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2011/01/20(木)
一年経っても僕はまぼろしのネコと暮らしている
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去年の1月20日午後8時30分タミコは僕のヒザの上で旅立って逝ったのですけれども、正直いって父や母、兄や伯母が亡くなったことと考え合わせると、僕の仏壇にはまず、タミコが中心にいるのです。下手な般若心経を朝に唱えるにしてもまずタミコに目をやってから父や母、兄や伯母を巡ってまたタミコに戻ります。タミコは捨て猫で、僕と出会ってほぼ15年を暮らしたのだけれど、いいネコで機知にとんだネコだと今でも思っている。一昨年の11月の下旬から食事を採らなくなって最後のひと月は僕のそばにいた。いい思い出のいいネコだった。タミコがいなくなって、それまでも泣き虫だった僕はより一層泣き虫になったし、生き物の眸を見ること、涙を見ることに心が揺すぶられるようになった。人間も同じだけれど生きとし生けるもの達の生き様に感動するようになった。 どうしたら人を感動させることが出来るのか、タミコが僕を見ていると今でも思っている。友人は猫でも捨て丸でも飼えばと云うけれど、まだ僕はタミコのまぼろしと暮らしている。広い家の中のひとつの部屋を開けると必ず「にゃっ」と小さな声でタミコが鳴いているように感じる。もう少し僕はまぼろしのタミコと暮らしていこうと思っている。 去年の今日はいい天気だったのだけれど今日の雪は湿った重い雪がレースのカーテンのように間断なく降り続いた。仕事を終えて索道に乗りながら明日は積るぞと空を仰いだ。
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