来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2010年7月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

直接移動: 20138 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200811 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200711 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200611 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200411 10 月 

2010/07/31(土) 掃除洗濯また草刈か
 釣り好きのお客さんは岩魚を痛めないように針の返しを潰して小さい魚がかからないように大き目の針をつけて川に入るという。それでももう釣りはやめようかと悩みながら一杯一杯と重ねていた。
 今朝ようやくひとつ掛かったといって帰ってきた。リリースしたようで岩魚は見えなかったが是非一枚写真を撮って記録していってもらいたいとお願いした。その写真が枚数を増やしていけばそれだけいのちを救ったことにもなるし記憶に残るだろうと。
 みんな帰ってから洗濯、布団干し、掃除と忙しい。それでもひとりになってホッとしているのも本当でお客さんと一緒に飲んでいたらたまらない。けれど今日もお客さんが来るのだ。その前に草刈に出なければならない。体がふたつほしいものだ。ゆっくりウィスキーでも飲んでみたいものだ。
 昨日の草刈現場で、友人に草刈好きがいるもので再三載せます。
 名言
  「いったい進歩というのは何であろうか。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのもので
  あったのだろうか。進歩に対する迷信が退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間
  だけでなく生きとし生けるものを
  絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある」
                                     宮本常一

2010/07/30(金) オナガアゲハや世界旅行
 お客さんがゆっくり支度をして10時頃に外の川にでかけていった。さて遅い朝食を取って右岸の草刈を始めた。2時までかかって右岸を終え、4時からまた家の周囲の草刈を始めた。一日自分の仕事をやり終えた。どうだという気分だが昨日見つけたニレタケを始末して和山の方におすそ分けに出た。仁成館前でオナガアゲハが一生懸命に給蜜をしていた。そういったことを連綿と書いても仕方がないので今日は泊まったお客さんの世界旅行のことをかいてみようと思うのだが少し飲みすぎてしまってまとまりがつかないつかないのだ。旅をすることはいいことでこのもっきりやに泊まるひとが無駄な費えをしないで済むように安い宿泊料を設定するのだがお客は色々で必ずしも僕の思惑を理解してくれているというわけではないようだ。地球を旅してきた客も酒に酔ってしまったようだが旅先での思い出を聞いていると1泊3000円のこのシステムは当を得ていると感じた。彼らから聞くボリビアの話や「ナマステー」と事あるごとに話すひとのインドの話は最近国外に出なくなった僕にしては面白い感動だった。旅する人を助ける旅籠のもっきりやとしてはそれが財産になると酔っ払った頭で感じるのだ。飲みすぎてこんな文しか書けませんがお許しください。

2010/07/29(木) 友は塩見を目ざす
 夏の仕事も一段落のようでこれからは自分の仕事に精を出せます。このところ見られなかった映画や池波正太郎の作品ばかりでなく少し頭が混乱するようなものも読んでみようと思っています。
 友人が今日から白根三山や塩見に向っているようです。ずい分まえになりますがひとりで荒川岳を越えて千枚小屋から二軒小屋まで歩いた時のことは忘れません。ちょうどこの時期で呑気な一人旅でしたが一番記憶に残っています。僕の従兄弟は南アの甲斐駒から鋸岳を目指して鞍掛沢に迷い込みそこで滑落してなくなりました。僕が22歳で彼は24歳でした。その日仕事を終えて帰って来ると母が震える声で「尚ちゃんが死んでしまった」と伝えました。彼女の震えが僕に伝わり止まらなかった。その日の「穂高」で長坂に向かい翌日警察と救助隊に連れられて尾白沢を朔行して現場に着いたのはもう夕方に近かった。冷たくなっている従兄弟の帰ってこない日々を、悔しくてオンオン泣きました。日が落ちて従兄弟を荼毘に付した火が一晩中オレンジ色に燃えた岩棚をきれいだと今でも思い出します。翌朝遺骨を拾って新宿駅頭に立った僕らに彼の母さんが崩れ落ちるように泣いたのを鮮明に思い出します。何だか兄弟のように付き合っていた従兄弟をなくしてから何時も片肺飛行のようなもどかしさが続きました。それから何年も山に行けず、ようやく落ち着いた気持で向った山が南アの縦走でした。南アは大きくて長いコースの連続で危険も一杯あります。どうか元気に帰って来て笑って山の話がしたいものです。
 名言
  山を知ること、自分の限界を知ること。時には引き返す勇気を持つこと。でも、楽しむこと。
  山は楽しいところだから。        アルプスガイドデイビット氏

