来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2010/04/20(火) 春になれば
 10時過ぎにギフチョウが枝を上って羽根を伸ばしていた。兄弟になったわけだ、少し早いのがとても気になるがこれで野に放してもひとつではない。ふたりして花の蜜を探せるだろうと少し安心した。
 網戸を付けて台所裏の雪消し用のシートで作った池を壊していた。電話が鳴ってミニバックを持って来るというのでMロードに向った。村が一回除雪をしてくれるのだが細かいところは自分でやるしかない。毎回技術主任にお願いしているのだが今回は2時頃から始まった側溝起しや小さい沢の土砂上げを行ったのだが肝心のもっきりやに下る取り付け道までは手が回らなかった。主任が帰った後訓練かたがたひとりでやってみた。重機の練習は雪の上でやるといいという。いいか悪いか分からないがやるしかない。日が暮れるまでガッチャンガッチャンと練習した。しかし残った雪は結構あって小さいバックでは時間がかかる。明日も続きをやるしかない。それでも家まではまだ時間がかかりそうだ。連休までにどうにか開通したいと思う。きっとそれがいけないのだろう。自然に任せておけばいいものを。でも練習と思えばいいか。それしかない始めてしまったのだから。 
 そう云えば除雪の間中花を探していたらイワウチワ、二輪草がひとつ咲いているのを見つけた。除雪をしなければ気がつかなかったということは、蝶が生きる為の目に見えない指示をしたのだろうか。兄弟と花は掲示板に載せましょう。
 名言
  湯豆腐や いのちのはての うすあかり      久保田万太郎

2010/04/19(月) ギョギョ
 今日お客が来ればどんなに喜ぶだろうかというほど掃除をしたのだ。1日かかっても台所と倉庫は明日になるけれどとにかく気持がいい。そろそろこれを維持しなくてはなるまい。
 このところ寒い日が続いていたせいか気にならなかったが昨日と今日は暖かかった。去年の5月11兎のギフチョウの蛹を越冬させたのだがそのうち4つを土のなかえ戻し、5つを素焼きの鉢に入れて物置に、残りを飼育用の発砲スチロールに置いた。成虫になる時期が分からず何時も気になるのだが今日物置に入って何となく見るとあれっと何かが見えた。見るとギフチョウが縮れた羽根のまま動いていた。飼育箱は乾燥していてこれでは羽根も伸びないと感じて水吹きで濡らしてやった。すると4・5時間の後羽根が伸びていた。早速教授に連絡を取るのだが何せまだ雪があるので花が咲いていず蝶は食事が出来ない。教授も困っていた。そこで教授の指示によって、砂糖水を作り綿で吸い上げてみた。蝶は1週間は生きるというが何といっても命に係わった以上どうにか空を飛ばしたいのだ。ここがカメムシと違うところだ。夜になって毎度のギフチョウゲージを作った。どうにか蜜を吸ってくれていればいいのだが。
 名言
  「ゲルニカ」を描いたピカソにナチスがやって来て、写真を示し「これは 君が描いたのか」
  答えて「いいえ、これはあなたがたの作品です」
                           ピカソ

2010/04/18(日) パン パン パン パン
 晴れがうれしいくらいにこのところの寒さにはいじめられた。どこに行っても寒いねーという挨拶から始まるようだ。
 今日は屋根のことやMロードの仕上げについての相談で津南に下りた。まず屋根については不在時の落雪が出来るかということで頭を抱えてしまった。人が住んでいる内はなかで暖をとるから雪が落ちるのは分かるが、ここもっきりやは北東に向いているせいか冬の日当たりは悪い。その分夏は涼しいのだが二ついいことはない。二人して考えてしまった。村からの克雪資金融資は来年もあるから急ぐ事はないが、やるなら早い方がいいのもほんとだ。そこで情報を集めて同じような建物、それも物置のような暖を取らない落下式の屋根の状態を見なくてはならないだろう。なんでもなければここにいるのだからいいのだが、病気や長期旅行もなくはない。ということで大工さんとあんまり急がずに知恵を集めようということになった。ここはそんな土地だ。
 除雪は技術主任が長岡で懇談会ということで不在だった。マッ急いじゃいかん、ということか。
 今晩のおかずを買って帰って来ると湯のご主人と上りの武雄さんが熊だ 熊だと指差していた。中津川左岸の大崩の崖の中に大きな熊が動いているという。僕には御飯粒のような黒い点が動いているのしか分からなかった。どうも鉄砲で追われて逃げてきたようだ。だが絶壁の中を追われながらも歩く熊には恐れ入った。
帰ってストーブを点けるとパン パン パン パンと鉄砲の音がした。出てみたが熊が追われてここに現れるのは気に食わないので直ぐに家に入った。入るとまたパンと音がした。
 名言
  ものの食い方には 人間の品性が出る。   ゲゲゲの女房

