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最新の絵日記ダイジェスト
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2013/08/08 最後の焼畑のころ
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2010/05/16(日) のよさ節に乗って青い鳥
 昨日はチョッと忙しかった。向かいの福一さんも来てもらって僕のご酒が増えた。仕舞には滑って転んで肘を強かに打った。お陰で一日中みんなに怒られた。「あなたはお酒を飲むとすぐ調子に乗っていけない。もうお客と一緒に飲んではだめだ」「ここの酒飲んでもいいよ、なんて云ってたよ」「今週は飲んではダメだ」いろいろ怒られた。痛い肘を擦りながら忠告を噛みしめた。
 朝に家の前の沢に青い鳥が何羽も飛んでいるとお客さんが話した。それはオオルリで僕はひとつしか見なかったが彼女は何羽も見たという。オオルリは確か沢に一つがいいるだけでそこが縄張りになるという。すると小さい沢ごとにたくさんの鳥が来ているということだ。ギフチョウはたくさんの採集家か来て採り尽くしてしまったようだが、オオルリはそうはいくまい。是非双眼鏡を持って見に来たらいいと思う。
 昨日は久しぶりに「のよさ節」を唄っていると福一さんが一節唄ってくれた。彼の父親はのよさ節がうまかったようで福一さんも実に味のある唄を聞かせてくれた。僕の薄っぺらなのよさ節は静かになってしまった。この唄は「〜のよさ」という意味で例えば嫁取ることのよさ、と唄われる。昨日の客はいい体験が出来たものだ。
 名言
  真実とはかなわぬ夢 死ぬまで無名でいることだ
          映画「熱いトタン屋根の上の猫」

2010/05/15(土) 独活(うど)や山の野菜の話
 独活と書いて「うど」と読む。独活は夏になるとドンドン成長して辺りを睥睨するように伸びる。独活と書かれる謂れである。独活は捨てるところがない。根元の白い部分は水に晒してそのまま味噌なんかで食べる。独活の刺身である。皮は頭から剥いて水に晒して翌朝キンピラにして食べる青い部分はアクが強いから湯がいて酢味噌やキンピラがいい。また酢と醤油と塩を一度沸騰させて白い部分を漬け込むといい漬物になる。繊維質が強く体内の汚れを一気に出すような作用がある。春の山うは大した宝物だ。この時期秋山を訪れるお客さんは採りたての独活を堪能できるだろう。独活が出始めるとタラの芽その後に越アブラやイラクサ(アイコ)モミジカサと目白押しだ。天ぷらが簡単だがタラの芽の酢味噌和えなんかなかなか捨てがたい。この春の野菜は昔からこの山間地で暮らす人たちのエネルギーの素だ。近頃は行者ニンニクなどを山からこいできて畑に植えるようになったが本来の山の野菜だけにここでの味は一味違う。西荻の「えびす」という店があってここでも秋山の山菜を食べることが出来る。いい店だから行ってみるといい。
 名言
  私たちは当分猫を飼わないことに決めた。私たちは時折猫のうわさをしている。
  私たちはまぼろしの猫を飼っているということである。
       飼い猫が死ぬまでかけて描きつづけ尚未完の「眠る猫」の作者 長谷川燐二郎

2010/05/14(金) とことん冬景色
 今年の夏は短かったとでも云うように朝は布団の中で震えていた。昨日からの霧雨が山の上に雪となって残っていよいよ真冬に舞い戻るように感じた。作物はふたたび遅霜や冷気に痛めつけられたようだ。
 仕事を終えてから津南に買い物に出た。支払いを済ませて帰ってから買出し品の片付けや洗濯なんかで忙しかったが、明日はもっと忙しい。二束のわらじも大変だ。そう云えばプロパンガスを払っていたら、山に雪降ったですか?と聞かれた。降ったのだからいいのだけれど少し大げさに話してやった。どうせ予定調和の範囲内の話なのだから。聞いたほうも話した僕もウヒャっと面白そうに笑った。ここでは環境破壊も現実的ではないのかもしれない。変わった天気だ位に思うだけだ。表向き自然は変わっていないから。ここで気付く時にはもう遅いのかもしれない。
 名言
  もうだめだと思ったときこそ、死に物狂いで戦うんだ。
  あきらめたら死ぬしかない。覚えておけ!
                   映画「アウトロー」