2010/07/28(水) Mロード難所
 早く終わって詰め所に帰った頃に激しい夕立になった。もう一隊は渋沢方面の作業でずぶ濡れになって帰ってきた。こんな時は迎える側としてかける言葉を間違ってはいけない。僕は夕立を眺めていた方だけれど、山で濡れた方のイライラはあるはずだから。ご苦労さんでは角が立つ。大変だったねでは他人事過ぎる。結局どこでやられたということになった。濡れた身体で寒いのかみんなシャツを着替えたが後は話題を変えて話を進めるしかない。外の仕事には付きものだが出来れば雨に濡れたくはない。
 渋沢方面野反湖へはこれで歩きやすくなったと思う。森林組合が渋沢から野反湖までの除草を終えたはずだ。ただ天気の変化に対応する装備だけは忘れてはいけない。
 仕事を終えて帰って来るMロードに何時も一箇所車が腹をするところがある。沢が道を横切ってそこにV字のコンクリートで作られた水の道がある。そのV字が深いのだ。今はグレーチングをおいてあるがそれでもまだ問題がある。そこで8月にV字の底上げをやろうと思っている。ひとり仕事だから上手に出来るかわからないが車が腹をすらないようにしてやろう。1日か2日で完成してみせる。草刈同様形が見えて残る仕事は頑張りがいがある。ウグイスの声を頼りにコンクリートを捏ねてみよう。なるべく早く。
 名言
  人は悲しむためだけに 出会うのではない 
                              ジョルジュ・サンド

2010/07/27(火) クサカリスト
 若い頃、倉橋由美子の小説で「スミヤキストQの冒険」を読んだ。面白い作品だったけれど、内容は忘れてしまった。探してみたが見つからなかった。言いたいことはスミヤキストと絡めて草刈を行う自分をクサカリストと言いたいだけで、洒落であって意味はない。でも20代に夢中になって読んだ倉橋由美子や金井美恵子の作品を覚えていない自分をどうしようと思う感覚に戸惑った。若い頃はどうも人生を斜に構えているのか本物の作品を読むことより新しいものに憧れて目を向けるものらしい。そしてすべてを忘れてしまうのではどうも僕の勉強の仕方は間違っていたのかもしれない。倉橋由美子、検索してみよう。何が読めるのだろう。
 朝日に影を映して索道で出かけたクサカリストは今日で除草の仕事がオーバーになった。後は少し残したMロードと右岸を刈れば今年の草刈は終了だ。長かったけれど草刈は面白い仕事だ。目に見えて道がきれいになってゆき、単純に結果が見える。それでお金がもらえるというのは何ともありがたい。仕事が無かったら多分渋沢へも外の川にも行かないだろう。ここでの仕事は大切な人生を支えている。
 ところで今夕立が降ってきた。10日振りの雨だ。サッと気温が下がっていい風が吹いてきた。
 名言
  あいまい性こそ生命を柔軟に受け入れるものです。
                             多田富雄