2010/04/17(土) 初雄さんの話
 観測史上2番目に遅い積雪が東京にもあったというが大丈夫だろうか。風邪には注意されたい。
 先日屋敷秀清館のご主人が無くなった。むかしといっても昭和32年ごろここから8キロばかり上流にある渋沢ダムには電気会社の従業員が3人ほど冬も常駐していた。村人は30〜40キロほどの荷物を担いで越冬用の物資を運んだ。それは8年ほど続いたということだった。越冬の職員は途中で交代したというから我慢も出来たのだろうが、交代の職員は地元の猟師を頼んで冬の山を猟師道を辿って渋沢の宿舎まで行き、帰りにまた職員を案内して帰ってきたという。初雄さんは和山では重男さんと共に活躍した経験豊富な猟師だった。初雄さんは続けて話した。渋沢へ向う途中に馬の背という小さな尾根があってそこに避難小屋があったという。それは積雪を考慮して樹上に材木を上げて作った2・3畳ほどの小屋でストーブがあって一度そこで一晩を過ごしたことがあったという。今で言うツリーハウスでそれが遊びで作られたのではなくて必要な施設としてあったというのは記憶しておくべきことのように思った。
 話ははじめに戻るが渋沢ダムへ行く道の脇、絶壁に立つ松があって「おけさの松」と言われている。以前日記にも書いたが、これは物資を渋沢に運んだ帰り、一服していると目の前にある断崖に立つ松に登って佐渡おけさを歌ったら酒一升出そうと、福一さんが話しかけた。すると初雄さんがまず上って歌った。そして満直さんがつづき、それではと負けず嫌いの秀清館のご主人が上って歌った。ところが最後に上った秀清館の歌声は震えていたと聞いたことがあった。今でもその脇を通る時には何時も思い出すがその松の立っているところというのは考えるだけでも震えるような絶壁の上なのだ。むかしの人たちの強さというか遊び方には脱帽するしかなかった。その秀清館のご主人も亡くなってみんな記憶の中に仕舞い込まれる前にと話しを聞いた。

2010/04/16(金) お呼びがかかった
 先日武雄氏の依頼で「剣山」という演歌のDVDをアマゾンを通して入手した。武雄氏はいいから見に来い。とお呼びがかかった。福一氏も手紙が来ているから取りに来いと要請が来た。みんな暇で困っているのだろうと感じつつ昼過ぎに出かけて行った。
 剣山のDVDは言いも悪いも初めて聞くもので評価は出来ないが、それならばと都はるみのDVDを持って行った。僕は復活した都はるみが好きで、真冬の寂しい夜に何回も頼もしく感じながら見た映像だった。もう吹雪は無いのだから持って行って一緒に見ていた。昭和の歌の映像はここでは戦後直ぐにはどこもテレビもラジオすらなかったようで画面の田谷力三や榎本健一には反応しなかったが、都はるみは静かに見ていた。やはりいいのだ。
 福一氏は手紙を渡しながら道にブルが入ったようだと話した。それではとぐるっと回ってMロードを見てきたが難所はきれいに除雪してあった。もっきりやに下る取り付け道路はそのままだったがミニバックを持ってくればどうにか開通できるようだ。ただこの寒さに雪消えも止まったようで来週内まで待ってからにするしかないだろう。雄川閣に寄ると捨て丸は寒いのか出てこなかった。猫の捨て雄はお姉さんの膝の上だったが捨て丸はちょっと冷遇されてるなというと「猫と犬は違うのだから」とお姉さんは猫派のようだった。これ以上言うと犬か猫を押し付けられそうなので静かにしていた。今度写真を撮ってこよう。
 名言
  人間は生き物だ。            金子兜太

