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2010/07/16(金)
考えなくっちゃ 残りの人生はない
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近頃どうもいけない。生活が単調で流れてしまっている。何を考えるのもするのもいまひとつ盛り上がらない。これはある意味ではこころの病気なのかもしれないが、何処といって痛いところはない。残り少い時間をこんな感じでズルズル過ごしてはいけないと思うのだが日々の暮らし方に工夫が足らないとは感じていたのだ。 昨日の夜のことだ。テレビの中に映し出された免疫学者「多田富雄」さんの言葉に電気が走った。今年の4月に亡くなった多田さんが長い闘病生活に立ち向いながらつぐんでいった言葉に「どうしよう」と思わずにいられなかった。思いあぐねて友人に話すと「草刈しながら哲学を考えろ」と教えられた。 きょうはお客さんが来るので仕事を休んで準備を終えると友人の教導を実践した。畑の草刈をしながら哲学を探すのだが機械の音と振動に考えはいっかに進まなかった。そのうちに僕の哲学は唱歌に転化して“さ霧消ゆる湊江の、舟に白し、朝の霜。ただ水鳥の声はして、いまだ覚めず、岸の家”声を出して唄っていた。少し気分が楽になったけれど結局、勉強をし続けなければ老いてゆく時間を生き抜けないということだと気付くのだ。遅いということはないと多田さんは言っている。 名言 死ぬはずだった自分の命の限り生きてみようと思った。 多田富雄
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