2010/07/25(日) 一枚増えると
 援軍氏が来て一枚増えると仕事は三倍進むのです。
 援軍氏はここでの涼しさにすっかり呆けて9時近くまで爆酔してましたが、朝食を終えるとすかさず作業の方針を求めてくるのです。日中は暑いし都会の頭脳労働者氏に日に追われて作業を要求するのはよくないと思っていましたが、氏はどうしてもやることをやってしまおうと結局牛に追われて善光寺参りといった感になります。それではと作業を説明してそのすべてを終えるのです。
 まず、布団、枕、毛布座布団を干してから先日手に入れたセメントを砂と空練り(水を加えないで混ぜ合わせる)をしてMロードのデコボコ部分に埋めてゆきます。セメント10袋だから試験的に昼まで続け、そーめんを食べてビールを飲んで昼寝。布団を片付けて、3時からチェーンソを取りに行き運搬機に入るように切ってから2回薪を運んで一日の作業を終える。気になっていたことをやるのは一人では何というか決意が必要で布団干しにしても降りだしたときの慌てようは想像に難くないでしょう。そんなこんなでひとりではやれない仕事は援軍氏の到来を待つしかありません。ちょっとずるい。すみません。ありがとう。
 名言
  「露の世は 露の身ながら さりながら」  一茶

2010/07/24(土) どんぶらこと洗濯機が流れてきた
 調子の悪い洗濯機の事を仕事仲間に話していたら、使わない全自動洗濯機が僕のものになった。おしゃべりな特技が幸いすることもある。あさ取りにいってひとりで下ろしたが重くて玄関前に置いておいた。基盤の壊れた洗濯機はお払い箱を察したのか今日はことのほかスイッチが入らなかった。椅子を持ってきて電源を入れ入力を押すのだが70回の続けてどうにかONになった。トイレのマットや足拭きなどを洗ってから家の周りの草を刈った。
 空には入道雲が湧きあがり夏が腰をすえたようだ。14時に援軍が来るのできのう買い残した買い物方々津南に下りた。津南祭りが夜に行われる会場を訪ねると音響技術者がブースのなかで音あわせをしている。まるでジェロニモ酋長のように髪を振り乱して孤軍奮闘している。いつものことだがブツブツ言いながらいい音を作っていた。老人家庭にメンチを届けながら帰って来て援軍氏のタコやツブ貝の調理に忙しくしていた。もちろん洗濯機は収納した。
 そう云えば津南に下がってユリの花を送ってもらうように頼んだ。津南はカサブランカの産地である。
 名言
  「寛容」とは人間が再生する基盤になる。
                                石牟礼道子

2010/07/23(金) 鳥甲登路刈り払い
 きのうは結局日を跨いで掃除に没頭していた。何だかボーッとして半分眠りながらだった。
 こういった大掃除は保健所の立ち入りがあるからやるのだけれど、立ち入りがなければ汚れほうだいということではない。ちょこちょことしているのだけれどこのイベントがなければ手を入れないところもある。ひとつの切っ掛けにはなっているのだ。保健所の事務官にしたってあら捜しをして商売をやめさせようとしに来るのではない。職責と指導で仕方なくやってくるのだ。あんまり目くじら立てるものではなく、よく教えてもらうものだ。今回は五つの教えを貰った。「来年は別な人が来ればいいのですが」というと「連絡事項に記入しておきます」と一歩も引かなかった。ただ飯山から来た事務官達は秋山郷の涼しさに遠足気分も楽しんだのだろう。毎年この時期なのはそんなとこだろう。
 今朝も早起きして全体点検と塩素の機械の調節に忙しかった。栄村の森林組合の青年が二人、鳥甲登路の刈り払いに来た。聞くと鳥甲登山路は昨日縦走路の刈り払いを終えたという。もっきりやからの刈り払いを終えて来週は野反湖への作業に入るという。渋沢までは終わっているから8月にはいい登山道になるだろう。
 事務官が帰ってゴミを積んで津南から木島平へ向った。ブナの倒木を国から払い下げてもらった代金の支払いである。1uが3800円もする。30cmの直径で1mものとしてだいたい10本である。勝手に持っていっては国の財産を盗むことになる。一応営林署を通すべきだろう。ところで営林署は今は森林管理署と名を変えた。労働者は農林水産技官という肩書きは同じようだ。小さな狭く熱い事務室でひとつの机の前で技官はPCのキーボードを打っていた。一日、厚生事務官と農林水産技官に付き合っていたが、思えば僕も郵政事務官だった時もあったな〜

