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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2011/01/16(日) 大雪被害にここも参加します
 ここでは朝方からの雪が50cmほど積もった。気温は−8℃で終日気温は変らなかった。昼まで待ってシジュウカラが鳴きはじめ、少し落ち着いたようなので家の周りの雪片付けをする。相変わらずの手ぬぐいのホッ被りだ。薄着で手元足元の防寒を第一にするのだが屋根と違って緊張はいらない。屋根はこの降りが納まるまでは延期だ。津南でも同じように降り続きもう3回も雪を下ろしたと友人は言う。津南辺りでも若い人はあんまり屋根に上らないようだけれどここに住んでいるのならまず雪掻きだと思う。そんなことの体験があって都会に出て行った時に自分の大切な自信になるはずだと僕は考えてる。それが口先ばかりの都会者に対抗できる違いになるのだから。
 口先ばかりとは僕のことでここに来た頃は屋根になんか上がれるものではなく大家の信一さんが「冬はいられないよ」と言う言葉をいい訳に人を頼んでおっかなびっくりだったのを忘れない。この家が自分のものになってからもたくさんの友人に助けられなければ雪すら下ろせなかったものだ。本当に口先ばかりの生意気な都会者だったわけだ。それでもこの頃はどうにかひとりでも屋根に上がれるようになったわけで必要が僕を育てたと言うことだろう。ここで安価な諸国旅人宿を維持させて旅する人に安心を提供しようというのが僕のひとつの夢だ。泣いたりびびったりしながらでも続けられればいいと、このくらいの実力しかない僕は思うのだ。でも屋根を見上げるとただ、やるせないし!

2011/01/14(金) 冬の夢
 いろんな時に人は夢を見るけれどああしたいこうしたい、ここを頑張りたいと僕も考えて生きて来た。その夢も季節によっていろいろと変ってくる。春には明日に向っての夢で夏は今の夢だったり、秋には昨日の夢で、冬には昔への夢だとよく思うようになった。
 後ろ向きの昔をしのぶ、もしかしたらあの時…といったことを思うのは冬の楽しみだ。冬は「白」の世界でただ雪が、雪が、周りを埋め尽くしている。その白いキャンバスに僕はひとりで昔歩いた町や鉄路の煙や、出会った人たちを想い描いている。僕を裏切らない過去の町や人はあのままの姿で浮かび上がってくる。父や母。兄や伯母たちの声を聞きながら僕はストーブの薪をくべていれば安心出来て涙さえ浮かべられるのだ。これが冬の夢の楽しみだ。
 去年の暮れ40年も前に人生のなかですれ違っただけの女性に逢った。それからズーッと逢うべきではなかったと、ことあるごとに考えている。変なもので彼女は僕の冬の夢からとび出していなくなってしまったということだ。それでもまだまだ沢山ある引き出しを引っ張り出し僕の冬の夢が続くのだ。
 飯山線はこの数日除雪作業で部分運休が続くと放送があった。すると只見線も米坂線も同じように走らない日があるのだろう。でもこういった時が一番それらの鉄路を走り抜ける醍醐味があるのだがな〜。
 飯山線では始発列車が走る前にラッセル車が走る。勿論降雪があった翌朝だが。その列車を偶然見たことがあった。飯山線では飯山から桑名川、十日町までの区間では早朝に見れる景色だ。当然僕の冬の夢のひとつだ。

2011/01/13(木) 勉強してみた
 今日も引き続きいい降りで40cmあまり積った。今朝も雪を泳いで対岸に渡る。朝の8時だ。一軒の除雪を終えてお茶を呼ばれて仕事が終わった。半日で終わるのは結構なことだ。明日もう一日出れば今月の仕事はひと段落といったところだ。
 背中に背負ったタオルは完璧で濡れればそれを取りかえれば寒い思いをしなくて済む。またワイシャツも薄手のものでいい。後はペラぺラのジャンパーで寒くはない。降っている時は手ぬぐいのほっ被りは最高だ。僕の年齢なら誰でも似合うと思う。格好いいのだ。これが「yukioroshi kawaii」である。
 ところでガリレオが発明した望遠鏡が先月慰労旅行で行った「カミオカンデ」のニュートリノとつながった。簡単ではないがNTは銀河系のそのまた奥にある1千億個の銀河のなかにある「ダークエネルギー」や「ダークマター」の発見によって宇宙が拡張と収縮をくり返しながら成長している証拠がその「ニュートリノ(NT)」で証明されるらしい。人類は全宇宙の5パーセントしか分かっていないのだ。ガリレオがコペルニクスの唱えた地動説を望遠鏡の観察で証明し、地球の自転を慣性の作用として説明した。それからA・ニュートンの反射望遠鏡でより正確の宇宙。その間にいた人(銀河系を発見)は忘れたけれどその後へ―ルが銀河系の外の恒星を見つけ、八ップルがアンドロメダ星雲を見つけ、そのなかには80億個の恒星がありセファイドを見つけたという。それは80億後年先にある。それを調べる内に人類はニュートリノを見つけたというのだ。よく理解は勿論出来ないけれど何だかワクワクした。

