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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2010/07/18(日) 草刈の合い間に観光地へ
 苗場山に行く友人と釣りに向うお客さんの居なくなった頃から草刈を始めた。9時から12時までの3時間の作業にはカンカン照りのなか機械を使うのだがクラクラするぐらいの暑さに作業ははかどらなかった。そこで捕虫網をもってカヤノ平に出かけてみた。チョウは春と夏の境だったのかあんまり飛んでいなかったがカヤノ平に集まる人たちに夏の到来をみた。大きなキャンプ場でひと張り900円のキャンプ料は安いと思った。貸し出しテントもあるようで志賀高原に向うよりかずっといい気持ちだった。標高1450mのカヤノ平はここから30分ほどで行けてそこから2時間ほどで八剣山(1675m)を回って来れるようでいいコースだと思う。いろいろいいところが夏ならあるじゃんと軽トラックに乗りながら帰ってきた。
 4時からふたたび機械を回して草を刈ったが涼しくなった分ずい分進んだ。あと30分もあればMろーど取り付け区間の作業は終わるだろう。
 夕立もなく梅雨明け10日といったドッピンカンで僕もどこかに出かけてみたいのだが趣味の宿泊業者としては旧盆が終わるまではここにへばり付いているしかない。
 名言
  地球温暖化で来ること 「地球に地獄がやって来る」   INSLA(インスラ)

2010/07/17(土) 料理とチョウチョと盃と
 梅雨は明けたようだ。昨日のお客さんは釣りから帰って言うには「水が多くてね」と釣果を話した。ただ今日は2時半から激しい雷雨に驚いた。あけた梅雨が戻ってくる降りではなく南国のスコールのように屋根を叩いた。
 津南に買い物に出て本職の板前さんの教えで料理を作ってみた。鳥の南蛮漬けと炊き込みご飯、キャベツときゅうりの塩漬けなどの味が僕の作る単純な味ではなかった。レシピを書き込んでこれからの料理の基礎にしなければならない。
 チョウの先生と蛹になったギフチョウを素焼きの鉢に移し天敵の侵入を防ぐ工夫をした。いざ地中に埋め込む時になって先生は腕を組んで考え込んでいた。掘り起こした地面にアリの巣があったりクモがうごめいている。チョウにとっての害虫がいるときに土に返すのは完璧さに欠けるというのである。秋までこのままでも蛹に影響がないのだから秋に、紅葉が終わる頃に土に埋めようと指示した。より完全な飼育を考えると僕も賛成をするしかなかった。20兎いた幼虫は結局18兎が蛹になって残りのひとつは最後の蛹化のときに失敗した。またひとつは脱皮の時に何かあったのかマッチ棒の大きさでひとつだけ飼育箱に残っている。寂しいのか箱の中を動き回るだけだ。
 これでどうにか来春にチョウを放すまで解放されたのだが春のこの3ヶ月は忙しい思いだった。その労を労わるようにきょうは上手い酒を飲んだ。
 名言
  芸は下手型の上手がいい              緒形拳

2010/07/16(金) 考えなくっちゃ 残りの人生はない
 近頃どうもいけない。生活が単調で流れてしまっている。何を考えるのもするのもいまひとつ盛り上がらない。これはある意味ではこころの病気なのかもしれないが、何処といって痛いところはない。残り少い時間をこんな感じでズルズル過ごしてはいけないと思うのだが日々の暮らし方に工夫が足らないとは感じていたのだ。
 昨日の夜のことだ。テレビの中に映し出された免疫学者「多田富雄」さんの言葉に電気が走った。今年の4月に亡くなった多田さんが長い闘病生活に立ち向いながらつぐんでいった言葉に「どうしよう」と思わずにいられなかった。思いあぐねて友人に話すと「草刈しながら哲学を考えろ」と教えられた。
 きょうはお客さんが来るので仕事を休んで準備を終えると友人の教導を実践した。畑の草刈をしながら哲学を探すのだが機械の音と振動に考えはいっかに進まなかった。そのうちに僕の哲学は唱歌に転化して“さ霧消ゆる湊江の、舟に白し、朝の霜。ただ水鳥の声はして、いまだ覚めず、岸の家”声を出して唄っていた。少し気分が楽になったけれど結局、勉強をし続けなければ老いてゆく時間を生き抜けないということだと気付くのだ。遅いということはないと多田さんは言っている。
 名言
  死ぬはずだった自分の命の限り生きてみようと思った。
                            多田富雄