2010/05/13(木) 寒いのも訳がある
 朝、気温は1℃、一瞬屋根が白くなった。寒くて布団を出るのが億劫だったし、起きればストーブを点けまくるというのはどうもよろしくない。もちろん仕事には出たくない。どうなっているのだ天気。
 作業は今日も林道の安全設備の設置で奥まで出かけた。高度が上がるにつれて雪の粒がフロントガラスに当るようになる。ミズの沢の上部1400m辺りの雪は厚みを増すのか白く色をなくして行った。林道の上100m辺りを堺に見事に分かれた景色は何だか秋の初雪と紅葉のようにも見えるじゃないか。現認した景色をお見せしましょう。下手な写真で分かりにくいけれどそこはチャラにして下さい。昼近くになって気温が上がると道沿いの雪はサッと消えたが、その後止むことはなかった。
 草津からの渋峠や岐阜への安房峠。尾瀬や飯豊連峰、月山舟形、鳥海森吉以北の山の雪景色は想像に難くない。みんな空を見上げてどうしたのかと頭をひねっていることだろう。僕は寒さで震えたので湯によって盗み風呂を頂いて帰ってきた。
 名言
  貧困  紛争  環境破壊  
                byNHK 

2010/05/12(水) 雨のなか仕事、みぞれもやって来た
 気温が上がらず寒い雨の中での仕事になった。志賀方面の道路施設の設置を行った。雨は午後にはみぞれになって変な寒さが舞い戻ってきた。明治や江戸の頃だったら必ず冷夏になって飢饉の引き金になっただろうと思うのだ。だってもう5月も半ばだしストーブ焚いて布団に丸まっていると言うのはチョット困ったことなのだ。
 奥秋山の桜は咲きながら満開になる前に散り始めた。今週の土日まで持たないかも知れない。急ぎ足に行過ぎる季節の変り目に今年ほど寂しいと感じた春もなかった。来年だってどうなるかわからないが少なくなったギフチョウや散り急ぐ桜ばかりでなくもっと春らしい物を探してみよう。
 志賀への道は一箇所崩落があったが問題なく通れる。しかし志賀、カヤノ平への分岐はゲートが締まっていて抜けられない。どうしてなのか考えてください。帰ってから風呂を沸して文庫本を持ってゆっくり暖まった。TVではもっと寒くなると言っている。明日は休みたいな〜
 名言
  信じてりゃ 道は開かれるんだ。
     映画「アフリカの女王」

2010/05/11(火) 奥奥山桜と笑い声
 仕事に出るとき、雑談をしながら車に乗るのだが今日はちょっと面白かった。
 志賀方面に向かって雑魚川を渡って今日の仕事が始まった。天気はくもりで予報どおりに帰る頃に雨になった。降りだすと途端に寒く感じられて直ぐにカッパを引っ張り出して着るようになる。昼も何だか冷たい風に淋しい思いをした。この時期は注意が大事でめんどくさがらずに着たり脱いだりと忙しい。沢筋には雪渓が残って安全を確かめてステップを切りながら進んだ。
 秋山から奥の桜は咲きだした頃で一週間ずれてだんだんと山に上がってゆく。桜は先に葉が出る山桜と紅い大山桜が点々と若葉の中に見える。秋山林道では五分咲きといったところだ。今年のおまけの桜はこれから5日ほどが見ごろになるだろう。出来れば車ではなく歩いてみると素晴らしい桜に出会えるはずだ。
 御普請組の仲間は比較的大人しく黙っていればズーッと誰も口を利かない。だから今日は僕が話を始めた。トイレを合併槽に直してウォシュレットにしたいんだよと言うと、だって民宿やっていると大きなタンクを入れなければダメだろうといわれた。いや5人槽で大丈夫だよ。いいかい毎日5人がトイレを使うと365×5でしょ。僕は一人だしもっきりやはそんなに客は来ないし。でも冬なんかは一人だとなかのに入れる菌が食べるものがなくなってしまうのじゃないの。これには気がつかなかった。ちょっとしたボディーブローだった。じゃ御飯を炊いてなかの菌に毎日ご飯ですよとぶち込んでやろう。おかずも一緒に。これにはみんな大声で笑った。でも公民館なんかは合併槽にしたけれど誰も使わないから、それでは具合が悪いと言うよ。と引き下がらなかった。続けて毎月管理料を何千円も取られるし。笑いながら毎月の管理料のことがチョット引っかかった。

2010/05/10(月) 仕事が始まった
 御普請組の春からの仕事が始まった。これから西に東に忙しくなるといいのだが。
 今朝、開拓の桜が散って残雪の上にいい感じで絵を描いていた。仕事中に桜の写真を撮っている人と話した。ここの花はアット云う間に散ってしまったと。彼の話だと志賀方面の桜はまだ咲いていないということだった。彼はほとんど毎日秋山の桜を見に来ているという。仕事仲間に聞くとこんなに早く散るのはめずらしいと言っていた。この春は5月になって一気に気温が上がったせいだと思うが、確かに例年と比べても5日は短いように思える。満開は一日だけでこれでは花見も出来なかった。更に今年の桜はまるでよくなかった。秋の紅葉もそうだが何年かに一度はこんな年もあるのだろう。ただ最近の環境の変化が来年の桜にも影響してどうなるかは一切分からないけれど。
 さて仕事は事務所や倉庫の片づけから看板の取り付けと細かい仕事を次から次へとこなしていったが、昼に休んでいると口元に飛んできたエメラルドカメムシを何気なく払ったところ唇に体液を飛ばしたのか臭い上にひりひりと昼寝どころではなかった。今年も蜂や虫、蛇や熊に苛められながらの仕事になるのかと覚悟した。
 名言
  悩みを忘れて 大いに楽しむのだ。     映画 「サリバンの旅」

