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2010/09/18(土)
ちょっこし考えてみた
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案の定今日は気温も上がっていい天気だった。それでもきのうの雨の影響は残っていてミキサー車の要請を見合わせたことはしょうがなかったと考えている。 お客さんがいるので津南に買い物に出ながらつらつら考えるのだ。ここに来たのが平成7年ですでに足掛け16年目には入る訳だ。来た当時は家の中も汚れたままで住む環境には程遠かった。来た当初はどうも馴染めず早く東京に帰ろうと考えたものである。天井を這うヘビの音や、土壁が雨に濡れて崩れる音にとても驚いた。ズーッと電話の前で電話の向こう、東京の友だちからの連絡を待っていたこともある。あるときはカメムシの大発生に震え、止まない大雨にこころが凍った。そんな僕が少しづつ家の中を直し、小林大工や御普請組の力を借りて今日まで来ることが出来たと思うのである。そうしなければ当然ここに僕はいなかっただろう。 思うにここでひとりで暮らすことはある意味恐怖を体の中のどこかで感じているのではないかと。普段はちっとも考えたことはないのだが取り残されているといった不安に滂沱の涙を流しているのではないのかと。そんな自分をここにつなぎとめるように毎年アンカーとしての工事を行って、ともすると逃げ出しそうになる気持をつなげているようにも感じるのだ。恥ずかしいことだが毎日元気そうに話しているほんの先にビクついている僕がいるかもしれない。そんな風に考えながら山を下ってゆくと今回の工事も、それが思うように行かなくても差ほど大きな問題ではないと感じた。それだけ毎年こんな工事に悩んでいるほうがこころの底の底にある恐れに比べれば大したことではない。あのカーツ大佐がラオスの奥山で作った王国の中にいて「恐怖だ」と呟く場面が浮んできた。
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