2010/07/15(木) 草刈三昧
 山の草は水分を貰ってどんどん大きく伸びている。春先の草とは違った存在感である。葡萄のツルやスカンボ、アザミなどが太くヤッカイな草となる。ナイロンのヒモでは容易に刈ることが出来なくなってエンジンを全開にしてブンブンと挑んでゆく。急な斜面などでは何となくクラクラするように感じて、両足をゆっくり動かして足元を確保しなければ前には進めない。こういった斜面の草刈は嫌になるのだが仕事というものはそんなものでどうにかこうにか全員で協力して仕事を終えたときはホッと安堵した。
 アジサイにふたつのヒョウモン蝶が飛んできた。上手く刈り残そうとするのだが斜面にへばり付いてそれどころではなかった。ただ僕の周りを飛び回るのでパチリと写真を撮ってみた。
 仕事も大変だが明日は3回目の道の草刈をやろうと思う。チップソーの歯で刈らなければならないところとヒモで刈るところがある。機械が二つあればいっぺんで終わるのだが、まずヒモで刈ってからということになる。仕事でずい分機械を使っているのだから少しは上手になっているのだろう。この連休の間に刈ってしまおうと勇ましい限りだ。出来るかしら。
 名言
  いやァー自分で育てた子供より、謂わば他人のあんたの方がよっぽどわし等によくしてくれた。ありがと。  
                       「東京物語」小津安二郎

2010/07/14(水) アジサイ街道
 このところの天気をアジサイは喜んでいるようだ。車で走る脇にアジサイがきれいに咲きそろった。青が濃さを増して気持がいい。山での変化なんてそんなに奇抜ではない。時期が来れば花が咲き季節の移ろいを教えられる。雨の時期に雨が降ってから夏が来る。今年の夏はどうなるのかとアジサイを眺めている。
 まだ畑は草ぼうぼうだ。ソバを植えるにしても草を刈って起こさなければならない。ちょっと無理かもしれないがアブが出る頃に耕運機で耕してみよう。この畑は本来田んぼだったのだが水路の管理が出来ないので結局畑にしてしまった。昔、ここの大家の信一さんが若い頃、家族を養う為に夜カーバイトの明かりを頼りにひとりで作ったものだ。石組をして畑の中に出た大きな岩は同じくらいの穴を掘りそこに埋めてひとりで稼ぎ仕事の後に延々と作ったものだ。そう知った僕は毎年その苦労を忘れない為に何か作るのだがここのところどうもだらしなくなって信一さんの苦労に答えられていない。それは問題なのだが、どうも人手が足りなくて困っている。
 名言
  強い想いを強くこころにしまっておく人だけが、聴く人にこころを届けることが出来る。
                            ジョルジュ・サンド

2010/07/13(火) gifu keep and Increase
 あさにギフチョウがひとつをのぞいてすべて蛹化した。幼虫は3日ばかり糸で体を固定したまま最後の脱皮を終えると蛹になった。体を前後波打たせるようにして白いまま蛹になり一日かけて硬く蛹化を完成させる。そのまま半年地中で春を待つ。残るひとつは寂しくなった箱の中でマッチ棒ほどの大きさで黒い毛も生えていない。もう2・3日様子を見てみよう。
 先日聞いた話だと捕虫網を持った人はこう云ったという。「人工飼育のチョウでは意味がない、自然に羽化したものを捕まえるのだ」と。このチョウはほんとに少なくなったので増殖のために僕もこんなことを続けているのだけれど、そう考えない人はたくさんいるのだろう。仕方ないことだけれど来年に外に放すチョウが自然のチョウとして捕獲されるのなら本望だ。出来たら産卵を終えたチョウを捕獲してもらいたいのだが。それもいくつも捕まえるのではなく、ひとつだけにして。
 案の定外に出ると雨が降り出し合羽地獄でずい分さむい思いをした。作業着でなくTシャツに合羽を着てシャツを着替えればいいのではないかと、仲間の一人が話す。そりゃいいとおもった。乾き易い生地のシャツを持って出れば洗濯も少なく済むのではと思う。朝は忙しいからこれから準備するか。
 名言
  言いたいやつには、言わせておけ           伊藤博文

2010/07/12(月) 「困る」
 明け方に激しい降りになって仕事は中止になった。その後雨は激しさをなくしたが終日雨空だった。新聞を買いに津南に下ってそのまま十日町まで出た。昼前から出たのだが帰りは5時を回っていた。電気屋とかホームセンター、スーパーを回っただけなのだが一日が終わってしまった。買い物だけで一日が終わってしまうのは「困る」。
 先月友人からウオシュレットの便座を貰ったので水道の止水栓を探しに出たり、ガスコンロを見に行ったのだがいまいち納得がいかずに帰ってきた。買い物をするには準備をしなくてはいけない。何をどうするのか、サイズはどうなのかを確認しなくては無駄足になる。設備屋さんに頼んだ方が早いのかもしれないが自分も分かっていないといざというときに修理が利かない。町で暮らせばお金がかかるし山で暮らすと何でも勉強しなくてはならない。どっちにしても「困る」ことだ。ことに最近は面倒だと思うようになっている。
 十日町にBOOK・OFFがあって読み易い本を捜すのだけれど読みたい本はなかった。こういったところが地方で過ごす時に「困る」ところだ。結局東京に買い物に出たほうが手っ取り早い。
 選挙はまた衆参ねじれ国会と見出しに書かれている。だからまた選挙をやれと言うのでは限がない。世界中のどこの国の政治だってねじれはあるのだろう。国連じゃあるまいし、ひとつの国になかで与野党がいがみ合って話し合いも出来ないようでは国民は「困る」だけだ。
 名言
  修復的司法 語り合いが社会を変える    ノルウエー法学者

