来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2010/04/30(金) 生き物の温かさ
 生き物は必ずこの世を去るのであってその係わりの仕方で親兄弟とも違う悲しさを置いてゆきます。友達が新聞に載った猫の最後を教えてくれました。三谷幸喜さんの飼い猫が3月の末に死にました。そのことを新聞のコラムに書いたものを友人が送ってく
くれました。人間の死もたとえ猫や犬の死も僕には涙を誘うものです。他人が何と言おうともいのちの最期は重く心に響くものです。「おっしー」という名の猫は最後の力を振り絞って飼い主に別れを伝えて眠るように息を引き取ったといいます。目に見えるようにその最期が伝わります。僕のところのタミコも頑張って頑張ってひざの上で息を引き取りました。まだ僕のそばにタミコはウロチョロしているように思うのは問題かもしれませんが生き物の温かさは僕を育てます。
 生き物の温かさといえば年上の大事な友人がこんなことを言っていました。「若い頃17から21まで新井薬師で仕事をしていた。あそこは産業地でお姉さんが多くいてかわいがられた。何せ17で何にも分からない子供だった。ある時両国で美空ひばりのショーがあってタクシーで連れて行ってもらった。帰りもタクシーだ。月給が4千円の時代でずい分とおどろいた」と。そのあと、お姉さんに手を引かれていった思いで深い場所ははっきりとは云わなかったが、それを聞く僕は彼の若くはつらつとした60年前の姿に生き物の温かさを見た気がした。

2010/04/29(木) 犬の暮らし 
 あさから雨降りで、それも冷たい雨だった。外は寒くまたストーブの前で一日を過ごした。さて今日はどんなことを書こうかと思ったら書くこともないのに気付いた。ストーブの前で薪をくべながらひと昔まえの犬のことを思っていた。
 15年まえにここに来たときは何もすることがなく、何となく場違いな感じがして地元に打ち解けることもなかった。一軒家のまんまの孤立した暮らしだったが、一年も経つと少し周りを見る余裕も出てきた。そのとき和山の福一さんのところに毛の長い白い犬がいて雨が降ろうが雪が降ろうが玄関前で寝ていたのを思い出した。冬などは雪が犬の体温で沈んで布団のように雪を被っていた。何時も家に入れてあげればいいのにと思っていて一度おばさんに聞いてみた。「あの犬はとにかく外が好きで家に入らない」と言っていた。もっきりやへの道の脇にも白い犬がいてこれは臆病なのか何時も吠えていた。
 そう云えば初雄さんのところアカと武雄さんのポチは気が合うのかいつも一緒に歩き回っていた。繋がれてはいなかった。今のもっきりやが「川西荘」という名前で信一さんが民宿をしていた頃「シロ」という名の雌犬がいてこの犬に逢うためにアカとポチは仁成館に飼われていた「アカ」(大きな犬だった)の前を通るのだがこの大きなアカは何時も繋がれていて同じ雄だったせいで2匹でいるときはずい分といじめたという。アカが前から吠え立てポチが後ろから大きなアカの尻に噛み付いた。それからアカとポチは意気揚々と川を渡ってシロに逢いに行った。仁成館のお上さんがそれを見て武雄さんのところに電話を掛けてきた。「またお前とこの犬がふたりしてアカをいじめに来た。血を流してかわいそうだよう」と。本来、大きなアカは強くお客を案内して苗場山から湯沢まで言って帰ってくるような利口な犬だったから、ポチもアカも1匹の時は決して大きなアカの前を通ることはしなかった。そんな犬達もみんな死んで今では捨てられた犬かショップで売られる犬ばかりになった。写真は由信さんのところの気のいい犬だけれど年を取りすぎた。

2010/04/28(水) 看板は付けたし満月だし、下じゃ満開だし
 栄村では県の指導もあって山間部の浄化槽の補助をしてくれる。我が家はまだ浄化槽を使うようにはなっていない。トイレは形は洋式だが簡易式なので、最近のウォシュレットへの願望が日々募ってくる。先日まで考えていた屋根の自然落下式への工事は情報を集めたり、日照時間を計ったりしてからということで延期になったから、それではというのではないが補助があるならどれくらいで出来るのか見積もりを取ってみようと考えた。トイレは老人に向いつつある僕には大事なアイテムだ。ウォシュレットはまあー無理だけれども夢なのだから。思えばここに来た頃の便所は汚くて臭って嫌だった。あの頃から見れば、ずい分と進化したけれどトイレの進化に終点はないのだ。
 現状を見てもらって2.3の質問や方法を考えていたら昼になった。それからが今日は忙しかった。看板を取り付けてから津南に連休用の買い物に出た。僕がここでグズグズしているうちにサクラが見玉まで上ってきていて、津南では満開だった。これには驚いた。Mロードの開拓のサクラや仁成館前の山桜はまだ咲きそうも無いと思っていたせいか津南の満開のサクラにはハッとさせられた。きれいだった。久しぶりに暗い405号を切明まで帰って来ると満月が闇夜から浮かび上がってきた。いい気分だった。
 大赤沢から清水河原に下る東秋山林道は除雪が行われず通れません。