2011/01/12(水) 雪下ろしのハシゴだ
 同じ日に何軒もの屋根に上がるというのは如何なものかと思うのだが、仲間が二階の屋根まで一気に上ってしまうと下で見ているわけには行かない。下から携帯で写真を撮るのだが僕の気持が現れてしまって滲んでしまった。きっと僕の涙だ。
 昼までは青空だったのだが昼過ぎに一気に降りだした。そうなると滑るとか恐いというよりか汗で衣服が濡れ、そこに雪が付いてクリスマスツリーの飾りのように玉をなしてぶら下がる。メガネはくもる、地は見えぬである。昨日今日の雪上での作業に対して僕の判断は間違っていて何軒もの作業を念頭においていなかった。自分の屋根なら終わればお茶だ!ビールだ!で濡れたものも直ぐに乾かせるのだが仕事は甘くはないのですっかり汗で濡れてしまった。
 まず屋根に上がる前にタオルを背中に広げ、シャツを着る。その上にうすいジャンパーかヤッケを羽織るだけでいいのだ。タオルは濡れたら取り替えておきさえすれば体が冷えることもないのだから。この時期の仕事は目一杯時間通りということではない。その辺りに頭が廻らなければいけなかった。つまり僕は家を出て車にたどり着いたら作業用に薄着になればいいのだ。と思い出した。明日は実践女子大と決めてみたけれど昼過ぎから降りだした雪はドンドン、ドンドン積もりだし、上空ではゴーゴーと山が唸っている。明日は本当は家に居たいな〜と思っているのだ。

2011/01/11(火) 奥に行くほど雪は深まる
 小赤沢から屋敷、上の原、和山と過ぎて切明で道は閉ざされる。積雪も奥に行くほど多くなる。和山で降っていなくても切明方面には雪雲がかかっていことがある。ほんの少しの距離しかなくても降る雪は違うのだ。
 都会に送る電気は深い雪に埋まっているようなので−8℃のなか索道に乗って仕事に出た。雪を片付けながら施設を開放してゆく。汗は出るし衣服は濡れるし大変なのだが仕事だからしょうがないだろう。よく見ていると地元の人の雪の片付け方は僕とはまるで違う。まず、雪上の歩き方だけれど、大股で円を描くようにカンジキを運んでゆく。その跡を追って行く僕の足の歩幅が合わない。彼等は道を付けるときの歩き方と行き先に向う歩き方が違うと言う。勿論この辺りでは雪の上を歩く猟が盛んだったこともあって50代の上の人たちにはその頃鍛えられたものが残っているのだけれど、僕はダメだ。屋根の上での作業だって同じで実に合理的な姿勢で無駄な力を使わないように動く。僕の嫌いな屋根の際に置いた足に力を乗せて雪と平行して大きく雪を下ろしてゆく。勉強になるのだけれど、直ぐにもとの危なっかしい形に戻ってしまう僕はもっと修行が必要だろう。しかし、みんなでやる作業はひとり仕事と違って安心だ。落ちたとしてもそれを見ていてくれる仲間がいる。助けてもくれるだろう。冬の仕事は仲間がいなければいかん。

2011/01/10(月) 捨て丸は元気だった
 昨日からのまだ降り続いて雪は一尺ほどの積雪を残している。二人してカンジキを履いて川を渡る。ヒザ上まである雪は軽いのだが僕等の行く先を閉ざす。ほんの少しの上りに向うとハーハーと息が荒い。雪がふわふわでひっかっかりがない。友は湯沢に向かう車に便乗させてもらって去った。車の雪を落とし除雪してから久しぶりに和山に向う。向った先の家では薪ストーブを挟んで二人が窓をながめている、その窓に時折激しく吹き降ろす雪が映った。
 切明の「捨て丸」に会いに出かけてみた。捨て丸は降る雪に濡れながら盛んに尻尾を振る。あの夜のサルのようにかぼそい声でキーキー鳴きながら盛んに動き回った。結局彼は外の小屋で寝ているようだ。それでも大したもので元気一杯のようである。犬はこれでいいのかもしれない。と思ったら強く抱いてやった。
 夜になっても降り止まず、明日の仕事が思いやられる。今年の初仕事だと言うのに。

2011/01/09(日) 雪下ろしの後ぐらい止んで欲しいものだ
 2時間かかって二人で残りの雪を下ろした。もっきりやはは斜面に建っているので川に面した側はちょっとゾッとするくらい高さがある。何といっても事故がいけないので格好なんか気にしないで作業するのだが15年もいてあんまり好きになれない。高いところは食堂も飲み屋も商店も含んで嫌いなのだ。それでも二人で作業していられれば僕が落ちても救助を要請できる。ひとりではそのままお陀仏もある。だから何といわれてもへっぴり腰でも這いつくばってでも落ちないように作業するのだ。
 今日の一日の仕事を無駄なものにするように終日降り続けた雪は止む気配もなく僕の気分を重くさせる。この分だと来週にはまた屋根の上にいるようだ。なんてこった。
 大河ドラマが始まると言うので見ていたのだがどうも時間が長すぎると感じた。番組表を見ていると今日は75分番組だと分かったのだが、キムチ鍋の蓋にリモコンが引っかかって鍋の中に入ってしまう。直ぐ引き上げたのだが韓国パワーに染まった僕のリモコンは動こうとはしなかった。リモコンを煮込んでもキムチチゲは美味しくはならない。難しい怖いと思っている作業を終えたせいかちょっとはしゃぎすぎた。どうも成長は止まったようだ。

