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2010/08/03(火)
歩荷(ボッカ)
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久しぶりに荷揚げの仕事になった。燃料を上げるのだがタンクの中で液体がゆれるのは担ぎ難いものだ。 ボッカといえば若い頃、栃木県栗山村の奥鬼怒の八丁の湯で働いたことがあった。そのとき夫婦淵温泉から八丁までよく荷揚げをやった。僕らは充分に若かったけれどボッカは苦手だった。ある日、飯米を30kと醤油を一缶20リッター入りを担いで二人で歩き始めた。50kになる荷はもちろんひとりで背負えるわけもなく手伝ってもらって立ち上がるようだった。1時間で行ける距離でボッカだと2時間あればと思っていたが、途中カッタテの滝辺りでどうしようもなくなって醤油を下ろして、米を背負っただけで八丁の湯にたどり着き、取って返して醤油を運んだことがあった。八丁のオヤジさんは僕らの非力を見てをがっかりしていた記憶がある。その後、呆れられたのか仕事でのボッカはやらなかったが、当時地元の荷揚げを専門にしてくれる人は90kの荷を頭の上に50cmも積み上げてボッカによく来たものだった。背負子は身の丈ほどもあって休む時も杖を荷の下において、決して尻をつけなかった。1貫目が900円ほどの手当てになったようだ。それから10年経って南アルプスの百間洞に連泊した時ボッカを手伝ったことがあった。缶ビールをふたつ背負ったがどうにかついてゆくのが精一杯だった。今は道もよくなったり、ヘリでの荷揚げが主流になったが昭和40年代まではボッカが中心だったようだ。この辺りでも渋沢ダム工事に人夫が多く投入された30年代、地元の若者だった福一さんは毎日お米を一袋仲間と嫌になるくらい運んだそうだ。 名言 人と違ってこそ、最愛の人になれるの ココ・シャネル
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