2010/04/27(火) 荒天にさくらも蝶も身を潜め
 昼から雨まじりの強い風が吹き出し、やがて雨は横殴りに降ってガラスを叩いた。嫌な天気だ。
 昨日車を家まで下ろした。道はまだぬかっている所もあるがこの風と雨で少し残った雪も消えるだろう。看板の取り付けもやらなければいけないがこの天気では致し方ない。
 仁成館前のサクラはつぼみをふくらましたままこの風に揺れていた。去年のサクラは今年よりも早かったから連休に満開だったけれど今年はここでも1週間遅れそうだ。そう云えばここのサクラは札幌の開花と同じだったと去年のことを思い出した。
 小赤沢まで荷物を送りに出て帰ってから土に埋めた素焼きの鉢を掘り起こした。ここには4っつの蛹を埋めたのだがそのうち2つは白いカビに覆われていた。残りの2つもカビっぽかったがカゴの中に移してみた。どうもカビは最近になって出たようでもう少し早く掘り出したほうがよかったのかもしれない。1週間ほど前に羽化したものとまだ蛹のままのものと蝶だって色々だ。昨日、空を飛んだ蝶がこの天気の中でうまく隠れていればいいのだがと気になった。
 名言
  あるときネ、相手が「追いかけられるのがいやだナァー」と思うときがあるの。
  そんなときあたくしは追いかけるのを止めるの。それが恋愛の武士道だナァ〜   宇野千代

2010/04/26(月) 苗場山や志賀への道は
 天気がいいのだ。今日ギフチョウを放さなければチャンスをなくす。天気の様子もあるので対岸に渡って放した。武雄さんの庭にはカツさんが丹精した花が咲いているし、近くにはウスバサイシンもある。昨日はひとつクシャクシャな葉も見つけた。大丈夫だ、ゼンゼン大丈夫だと3人で見守っているとひとつ飛び出した。そのまま近くの花に止まって蜜を吸いだした。するともうひとつも同じ飛行線をたどって同じ花に止まった。最後のひとつはなかなか出ないので指でつつくと真直ぐに飛び出した。ひとつ約束を果たしたように感じた。きれいな蝶で真っ黒の顔と目が印象的だった。掲示板に写真を載せた。
 それから苗場山に向う道の除雪が終わったらしいというのでタル山の滝を見に行った。寒いせいで雪が溶けないのか水量は少ないようだった。もちろん道から見ただけだがそこで帰ってきた。苗場山の3合目までは小赤沢共々道の雪は割ったということだ。だけれど今年の苗場は相当残雪があるという。山はまだ真冬と考えられたし。ということだろう。私は登らない。また志賀方面の除雪は終わったということらしいが飯山の建設事務所では責任があるのか例年6月まで通さない。この道は今でも6月以降でも危なさは同じなのだけれども、事業仕分けでもしなければ通れないだろう。山道の途中にある東屋風な見晴らしから烏帽子岳、その奥に裏岩菅、そしてなだらかなピーク岩菅山が見えた。長い道のりだが雪が消える7月には避難小屋に泊まって切明まで下るのはいい鍛錬になる。去年フランスの青年が6月に岩菅を越えて下りてきたことがあった。一人だった。
 名言
  弁慶と小町はばかだ なァ〜 かかあ〜   江戸地口

2010/04/25(日) 続 初雄さんの話し
 猟師だった初雄さんには、いつも身を守ってくれたり、猟の手伝いをする犬がいた。この犬は「アカ」という柴犬の雑種でなかなか頭のいい犬だったという。。アカの写真は探してもらっていてまだ出てこないが、初雄さんの犬の育て方には今のワンニャンカフェとは違った、本音で頑張らなくては死んでしまう時代の犬と人の付き合い方だと感じた。いろんな話しがあるのだろうが、先日聞いた話をひとつしてみよう。
 この辺りでは雪が降ると何日も雪のなかにこもって猟をした。何人もの猟師と協力してする熊猟やひとりで「りゅう」と呼ぶ岩のくぼみを丸太で覆って小屋を作ってする「小ケモノ打ち」という猟もあった。「小ケモノ打ち」なんかでは小さいケモノつまりテンやウサギ、ムササビやアナグマを獲った。こういった猟には犬は出しゃばるから連れて行かなかったがアカは初雄さんの言うことをよく聞いたという。アカは「待ってろ」というと初雄さんの後ろに下がって待った。弾を撃つと、とたんに飛び出して逃げるウサギまで捕まえたという。
 人は両手が使えるからいいが犬は手が使えない。そこで怖いところに来るとキャンキャン鳴いて付いて来れなくなる。そんなとき手を出すとそれが当たり前となる。初雄さんは知らんぷりしてどんどん進んで小屋に帰って来てしまう。夜になってアカはどこをどう通ったのか必ず帰ってきた。もちろん初雄さんは帰ってくるまで何回も外に出てアカを呼んだ。犬は飼い主の後を離れず、雪のなかを歩くときは飼い主のカンジキの穴に飛び込んで付いてくる。するとその後を歩く猟師は踏み跡が消えてしまって困ったという。
 今日は日差しあって蝶を出すと激しく動き回った。和山のサイシンはひとつ見つけた。写真はカツラの芽吹きである。