2010/04/15(木) どうってことないなんて言っていられるのか
 東京は雨でとにかく寒いと友人は嘆いた。なーにこっちは今日も雪だよと答えてみせた。狂った天候と環境が私達の逃げ道を狭めているんだな〜と改めて考えさせられた。世界中でまたかと起る大地震なんかを見ていると、地球が人間の存在を嫌ってブルブルと犬のように体を振って人間をふるい落としているように思うのだ。これから30年先の環境へどう地球と折り合いをつけてゆくのか私には本当に何にも分からないのだ。早く生涯を終えてあっちに行くことが一番なんだけど、どうも私は胃が丈夫で直ぐには行けないし、どうしたものか。
 昨日の雪は直ぐに融けたけれど、今朝の雪は3cmのまま屋根に残っている。気温は0℃でこれでは雪は融けないわけだ。
 昨日は4月に入って薪を焚いた。ついでに燗も付けて矢向から届いた大豆と昆布の山椒味噌を肴にひとりだけの贅沢に浸っていた。こんなことが出来るのも今だけかも知れないがストーブの赤い炎を見ながら外を見ないように勤めていた。
 部屋にごろんとして本に疲れると箒を持って掃いたり、外に出て池にブラシをかけたり、思い出したように動くのだがものの10分しか続かない。カレンダーを見ると四月の桜がきれいだった。燗つけて ストーブつけて 春の雪
 名言
  我死なば 焼くな 埋めるな 野に晒せ やせ犬の腹肥やせ                           小野小町

2010/04/14(水) いやだなー
 昨日からどうもよくない。気が重いのだ。道の悪さや、修理の手間や、かかるお金の無駄使い。がいけないのだ。そんな風に思っていて、今朝は雪降りじゃーないか。こんチクショウ。もう出て行く。こんな無駄の多いところに住むのならいっそ瀬戸内海だと索道を渡った。右岸から見上げるとひとつの光が鳥甲に差して新雪の肩が輝いていた。見る人が見ればきれいだ、素晴らしいとシャッターを切るのだろうが瀬戸内海を目指す私は「フン」と見納めに携帯写真に収めてやった。せめてもの記念だ。用事を済ませて津南に下ると、どんよりとした冬空の下みんなチャンネルが違っているナといった顔で歩いている。津南ポークのご婦人が「降りましたか、ここも降ったんですヨ。四月の半ばなのにね〜」と優しく話しかけてくれたからどうにか気持を静めたが、まったくそうなんだよ、みんな疲れてしまうのだよ。老犬や桜も咲かず雪の中。と言った塩梅で寒そうに犬が丸まっている小屋をのぞいていたら急に寂しくなって、何だか肩を落として帰るしかなかった。ポケットに5000円札が一枚じゃ、ちと瀬戸内海は遠かった。今度降ったら預金下ろしてでも行ってやるのだ。覚えてろ! 
 名言
  さよなら三角 また来て四角
                          江戸カルタ

