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2010/05/07(金)
漱石、才一、僕
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客が列車で来るという。津南まで迎えに出る羽目になった。3000円の宿でお出迎えは如何なものか。ひとつ一泊分のお代でも頂こうかと思う。もうしないけれど。 新緑が広がってその中に桜が埋もれていくようだ。山の桜は一週間持たない。山桜は紅い葉が花びらが散る前に伸びて来るようで汚れたようになってしまった。種類が違うのか濃いピンクの桜は曇り空のなかでも浮んで見える。オオルリが道の真ん中に止まっていたりサルが横切ったり、霧が出ると生き物の姿がよく見られるようになる。車の行き帰りに同じ場所でカメラを構える人がいたり、動けばいろんなものが見える。 友人が送ってくれた文章をじっくり読んでいた。ネコや犬が家族となった時代の飼い犬や飼い猫への葬送の文である。漱石が飼い猫の墓に詠んだ「句」や丸谷才一が負けじと書いた飼い犬への「句」であるのだけれど、それを読んで何だか僕も対抗したくなった。逝った晩からズーッと考えていたもので「句」ではないがタミコ追悼の「歌」である。時間がたつと何だかそのまんまで何のひねりも無いもののように思えて来たけれど、その三つを並べて友人にお礼としよう。 此の下に稲妻起る宵あらん 漱石 春書やどこにかくれし座敷犬 丸谷才一 書はその下に一が付く わが猫は 思い出砂にうずめて 春 心ゆくばかり 僕
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