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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2010/08/16(月) しゃっくり考
 昨夜は暑く寝苦しかったが、そのせいか2度ほど夜中にしゃっくりで目が覚めた。夜中もしゃっくりで悩むようでは「病膏肓に入る」ところに落ち込んでしまう。何年も止まらない患者がアメリカにいると聞いたことがある。
 そこで考えたのだがしゃっくりは急に冷たい飲み物なんかを飲むと起こるゲップから始まるようなのだ。そこで本日はまずゲップを起こさないように勤めるのだ。その時は息を飲み込んで当初のゲップを押さえつける。これはしゃっくりが続いているときに止めるべく息を止めるよりか楽なようである。そもそもしゃっくりは気持の問題で嫌だ否だと思っているとどうもそれを引き込んでしまうことになるのではないかと。今朝はゆっくり起きだしたのもよかったのかそれは起きなかった。ただゲップの兆候は何回もあってその都度息を飲み込んで押さえつけた。友人が帰ったのでそのまま激しい仕事をしてしゃっくりの軟弱さを凌駕すると、この暑さだしゃっくりどころではないしょっぱい汗を舐め舐め草刈を続けていた。
 草刈作業でふらふらしながらも続けたわけはしゃっくりもあるが18日からの仕事の予行演習でもあるのだ。2週間家に居たお陰で楽だったせいもあったのだろう。お陰でしゃっくりも止まったし、畑と道の草刈も写真に写るところだけはきれいになった。
病気になってもわが身の不運を嘆いてばかりいてはいけないのだろう。何か夢中でやっている内は病状も進まないものだ。
 ただ書き込みで「豆腐は何で出来てるの?」「大豆でしょ」の掛詞は覚えておこう。今度しゃっくりが出るのが待ちどおしい。3日は困るが。でもひとりで自分に問いかけて効果はあるのだろうか。
 名言
  人は生きているから病気になる                  澤地久枝

2010/08/15(日) グダグダ、ボチボチ
 蒸し暑い一日でグダグダと寝そべっている。夜になっても涼しくならず、断片的に続くしゃっくりに苛立ちを募らせている。人がいるうちに薪を運ぼうと軽トラ1台分のカエデやナラを運んだ。終戦記念日も済んでお盆も終われば後は冬の支度をボチボチやらざるを得ない。切明では観光地になった川原の野天風呂にわんさか子供が遊んでいた。
 明日は畑の草刈でもやってみよう。しゃっくりさえ直ればいいのだが。3日続いているな〜
 名言
  死を意識したとき、人間は果てしなく孤独である
                        「火の魚」NHK広島

2010/08/14(土) しゃっくりの止め方が分からない
 昨日は伊達巻戦争の戦友が来て一杯飲んだのだが直ぐに酔ってしまった。おまけにしゃっくりが止まらなくて興醒めだった。しゃっくりは朝からふたたび続いて、シャクだから草刈を始めた。ほんの少しだったが家の周りをきれいにした。その時はしゃっくりは止まったが、早実が点を入れすぎたせいかまた始まった。これは病気かも知れない。しかし実にくだらない病気にかかったもんだ。しゃっくりで死んだらスポーツ新聞の3面トップだろう。もっとかっこいい病気にならなければだれも涙を流してはくれないだろう。そこで思い出したのだが先日の腹擦り沢工事のときに見たサンショウウオを探し出して丸呑みすれば直るかもしれない。ついでにクマイチゴも食べてみたらクマが怒って出てき、ビックリして止まるかもしれない。でも丸呑みは出来ないな。
 このお盆中にめずらしくお客さんが来るというので張り切って用意をしている。
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を離れるときに教えられた10の教訓その10
  人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。
  あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いて行くことだ。
                            「旅する巨人」 佐野眞一