2010/04/13(火) Mロード視察
 毎年のことだけど道を見に行くのが億劫なのである。なぜかというと雪に痛めつけられたMロードを前にして「さてどうしよう」と溜息をついてしまうのだ。雪の上に大きな石や倒木など、沢が雪解けで溢れて道の上をながれていたり土側溝が枯れ葉が詰まっていたりひとりでふざけるな!と騒いでいる。しかし埋まった沢にスコップを入れて水の流れる道を作ったり、動かせる石を下に投げたり、はみ出している木を切ったりと歩いていった。一箇所沢が道をくぐるところでヒュウーム管が詰まったのか溢れていた。その水が道を流れ路肩を崩している。ちょっとドキッとさせられたがこの程度でよかったと思うしかない。何だか引かれ者の小唄に聞こえるだろうが正にその通りだ。つまらない。除雪は少し遅れて連休前あたりになるだろうか。それでも連休前には通さなくてはならない。頑張ろう。
 帰りにフキノトウを少し摘んできた。明日送ろう。池の水を抜いたのだがブラッシで藻を取らなくてはならないだろう。裏の消雪用の池も一箇所雪のなかだ。これも先になる。何だか今日は元気が無い。
 名言
  不運な時に幸福な時代を思いだすことほど辛いものはない。                            ダンテ

2010/04/12(月) 秋山地デジ騒動
 朝から強い風の音でビックリして起きたのだが1日風は収まらない。川は白く濁って雪解けは進んだ。索道に乗ると風に吹かれて揺れるわ進まないわで困った。
 今日はTVの地デジ化の説明会で集落に出た。栄村の地デジ化は村が集中的に受けて各家庭に配信するということで村役場に地デジをそのまま流すデジタル配線と地デジをデジタルアナログコンバーターを通してアナログ化して流す二つのラインを設けるということでテレビ受信機は今のままでもスイッチの切り替え?で使えるという説明を受けた。この方法は日本全国で栄村だけだそうで実験的設備だということだ。この2月に旧大島村(新潟県)の友人宅に行った時、地デジの工事後でアナログTVは使えなかったがここではそんな心配はないといわれた。つまりアナログTVは上下が切れて6対4の画面になるが見えるという。何だかややっこしいが出費が抑えられればそれに越したことは無い。今の25インチのアナログテレビは5年は持つだろうしそれまでは今のままでいいじゃないかと言うことになる。山の中にいてひとりで、タミコもいないとなるとテレビが嫁だったり家族である。都会の人がアーダ、コーダと批判をするのは構わないがここで過ごす1日24時間は読書ばかりと言うわけには行かない。やれ松井が打っただろうか、株価が変わっただろうか、事件はどうなったかとひとり気をもんでいるのが現実だ。これがあるからこんなとこでも生きてゆけるのだからそこのところはご容赦頂きたいと思う。
 説明会の後あきやまの栄村支所に寄ってMロードの除雪について依頼をして来た。今日の強い風で雪もずいぶん減ったようなので
連休の頃にはMロードが使えるようになるかも知れない。そうなればカメちゃんも喜ぶだろう。
 名言 
  世間体というか、世間にふりまわされるな。    タベ ハジメ

2010/04/11(日) 山菜を摘む
 昨日フキノトウを摘み、世話になっている店に送ってやろうと考えていた。山菜はまずフキノトウから始まる。だが量を集めるにはまだ早いような気がする。と言うのも雪が消えた所というと道端だったりするので透き通るようなフキノトウはこれからだろうと思う。これも毎年頑張って採ってしまうとだんだん減ってくるように感じるのだ。何事も程が大切なのだ。
 そう云えばこの辺りにもバンに発泡スチロールをいくつも積んだ県外車が来るようになった。彼らは先のことを考えないでなんだか取り尽していくように思うのは車の前に立っている山菜取りの格好がそうさせるのだ。下を向いて目を合わせず3・4人で保冷用の箱に詰め込んでいる。国有地でそれをやるなら勝手だがこの辺りはほとんど私有地で地元の年寄りは文句も言えずただ見ているだけだ。だから「山菜採り禁止」の看板の乱立になるのだ。普通の旅行者が採る分なら差して問題が無いのではと私は思う。そこでその人たちの良識なのだが、これが一様ではない。それならば特殊な袋を値段を決めて売って、その袋一杯分ならどうぞとでもやればいいのじゃないだろうか。魚だって入漁券を売るのだから山菜も地権者が組合を作って客に正しい山菜の採り方を教えたっていい。と私は思うのだが。それも難しいか。
 名言
  貧乏は最大の暴力だ           ガンジー

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