2011/01/08(土) 老人の上にも日は差すものだ
 津南に出るのだがまず川を渡って湯に着くまでが難儀だった。索道までは下りだからいいのだが、カゴに乗って対岸に渡ると堰堤の上に雪が積もってカゴが入って行かない。安全ベルトを持たなかったからカゴに座り込んで身体をのり出しスコップで雪をどける。半分も堰堤上にカゴが入ると飛び降りてカゴのホームを作った。それからが大変で場所に依っては腰まである雪の上を這い上がるのだがなかなか時間が掛かる。家を出て1時間の余も掛かってしまった。それから屋根に雪を積んだままの車を移動させ屋根の雪を払い、止まっていた場所の雪を片付けるのに30分。一苦労だ。毎度のことだが。
 雪下ろしの手伝いに来てくれる友人を乗せて帰って来るとすでに日が山の端に傾いて1日が終わる。そんなものだ。でも日は確実に長くなっている。
 このところ2度続けて結婚相談所から電話があった。初めの電話の「おひとりの方は…」という問いかけに僕のことと迷わず思って「相手はあなたですか…」と畳み掛けた。その女性はフッフと笑ったがそのまま会話は続かずに終わった。昨日の電話は「あなたのご家族に独身の方はいないか…」と言うのだ。僕は相手のご婦人は僕を対象に掛けているのではないのだ。僕は対象外なのだと初めて気が付いた。前回の時もである。僕は還暦を過ぎて老人になりかかっているのだと実感した。そこで「ここの独身者はもう寝てしまいましたよ」と言うともうですかとばかりに返事をいぶかしんだ。「年寄りは7時には寝てしまいますよ。もう80歳の独り者だから」と答えるしかなかった。オレももう直ぐ初期高齢者だ。どうだ。

2011/01/07(金) 負んぶに抱っこという訳にはいかない
 世の中甘くはないもので雪は連続して降り続いている。ようやく1mほどだが気温はこの冬最低の−7℃とそれらしくなってきた。今日も世界のドキュメンタリーの授業を受けてから2時限目は体育で外に出て玄関前と池の周りの雪を構ったのだが見上げると屋根の雪がどうも下ろし頃に見えた。明日に援軍に来てくれる方があるので今日に下ろさなくたっていいのだがちょっと考えた。ひとを当にするようではイカン。それでまだ降ってもいるし少しだけでもと屋根に上がったのだ。屋根の上というのは下がズーッと遠くに見えるものであんまり気分のいいものではない。だから一回上がるとどうもやるだけはやってしまおうという気持にスイッチが入る。2時間もかかってはいないけれど屋根の際をぐるっと落としてきた。これはイレギュラーで自分でも驚いたけれど毎年最初の雪下ろしは嫌でなるべく先送りにしたいものなのだ。いや、これは僕の場合だけれど。それでも1回、2回と上っているうちにどうにか嫌なりになれるものだ。そんなことをしたり顔で云っても始まらなくて、降りてきたときは嬉しかった。やったな、やったなといった感じだ。これで9日の作業は楽になった。と思ったらビールで酎だ酒だと6時まで寝てしまった。どうも田吾作から抜けられない。
 

2011/01/04(火) 俺は煙突、サルは空腹
 7時に目覚しが鳴った。昨日は何時に寝ただろうかと思ったが、やることもないなとまたふとんにもぐり込んだ。それでも9時には起きてストーブに火を入れた。朝飯の準備をしていると煙突から煙が逆流している。このところ水平部分の2本の掃除をしてはいなかった。それでの逆流かと思って煙突を外すと煤がばらばらと部屋に散る。煙突は熱くなっているしひとりではどうしてもすすをこぼさないようには出来ない。もうストーブのなかでは火は燃えているし大掛かりな掃除は出来ない。外に出てみると外部のL字型の下の蓋が落ちて吸い込みの力が分散していた。これははじめてのことだった。外部の煙突は煙を吸って熱せられいて外気の冷えで湯気が落ちる。二日もすると水が溜まってしまう。一昨日水を抜いて蓋の〆方がゆるかったようだ。それでも原因と対処が分かった。明日は火をつける前に煙突の横を外して掃除だ。これがタール状でばらさないと掃除は出来ないのだ。大変だな。
 ごみを捨てて手紙を出して湯まで下りてくると犬が対岸に向ってしきりに吠えている。見るとサルの集団がもっきりやの周りに群れていた。急いで行って、下から見上げると木の上で彼等はキーキーと騒いでいる。見ていると何となく連帯感が沸いて話しかけたりしながら家に入った。
 夜にヒューヒューと遠くで口笛を吹くような音がした。外に出てみると多分さっきのサルがこの辺りに留まっているのか鳴いている声だった。何か食べるものを探している。

1月絵日記の続き


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