2010/08/13(金) 報告 援軍氏出来たぞ!
 腹擦り沢にU字溝を置いて完成を見るため、今日も津南に下りた。町にはお年寄りを連れた人が県外ナンバーの車で買い物にやって来ている。お盆用の仏花を買ったり台所用品を買い求めていた。お金はお年寄りが払う。息子らしいおじさんは荷物を車に積み込んでいた。たまに帰ってきた子供達がお年寄りの暮らしを改善すべく頑張っているのだろう。盆明けにはたくさんのゴミが出ることになる。しかし昼前にはよく車が行き交っていた。お祭り気分になった。
 沢にU字溝をひっくり返して置くとどうにか完成だ。100パーセントではないが合格点だろう。ギリギリだが。これで少しは運転の下手な人も来れるはずだが「まだ道は悪いぞ!」と看板を出す準備をした。もちろん何時も運転している人はいいけれど、たまに乗る人には来てもらいたくない。そんな人は道を壊しにくるだけだから。毎年そうだが、お盆には呑気なものでテレビだけを見ている。少し困ったと思っていると御普請組から18日から仕事だと連絡があった。東京に行きたいのだが行けなくなりそうだ。
 名言
  宮本常一が、父善十郎より故郷を離れるとき教えられた10の教訓その9
  自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。
                            「旅する巨人」佐野眞一

2010/08/12(木) 昨日の雨で側溝は埋まってしまった
 台風の影響でもないが一日雨模様だった。こんな日はごろごろとしているべきだろうと思っていた。昼過ぎに雨も止んだので腹すり沢の様子を見に行った。あまり上手とはいえないがコンクリートは固まっているように見えた。ゆっくり軽トラで上がってみた。走ってみたかった。明日になれば通れるようになるだろう。
 昨日の雨が思いのほか多かったようで土側溝が砂で埋もれて水が道に溢れていた。そのままにしてもいられず重機で側溝の土砂を排除した。雨が強くなったので合羽を取りに戻って、雨の中作業を続けた。すっかり濡れたがやり終えれば満足だ。もっとも何もしないで家でごろごろは面白くないからいいのだけれど、ここでの暮らし方が身についてしまったようだ。またどうにか重機も下手なりに使いこなせるようになった。環境が人間を作るという格言は僕の場合にも当てはまる。人生そんなものだ。
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を離れるとき教えられた10の教訓その8
  これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。
  そうしないと世の中はよくならない。
                        「旅する巨人」佐野眞一

2010/08/10(火) 捨て丸はクマを怖がったか
 雨も降らず昨日はコンクリートにとっていい日でした。今日の3時過ぎから激しい夕立が降っています。川も濁って来ました。秋山全体ではお客さんの数も左程多くないように思います。先だってクマが3頭檻に掛かっていたようです。最近のクマは人間の残飯をあさっているようで太っているものもあったようです。人間の近くに出るクマはとても用心深くここは自分達の居場所ではないことを感じているようでゴミにしたって引きずるようなことはせず袋ごと咥えて跡を残さないように運びます。彼らの環境も厳しいに違いありません。山には今ごろ成り物も少ないようでおまけにナラの木が枯れて今年のドングリは期待できないようです。ますます山のクマは人家近くに下りて来ざるをえないようです。きっと「捨て丸」が鎖に繋がれて周囲を跋扈するクマの怖さをいちばん感じていたはずです。
 今年は蝉の鳴き声が少ないようです。去年は赤とんぼがほとんどいなかったけれど今年はまた見かけるようになりました。どうしてなのか僕は分からないけれど、来年にはうるさいくらいの蝉の声を聞きたいものです。そうしないと「沈黙の春」になってしまいます。僕らは何を諦めたらいいのか考えさせられます。この暑さの中で。
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を離れるとき教えられた10の教訓その6
  私はお前を思うように勉強させてやることができない。だからお前には何も注文しない。
  すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではお前を勘当したつもりでいる。
  しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。       「旅する巨人」佐野眞一

2010/08/09(月) 水が止まらなかった
 段取りは充分だったが、沢の水を逃がすことに失敗した。結局始めの予定と違って水の道にコンクリートを打てないのでそこはU字溝を逆さに伏せることにしてどうにか生コンを打った。思ったより水量が多かった。しかしやってしまったことはしょうがない。援軍氏の努力を思うとどうにかしても完成して見せなければならない。御普請組に何年もいる割には工夫と考えが出てこないのは問題なのだろうか。しかしコンクリートを打ち終わった頃は終わったという安堵感でへなへなと体が萎えた。この沢にはサンショウウオがいたのが分かったり、クマイチゴがたくさんなっていたり工事さえなければ発見の一日だったけれど何せ昨日からドキドキだったのだ。明日援軍氏を津南に送ってからU字溝を見に行ってみよう。なんだかとても疲れた。
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を離れるとき教えられた10の教訓その5
  金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。
  それだけは忘れぬように。
                                「旅する巨人」佐野眞一