2010/07/21(水) ふらんどる
 昨夜も9時過ぎにホタルを見た。栃の木の周りを飛んでいた。こうなると家の周りに除草剤は使えない。草刈機をぐるぐる回していたお陰だと福一さんは言うけれど除草剤は以前石垣の工事に際し一度使ってしまったことがあった。「たまにはいいこともなければ」と福一さんは笑っていたけれど。何にもしないでホタルが増えるとは思わないが、何とかして増えればいいことだと僕も思う。今夜も見てみよう。きっと出てくる。
 仕事は急傾斜地の草刈で鎌を持って命綱を頼りに這い登ってゆくのだ。これが僕は嫌いで休みたくなってしまう。それでも3時には終えて別の現場の草刈に向かう。今度は急な階段で、階段でも地面でも怖いのは同じだが終えてしまえば来年のこの日まで忘れていられる。明日からは志賀方面の除草になる。これが済めば少し時間が出来るようだ。
 会社から監視に来ていた方が先週平ヶ岳に登ったと話していた。鷹ノ巣からの登山で大勢の登山者がいたという。あの頃は静かな山だった。今は群馬側からの登山路が出来たということでそっちからの人が多いようだ。まだ若くて子供だったころ山小屋を友だちと作ったことがある。大学を辞めて勤めながら金を溜めてずい分頑張った。南部の曲屋を解体して骨組みだけ日通の大型トラックで確か2台で運んだ。荷が重く性能の悪かったトラックがオーバーヒートしたり燃料がなくなったり。建てた大きな家は予算の都合で間仕切りが間に合わず結局翌年の5月に雪でたたむように潰れていたっけ。子供のやることだが翌年その材で小さく建て直した。ひとりの友だちがやるというので彼に任せ、喧嘩別れのように山を下りたことがあったけっ。その小屋はもうやっていないと話していた。草の中に埋もれて「夏草や つわものどもの 夢の跡」になっているのだろう。今年のお盆過ぎにはひとりで清四郎小屋に泊まって僕らの夢を見てこよう。40年近い時間をどう過ごすのだろう、僕は。

2010/07/20(火) アッ!
きのうの夜のことだが、掛かってきた電話があって、電波のよい外に出て話していた。そのときのことだが小さな青い光が点滅して近づいてきた。はて!と電話は上の空になってその光を追いかけて寄ってみるとどうもホタルのようなのだ。田んぼも近くにはなくなったし、ほとんど見たこともないホタルの出現に驚いた。写真をと携帯を向けると携帯のカメラというのもミドリの光が点滅するようでとたんにホタルは光を消し去ってしまった。15年前ここに来た年に確かにホタルを見た。たくさんではなかったがそのときのホタルの光はもっとボヤーとしていたように記憶しているのだが、きのう見たホタルは小さくゆっくりとカチッとした青白い光を点滅させていた。そんな話を仕事の仲間にしてみると平家ホタルだろう。餌のカワニナが育つ栄養分が出来たのだろうといわれた。因みに五宝木のヒメボタルはきれいだという。
15年ぶりに見た、たったひとつのホタルの光に何とも云えないうれしさを覚えた。
 仕事に向うとき苗場山にヘリが荷揚げに飛んでいた。苗場にはたくさんの登山者が登るということだろう。東京の調布飛行場からここまで機体を運ぶのが高いと聞いた。60万ほどだと。また荷物は1トン15万円もするという。荷揚げし、帰りにし尿を下ろすと聞いた。先日登った友人のそれも15万円のなかに入っているのだろう。
 仕事は志賀へ向かう道の草刈で何台もの車やバイクとすれ違った。狭い山道でバイクには気を使ってやって欲しいものだ。今日もひとりお客があって大変だが、忙しくても今が踏ん張りどころだ。

7月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.