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最新の絵日記ダイジェスト
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2011/01/30(日) 愛おしくてならぬ
 日野の終末処理センターから子犬の奴さんを連れて来てもう15年になる。何でも人間だとすると90才に近いと言われた。あんまり利口ではないけれど可愛い仲間だった。足を引きずりながら歩く姿をみているとどうもいけない。おい!と声をかけても耳は聞こえずヒョコタンヒョコタン付いて来るだけである。もうそんなに長くない時間、ウンチや小便を垂れ流してもいいやと僕はおもう。
 昨日はテレビを付けたまま寝てしまってあんまり大きな声じゃ言えないけれどアジアで勝ち進んだサッカーチームに学んで政治も企業も役所も、教訓を得てもらいたいものだ。川島、長友、李には感動した。目標の定まらない今年にひとつの灯りになったのは確かだ。でも寝ちゃーあしようがない。

2011/01/29(土) 西荻だ
 山の雪は屋根で1メートルに近くなったという。この分だと2月まではどうにかなりそうだ。帰ればまた忙しいことなるのは必定だ。
 久しぶりに西荻で甥っ子と飲んでいた。まだ若い者に僕が教えられるのはこんなところだ。最近父親になった僕の甥っ子は子供の頃から連れて歩いていて、兄が亡くなってからより一層気になる存在になった。西荻の「戎」の雑然としたカウンターに並んで死んだ兄のことなどを話しながら飲む酒は店のざわめきとのアンバランスによく反応して記憶に残る酒になった。この店はひとりかふたりで短い時間に酒を楽しむには何とも言えない飲み屋だ。新宿の小便横丁が代替わりして若いオーナーになって観光地になってしまったいま僕の秘密の遊び場だ。だけどこのごろは結構混んでいるのが気になる。

2011/01/28(金) 犬と歩けば
 昨日はちょっと気を抜いたすきに大きいのをやられてしまった。
僕が食事の用意をすると奴さん必ず付いてきて何やってるのと目で訴える。歩けば突っかかるし耳も目も声も役に立たないのに食べることに掛けては尋常ではない。それですこしづつあげていたのだけれどそれがいけなかった。便が柔らかくなった。先日手に入れたカーペットの上だけれど始末に困った。
 今朝も散歩に出ようとした時玄関で小便をしてしまった。それがなかなかいい臭いなのだ。もっとも犬だけではない。奴っこさんの用足しをみていると僕が催してくる。犬は単なるペットではなく、人間にもその生き方死に方を教えて呉れるようだ。
 用事で6時間ほど留守にして帰ると奴さん自分の糞の上で平気で寝ている。おまけに放っていた責任を取れとばかりジャージャーと小便をした。

2011/01/26(水) ここにもいい景色があるじゃないか
 ずいぶん昔になる。僕がポストマンだったころ、佐々木昭一郎のTVドラマに釘づけになったことがあった。「A子」という女の子が大人へと成長するドキュメントタッチのドラマだった。田舎田舎した感じの役者ではない女学生が青森の十三湖からチェコまでの長い旅をしながら成長していくというものだった。一年に一作位でたしか五作も続いたと記憶している。そういったドラマを30年近い前に放送したNHKもすごいが佐々木昭一郎はもっとすごかったといつも思っていた。その「A子」を演じていた多摩美の学生も五十を超えただろう。
 今日は新聞などのゴミの日だったので、ついでに物置の片付けをやってみた。こんなことは女は出来ないし若い奴はまずやらない。僕のようなおっちょこちょいの爺さんの仕事だ。爺さんにも出来る仕事をやっつけてちょっと上機嫌だった。
 近くのスーパーで1000円のカーペットを老犬用に買った帰り多摩川の上にドラマチックな景色が広がっていた。

2011/01/23(日) 老犬は
 一見死にそうな動物を見ていると、自分の姿だと思う。目は見えず、耳は聞こえず、声も出ないし嗅覚も衰える。つまずいては体ごと倒れこむ。それでも犬はとにかく食べることへの執着は強く、上手にセーブしないと部屋のなかだって糞を置き土産のように残して置く。僕は手袋をしてアルコール消毒液をもって老犬を注意して見張る。
 タミコも具合が悪くなった頃はタールのような便をして困ったが、僕のしかめっ面を察してかタミコは食べなくなった。体が三分の一程に痩せて死んだのだが、そうするとこの老犬はまだ死なないようだ。難しいところだ。
 僕ももう少ししたら、この犬のように未練たらしく老いさらばえるのだろう。生き物の死は人の教科書のようだ。

2011/01/21(金) 用事が出来ました
 雪は30cmかな。沈んで20cmと言ったところか。
 用事が出来たので今日これから調布に向かいます。明日の12時1000円コースで到着を考えています。欅亭で食事でもして行こうかな。この時期ここを離れるのはよくないのだけれど渡世の義理も致し方ない。日記はNシステムを立ち上げて簡単に書こうと思っております。
 ところで大寒の今、出るに当ってはいろいろと気を使うのであります。火事は当たり前ですがまず水の凍結防止。湯沸機の水抜き。ガスの確認。停電に備えてリモコンで付く照明の電電を切る。玄関のサル対策(サルが引き戸を開けないようにつっかえ棒)それに掃除が大切です。帰りは月末になりそうなので安心できませんがこれは今までの経験を生かさなければなりません。そして索道の対策。都会の人の外出時の仕事と比べると少しおおいだけです。後は都はるみを聞きながら夜の雪道に注意を怠らずといったところでしょうか。それではちょっと行ってきます。