2010/08/08(日) ひとりで工事が出来るのか心配だ
 援軍氏を迎えに津南に下りた。ウォシュレット用の止水栓が届いたと頼んであった「ナカヨシ設備」から連絡があり受け取りに行ったがポストに置いていてくれた。これは中古の機械用の分水栓でさっそく帰ってから工事に取りかかった。狭いトイレで頭を便器に擦りながらどうにか設置できた。うれしかった。
 援軍氏は明日何か工事を手伝うといってくれた。そこでMロードの難所、腹擦り沢の改良工事を敢行しようと考えた。生コンを1立米頼んで残ったら路面に敷いてみようというわけだ。どうなるか心配しながら酒を飲んでもちっとも酔わなかった。おまけに夜中に目が覚めて準備やら心配やらでちっとも眠れなくなったが気がついたら朝になっていた。何にしてもこれから始めるというときは心配なものだ。
 津南の田んぼの稲はこのところの天気でだいぶいいようだ。花が咲いて収穫の予感を感じさせた。田んぼはいいけれど明日の工事がとても気になった。
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を離れるとき教えられた10の教訓その4
  時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
                             「旅する巨人」佐野眞一 

2010/08/07(土) 新しい部屋を作った
 チンタラと片付けを続けた。日差しの下には入ってはいけない。クラクラするから。そんなもんで起きだすと同時に布団を干した。お客用の布団も大事だがまず自分の布団を干していなかった。さて先日作った空間に布団部屋の荷物を分け入れた。15年ぶりにレコードを開けてみたり、飾ってみたり。こんなことは余裕がなければ出来ないし、先日の草刈貫徹の効果だと思う。しかし、いらないものが多すぎる。明日なにかで死んでしまったらこのガラクタをどうしようかと思ってボーッとしたり。下と上を行ったり来たりしながら形を作っていった。昔、千住でやっていた喫茶店時代の店作りを思い出す。部屋は秘密の部屋のようになった。部屋の名を考えてみた。もっきりやはまず2階の部屋には「雪客」(サギ)、「鷽」(ウソ)、「斑鳩」(イカル)と鳥の名がついている。続けて読むと詐欺、嘘、怒となる。対抗できる名が浮ばないが「ツミ」という小型の鷹もあるが漢字が分からない。
 明日は倉庫を片付け池にターフでも掛けようか。観光地らしく、へ!
 名言
  宮本常一が、父善十郎から故郷を
  離れるとき教えられた10の教訓 3
  金があったら、その土地の名物や料理は
  たべておくがよい。その土地の暮らしの
  高さが分かるものだ。

2010/08/06(金) 暑いからチンタラ片付けていた
 テレビから青森市のねぶた祭りが聞こえている。ねぶたというと太宰治や棟方志向がドンと浮かび上がってくる。千住で喫茶店をやっていた時、常磐線沿線に住む友人と上野で飲んでいたことがあった。酔って上野駅に立つと急行「十和田」がホームに止まっていた。25年も前の話だ。十和田は松戸に停まるというのでそれに乗り込んだ僕らはなんというか空いた客車に見せられてしまった。友人は女房もいて自由にはならないので松戸で下りたが僕はそのまま十和田に乗り続けた。一ノ関を過ぎた頃、衣川が高館の下で北上川に注ぐ辺りで車掌に起こされた。終着の青森に着いてその日の上りの「十和田」が出るまで青森をうろついたことがあった。すでに青函連絡は運行を終わっていて港には「十和田丸」が係留されているだけだった。暑い日だった。日が傾くのを待って梁山泊なる飲み屋を見つけて開店と同時に客になった。飲んでいるとどこからともなくねぶた祭りの笛と太鼓が響いてきた。圧巻だった。祭りが始まると同時に列車に乗り込んだが窓を開け放って祭りの余韻を感じていた。東北のねぶたは別格の祭りだと今でも思う。
 消防の立ち入り検査を終えて、棚を作ったり、布団を干したり、仕事で出来なかったいろいろをやった。ニレタケがまた出ていた、かぐらなんばんの佃煮も作った。ちょっと色っぽい映画も見たり勝手気ままに楽しんだ。これからウィスキーなんか飲んで僕が十和田に乗った後のねぶたを見てみよう。
 名言
  宮本常一が父善十郎から故郷を離れるとき教えられた10の教訓 2
  村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登って見よ。
  そして方向を知り目立つものを見よ。峠の上で見おろすようなことがあったら、お宮の森や
  お寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。
  そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。
                            「旅する巨人」佐野眞一

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