2010/05/09(日) 野菜(山菜)効果
 尾籠な話で恐縮ですが、このところよくオナラをする。年寄りだからいろいろ弛んできたかと思っていた。山菜(この辺りのお年よりは野菜と言う)を摘んでいると思い当たることがあった。連休中は客があって山菜を出していて、余りを僕がよく食べていた。山菜の繊維質は便秘に悩む方には特効である。どうもそのせいでよくオナラをしていたのだろうと考えた。万葉集のなかに「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」(これでいいのか自信はないが)平安の時代から春の若菜(=野菜=山菜)は冬のビタミン不足を補う大事な食べ物でここの大家さんの信一さんは90になると言うのにひとりでバイクで野菜採りに来る。「やっぱ一度は食べないとな」昔の記憶で山菜に助けられた身体のバランスを思うようだ。
 体調をくずしている友人や身内に妊産婦がいる彼らに山菜を送ってやろう。と考えてきのうのコゴミや小さいフキ、ヤマニンジンや天ぷらの素材を朝から採って箱につめて送ってやった。そうなると彼にも彼女にもと切りがなくなってしまう。こんなこと書くのではなかったがまた気が付いたら送ってやろう。今度はどこに届くかな。
 名言
  負けたっていいんだよ。自分のすべてを出し切って戦えばいいんだよ。
  強い相手と戦って行くんだよ。弱い相手と戦っていい姿を出しても、
  そんな奴は上には行かないんだよ!       カシアス内藤

2010/05/08(土) 桜は新緑のなかに沈んだ
 結局客を送って津南に下りた。どうせならと森宮野原に下る道を走ってみたが、百ノ木経由の道も五宝木経由の道も通れなかった。聞くと来週には除雪をするらしい。大赤沢からの東秋山林道もまだ開通して無いようだしここも来週あたりになるのだろう。結局405を通って駅まで出てトンボ帰りに帰ってきた。見玉には少し前からツバメが飛んでいて気温が上がって春というより初夏の装いになってしまった。軽トラの運転ははちょっと疲れるようで帰って寝てしまった。出掛けに干した洗濯物を取り込んで山菜を探しに出てみたがフキノトウは終わっていたし、コゴミも盛りを過ぎていた。此のところの山菜は順を追って出ると言うより一気に芽を出す。
 家の前の沢筋に巣をかけた鳥はオオルリではなくミソサザイのようだ。オオルリは見かけるのだが場所は毎年巣を掛ける旧道の上なのだろう。切明近くでギフチョウを見かけて探したが結局見つけられなかった。この4・5年本当に見れなくなった。
 何だか動きすぎたのかとても疲れた。来週からは御普請組の作業が始まると言うのだし、ここ一番ねむっていよう。
 名言
  美人の前では下心をかくすのに苦労するよ。 何でかくすの! 嫌われたくないから。
  喜ぶかもよ。                映画「北北西に進路を取れ」

2010/05/07(金) 漱石、才一、僕
 客が列車で来るという。津南まで迎えに出る羽目になった。3000円の宿でお出迎えは如何なものか。ひとつ一泊分のお代でも頂こうかと思う。もうしないけれど。
 新緑が広がってその中に桜が埋もれていくようだ。山の桜は一週間持たない。山桜は紅い葉が花びらが散る前に伸びて来るようで汚れたようになってしまった。種類が違うのか濃いピンクの桜は曇り空のなかでも浮んで見える。オオルリが道の真ん中に止まっていたりサルが横切ったり、霧が出ると生き物の姿がよく見られるようになる。車の行き帰りに同じ場所でカメラを構える人がいたり、動けばいろんなものが見える。
 友人が送ってくれた文章をじっくり読んでいた。ネコや犬が家族となった時代の飼い犬や飼い猫への葬送の文である。漱石が飼い猫の墓に詠んだ「句」や丸谷才一が負けじと書いた飼い犬への「句」であるのだけれど、それを読んで何だか僕も対抗したくなった。逝った晩からズーッと考えていたもので「句」ではないがタミコ追悼の「歌」である。時間がたつと何だかそのまんまで何のひねりも無いもののように思えて来たけれど、その三つを並べて友人にお礼としよう。
 此の下に稲妻起る宵あらん  漱石
 春書やどこにかくれし座敷犬 丸谷才一 書はその下に一が付く
 わが猫は 思い出砂にうずめて 春 心ゆくばかり  僕

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