2011/01/20(木) 一年経っても僕はまぼろしのネコと暮らしている
 去年の1月20日午後8時30分タミコは僕のヒザの上で旅立って逝ったのですけれども、正直いって父や母、兄や伯母が亡くなったことと考え合わせると、僕の仏壇にはまず、タミコが中心にいるのです。下手な般若心経を朝に唱えるにしてもまずタミコに目をやってから父や母、兄や伯母を巡ってまたタミコに戻ります。タミコは捨て猫で、僕と出会ってほぼ15年を暮らしたのだけれど、いいネコで機知にとんだネコだと今でも思っている。一昨年の11月の下旬から食事を採らなくなって最後のひと月は僕のそばにいた。いい思い出のいいネコだった。タミコがいなくなって、それまでも泣き虫だった僕はより一層泣き虫になったし、生き物の眸を見ること、涙を見ることに心が揺すぶられるようになった。人間も同じだけれど生きとし生けるもの達の生き様に感動するようになった。
 どうしたら人を感動させることが出来るのか、タミコが僕を見ていると今でも思っている。友人は猫でも捨て丸でも飼えばと云うけれど、まだ僕はタミコのまぼろしと暮らしている。広い家の中のひとつの部屋を開けると必ず「にゃっ」と小さな声でタミコが鳴いているように感じる。もう少し僕はまぼろしのタミコと暮らしていこうと思っている。
 去年の今日はいい天気だったのだけれど今日の雪は湿った重い雪がレースのカーテンのように間断なく降り続いた。仕事を終えて索道に乗りながら明日は積るぞと空を仰いだ。

2011/01/19(水) 月夜廻りは雪は降らない、はずだ!
 この間の雪でふたたび除雪の仕事になった。昨日の疲れがそこここにあって寝ていたいのだけれど経済も大切で朝の8時前に索道に乗って右岸に渡った。予報では晴れるというのだけれど日差しまではいかなかった。何だか後2週間はこの寒さが続くと云うのだけれどほんとなのだろうか。小千谷の友人はすでに3回も屋根に上がったといっていた。僕の2回はいい方だよと慰められるのだけれど月末に用事があってここを離れる僕にしては大雪にならなければいいのだけれど願うばかりだ。ということは帰ったらまた屋根に上がるようだ。
 ところで今日の仕事は水力発電の除雪なのだが流れのゆるいところの雪は水の上で山のように積みあがっていた。カンジキが雪のなかで外れたりなかなか大変だ。一度雪のなかをカンジキを履いて歩いてみるといいかもしれない。切明の温泉を基地にして5時間ほどでも外を歩いてみるといい体験になるはずだ。人が湧いて出るような紅葉の頃と違って人っ子一人いないこの時期の遊びは自分に自信が出て来るような気がするのだが、そんなことをするワイルドな若者はいないか。
 今夜は十五夜か十六夜のような月が出ている。月夜のころは雪は降らないといわれている。ということは今夜は安心して眠れるはずだ。

2011/01/18(火) ひとりで出来たもん
 昨日のサウジ戦を見ていていい気持になって、勢いで今日は屋根の雪下ろしと決定した。そんな訳で渋りながらも11時に屋根に上り4時まで上にいた。ほぼ1.2mの雪はわりと重さがあった。5時間というのは少し掛かりすぎだが終わるまではしょうがない。ひとりでの作業で事故もなく下りることが出来たのは嬉しい。終わってホッとしている。どうも怖いから変なところに力が入るのか腕が痛い。でもこの冬2回目の雪下ろしだから大変よく出来ましたなのだ。いつも言うけれど僕は屋根の上が大嫌いなのだから、今は安心に包まれて幸せと言うことだろう。結局下ろした雪を片付け終わったのは5時に近かった。ビールなんか飲んで余裕だ。
 森宮野原駅で210cmの積雪という。今年は少ないと思っていたけれど結局いつものようになった。もっとも雪は降るときは降った方がいいので、この分では2月になれば少し落ち着くかもしれない。
 今日の僕の嬉しさが分かる人は少ないだろう、と思っている。僕だけの嬉しさだ。

2011/01/17(月) ひどい降りに苛められている鳥も僕も
 風は左程なかったからいいようなものの今日もまた続きの大雪だった。今日の雪は少し湿り気があって重い雪だった。10時に砂防ダムの大事な話があるのだけれどこの雪降りだし、どうしようかと考えていた。道も索道もすっかり雪に埋まってしまっていてやめようとしたのだけれど、旧仁成館のご主人は出なくてはダメだという。それならついでに道の雪踏みと索道の除雪、車の雪落としを兼ねて出た。いやーそれが腰まである雪に難儀させられる。ここから索道までは下りで昨日それでも踏んでおいたからまだいいとしても索道が右岸側の堰堤に入らない。重い雪で踏ん張りのないカゴからの雪かきに手間取った。そこから湯まで、腹まである雪をスコップでかきかき上るのだがこれは苦行である。こんな時は地元の人は外には出ない。それはそうだこれで風でも吹けば事故になることもあるのだから。でも今日は温泉のご主人が道を作りながら下りてきてくれた。助かった。湯の車で用事を済まして、区長宅に回り昼を馳走になっていると一羽のツグミが飛んできて煙突に止まっている。このツグミは煙突の暖かさを知っているのだろう。そりゃこんな降りになれば何も食べられないだろうし、せめて少しでもいやすい場所を探すしかないのだろう。
 さてそれから湯で麻雀の員数を付き合ってから帰りつくのだが、暗くなった玄関前を明かりをつけて除雪をした。つまらない砂防ダム用地の確認という国の仕事に振り回されてしまった1日だった。索道をつり橋に変えられるのかと聞くとまったく未定だという。それでは困るから僕は鉢巻でも締めて忙しくするかと考えてみた。それは先のことだけれどまず明日か明後日、止めば直ぐに屋根に上るしかないだろう。

1月絵日記の続き


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