2010/07/11(日) 山の水
 子供だった頃父親に連れられてよく山に出かけた。父はよくこう言った。「底に赤茶けた岩がある水は飲むな、水苔が生えている沢の水はまず大丈夫、流量の多い水を飲めよ」仕事で奥に向う時いくつもの沢を渡って行くのだけれどその時は水の冷たさが飲む基準になっている。仲間は長いことその道を歩いて、先輩から教えられた水を僕に教えながら飲んでいる。みんな美味しい水だ。
 ところが最近の登山者はこう云った水を飲まなくなった。みんなペットボトルの水を大事に飲んでいるという。もっとも沢筋の水と違って尾根の下の水は雨などが降ると周りの汚れを抱き込んで流れてくるので汚れる公算が強い。山にはケモノがたくさんいてそれらのフンなどが雨水に乗って流れてくる。それで生水に慣れていない中高年の登山者や初心者が水に当ってしまうらしい。それだけ人間が弱くなっているのだろうが、水を見る目を作っていろんな人に聞いて体験を重ねて覚えてゆくことしかないだろう。最近は100名山登山の人が増えてこの辺りでは「苗場山」にはたくさんのツアー登山客が入り、その分山は汚れ水も汚染されるということだ。因みに苗場の山頂小屋ではタタミ一畳に二人が寝かされると聞いた。そんな混雑する山のチョロチョロ流れる水は避けるのが賢明なようだ。
 名言
  仕合せは待っているものではなくて、自分でつかんで思い込むものだと今は思っています。
                            都はるみ

2010/07/10(土) 骨休みに徹した
 二日続けてよい天気になった。気温も上がって洗濯物を日に当てたりしてのんびりしている。
 山椒の木にいたカラスアゲハの幼虫は地面を這って蛹になる場所をさがしている。素焼きの鉢にひとつの幼虫が張り付いていた。先生によるとこれは9月頃に羽化するという。自然に任せよう。でもきれいなアゲハだ。
 さて明日からまた雨の一週間が始まるという。選挙に出かけてもう一日呑気に過ごそうか。年になったせいか疲れが抜けなくなった。
 釣りの客が川に降りて行った。水量が多いせいか昼は釣果がなかった。今また竿をだしてるようだがまだ帰ってこない。是非ひとつでも釣ってもらいたい。せっかく来たのだから。
 名言
  もし人生をやり直すのなら、私は結婚しないだろう。
                           チェーホフ
 

2010/07/09(金) ギフチョウは進化する
 このところの幼虫は毎日、毎日変化しながら着実に蛹へと進んでいる。今朝はふたつの蛹を見た。
 6月12日に3oほどで見つけたギフチョウの幼虫は今は子供の小指ほどに大きくなって2・3回の脱皮をくり返して最後の脱皮を行って蛹へと成長した。20あった幼虫ははっきりと数がつかめない(ミズゴケの中にもぐりこんでいるのもいて)が15・6匹以上はいるだろうか。成長の遅いひとつを除いて。
 蝶の幼虫といっても大小いてみんな一緒に大きくなるものではない。食草のサイシンも葉っぱだけを食べるのではない。脱皮をする前には茎を食べてフンをたくさん落としてから一両日は暗いところに隠れて動こうとはしない。脱皮した皮を横に置いてやがてふたたびがつがつと食べ始める。多分蛹になるまでは5〜6枚のサイシンを食べるようだ。僕は毎日食草の水を取替えフンを片付け(カビが来ないように)大きくなってからは水苔を絞っておいて見たり忙しかった。ほとんどひとつき続けた。まァそれほど神経質になる必要はないと思うけれど。自然界ではもっとハードな環境に晒されているはずだし、ただ食草が枯れないように、新しい葉っぱを何時も確保しておいただけだ。
 この2・3日の幼虫は精一杯大きく体を動かし巣箱の中を移動していた。きっと蛹になる場所を探していたのだろう。場所を確定すると体を縮めて糸を出して固定して最後の脱皮をする。同じ場所に何匹もの幼虫が集まっている。安心なのだろう。
 ひとつ出遅れた幼虫が何時まで立っても脱皮をしない。だめかもしれないけれど最後まで。
 名言
  時や恐るべし 教育や恐るべし           山田風太郎

7月絵日記の続き


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