレば暖かくなったというのに、小さい体にもう捨てられまいと必死だった「捨て丸」は帰ってこなくなった。
 「捨て丸」を死なせたのは僕だったのかもしれない。この11日の昼に見た「捨て丸」は元気一杯だった。雪の中にひとりで来るとも知れない人を待ち続けていた彼を訪ねて抱きしめてやるしか出来なかった僕の不人情が彼を拒んだのかも知れない。
 14日の夜から15日の朝の間に「捨て丸」はひとりで死んでいった。この雪に進化したと脳天気で思っていた僕の裏をかくように。僕は「捨て丸」に見捨てられたようだ。その話をするミヤちゃんも聞く僕も、涙を流してやることしか出来ないとは何たることだ。
 この犬は一昨年までどこかで飼われていて、やがて捨てられた。でもこんな山間の地に捨てられた彼は必死に宿主を探してようやく施設を見つけたのだけれど、宿泊を目的にする施設で飼うというのは土台無理な話なのだ。そのことは周りのみんなが分かっていた。だけれども健気に尾を振る「捨て丸」にほだされての生活が始まった。ことに冬は客足も減り「捨て丸」はひとりで朝まで留守番となった。どんなに心細かったか、寒かったかと思うと、オレは何ということをしたのかと。飼わない理由はなんとでも付けられるがでもここで「捨て丸」を見ていたのはオレなのだし…
 最後の寒い夜にタライのベットで震えながら見る「捨て丸」の夢を思うとどうしよう、どうしようとこころが乱れる。
 「捨て丸」はこの世で2年と半分生きたという。もう、この日記に捨て丸と云う文字を書くことはないだろうが僕の仏壇に写真を飾ってまぼろしの「捨て丸」を「タミコ」と共に飼ってやろうと思っている。しかし、この歳になると僕が愛した者がみんな去ってしまうのはどうしたことなのだろう。

2011/02/18(金) 続きの不安
 話題もないので昨日の続きでもいいだろう。
 あれからテレビはこう言っている。地方の建設会社の弱体化によって災害時の対応、復旧が遅れる。公共事業の減少による、会社の経営の縮小化によるという。中越地震の震源地では、この真冬に震度7の地震が起こったと想定し、各地から2泊3日12000円の費用で参加者を募り、救助の方法などを体験したという。北海道のある村では厳寒のこの時期、氷で作ったホテルに観光客を誘致して一泊50000円で提供しているという。テレビだって教室である。意思を持って見ていればね。
 で、きのうの日記の続きになるのだけれど僕はこう思った。「空家バンク」にしても、若い世代を対象にするのは無理だ。彼等にはもっと経験が必要だ。人の中でもまれなくてはいけない世代だ。むしろ定年を迎えて閑をもてあました世代を1年、2年、5年と期間を区切って地方へ呼べないだろうか。村の職員に宅建の資格を取得させ役場が中に入ってそれぞれの橋渡しをする。付き合っていれば人間の人柄なんか直ぐに分かる。住みたい人はそこから始めればいい。と考えていたら何だか眠れなくなってしまった。アイデアにおぼれたのではない。いろんな心配事が次から次へと浮んだからだ。アジアの小さな国のどこかにある山村の将来という前に、もしかしたら、地球そのものがもたないのではないかと。少なくとも現代文明が与えた地球へのダメージは、環境の崩壊、人口爆発、生物の絶滅、資源の枯渇、難病の拡散。こりゃ眠れるわけがないと起きだしてウイスキーをグイッと飲んでみた。すると気がついたら朝になっていた。これからはズーッと民放のバラエティ番組だけを見ようと決めた。爺さんにはちょっと無理だわ。
 しかし、毎日通勤電車に詰め込まれていたとき、窓の外を流れる富士山を食い入りように見ていた多くの乗客の目の輝きを思い出すのだ。
 雪は積らないのだが風が強く家が揺れるくらいだった。索道で川を渡るのだけれどロープに雪が凍り付いて滑車に絡まる。進まないのだ。寒い思いをしてようやくお風呂に入った。甘露。

2011/02/16(水) いい天気だった
 昨日の酒が残っているので今日の仕事はいまひとつ体が動かなかった。
 和山の二軒の家の雪を下ろすのだが武雄さんが出て来てくれて落ちないように見ててくれる。ボーっとする頭で屋根にへばりつく僕にとってはなんとも心強い。山で暮らす人たちはこうして何気なく気を使ってくれる。僕が屋根に上がると対岸から電話が掛かってきて気をつけろとエールを貰う。嬉しいものです。
 今日の屋根の雪は水を多く含んで滑り易く尚且つ重い雪だった。でもキリッと晴れた一日で下ろした雪がヅンヅンと音たてて沈むのが分かった。
 さて僕はどうするかと屋根を見上げるのだが、まだ50cmほどでしばらくは上がらないことに決めたのだがその代わり風呂の水が凍ってしまった。風呂場にストーブを入れて暖めているのだがどうなるかは分からない。どうにかなるだろう。ならないとしたら雪を掘り出してお湯でも掛けるかしよう。

2011/02/14(月) アオゲラを撃退した
 寝ていても外の感じは分かるもので今日は障子に映る明かりが晴天を思わせた。だからズーッと寝てようかと思ったのだがアオゲラがトントンと家を突きにきた。奴さんはこの時期板葺きの中にいるカメムシでも食べにきているようでそれだけなら放っておくべきなのだが、あるとき家の柱をつつっき穴を開けてしまった事がある。であるからアオゲラは天敵と言うことになる。昨日は野生の生き物へ同情を寄せておきながら、今日は天敵アオゲラ退治である。僕はそういった二面性のある存在だからきれいごとばかりを言うのは止めにしておくけれど、アオゲラは許さないのだ。急いで服を着て抜き足差し足で銀弾鉄砲とカメラを持って外に出る。気付いた敵は「キャー」と飛び去った。当るわけはないが目くらめっぽうにビンと一発撃ってやった。これに懲りてしばらく攻撃を控えてくれるといいのだけど。向こうも必死なのだろうからしばらく攻撃と防御が続くだろう。 
 雪はなく外の片付けも体慣らし程度にして税金をやっつけた。そして郵便で送ってしまった。ひとつ片付いた。それを記念して一杯やろうと思っている。これはしょうがないだろう。

2011/02/13(日) タヌキに野菜を
 30cmは積っただろうか。水気のある雪で、日が差せばグッと沈むはずだ。もう屋根には上がりたくないのだから。
 家の上をカラスが飛んで電柱の上に止まった。雪を片付ける僕を見ている。ただ見ている。下から物を投げる格好をするとサッと飛び立つ。漆黒の羽根の裏が瑠璃色に輝いていた。そうとう栄養がいいようだ。
 そう云えば先日、野菜の切りくずや果物のカスをを雪の上に置いたのだが、ムシューは野生の生き物には与えるべきではないのではとつぶやいたが、冬のカモシカもサルも木の皮をむしるように食べている。何だかちょっと可愛そうになって置いてやるのだが、ほんの少しの野菜や果物はそんなに大きなことではないから僕は構わないと思っている。が、ムシューの言うように人間の気まぐれが野生の生き物を振り回すのもほんとのことだ。朝に生き物の足跡を見つけると食べるものを工夫してまたキャベツの切れ端でも置くべきだとも考えてしまう。
 今日は税金をほぼ終え、清書するだけにして川を渡った。温泉は湯量を増やしていい塩梅になった。

2月絵日記の続き


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