2010/04/24(土) 山鳥にタヌキにオオルリ
 朝から雪降りで、屋根が白くなりかけた。とたんに雨に変わって屋根から音たてて雨水が落ちる。時折晴れ間が広がって日が差すが直ぐに雪が舞い始めた。もう驚かない。今年は冷夏の年なのだろう。二宮尊徳なら差し詰め寒さに強い作物を作るのだろうが平成の領民は不味い野菜は食べないだろう。
 それならと若菜を摘みに出た。まだ雪の残る斜面にはフキノトウしかないけれど、どうも先に来た人がいるようで、足跡のある辺りには何も無かった。山のものは先手必勝だ。その代わり、足元から飛び立つ山鳥に驚いたり先の斜面を降りてくるタヌキを見たり、オオルリまで現認した。春になったのか分からない寒さが続いているけれど小鳥達は元気で雪が降ろうが雨になろうが追いかけっこを繰り返している。ミソサザイやホオジロあたりだろうと鳴き声を聞いていたのだが、今朝は確かにオオルリの鳴き声を聞いたように思っていた。昔オオルリが店で売られていた時代に兄とふたりしてオオルリを飼った。すり餌をやって小桶?に入れて鳴き声をよく聞いた。オオルリはコマドリ、ウグイスと共に日本三名鳥で東南アジアからの渡り鳥だ。飼っていたオオルリは虫をたらふく食べさせて家の中を散々飛び回らせてから春に野に帰した。生きるとは思わなかったが人に飼われて死ぬより一度でも大空を飛ばせたかった。若かったからだがあれはあれでよかった。ここのオオルリはもう何年も繰り返し来ている。彼も今年の寒さには驚いているのだろうがこんな年もあるさ。ギフチョウは3兄弟になった。
 名言
  だいじょうぶ、だいじょうぶ、ゼンゼン 大丈夫   大竹しのぶ

2010/04/23(金) 雪にキノコ?
 東京でも気温は10度ほどのようで、ここよりか寒いと感じているのだろう。もちろんここも寒くストーブをつけてるし真冬のように薪を放りこんでいる。そんな訳で布団に入っているのが一番の経済なのだがさすが10時になるまではそうしていられない。
 今日は松井がホームランを打ったので私も台所の掃除を始めた。何の関係もないが計画的に一日を過ごした方が健康的だからと始めただけだ。明日も台所を掃除して、他を箒で掃いてみよう。
 大江さんの「水死」はなかなか進まないので今日からひとり朗読を始めた。下手な朗読だが眺めているよりかいいだろう。それから二兎のギフチョウは駕籠の中でぶら下がったままで蜂蜜を吸っているようには見えない。覗くと羽根を広げるだけだ。他の蛹は羽化の兆しも無い。寒すぎる。
 4時に川を渡って湯をもらいに行った。露天風呂にゆっくり本でも持っていけば1時間は浸かっていられるほどの気持ちの良さだ。
旧仁成館前の山桜は赤いつぼみのままだが大きくなったように感じた。それでも開花は5月になってしまうだろうし山菜も遅れるのだろう。
 家の石垣の前の栃の切り株にキノコを見つけた。雪のなかにも傘が見える。きっと去年の根雪の頃のキノコでそのまま埋まったもののようだ。ナメコのようだが茎が長い。ナラタケにしてはスマートだ。ぬめりもあるし図鑑で調べている内に日が暮れた。
 名言
  10円あれば、仕事をやめて結婚できる。    向田邦子

2010/04/22(木) 一喜一憂
 昨日は疲れた。明け方に強い雨の音と強い風の揺れで目が覚めた。そのまま何となく眠れず、テレビを見ていたが頭のなかは昨日の作業の続きのことばかりだった。10時前に雨が止んだので早速始めた。レンチでグリースねじを外して暫くするとグリースが出てきてアジャスターが動いた。キャタピラーはセットできた。今度はグリースねじを抑えているU字型のパッキンがレンチの邪魔をする。雪の上に尻を付けてグリースを拭き拭きトライするが巧くいかない。ちょっと気が急いた。グリースねじの受けが動いて狭い所でレンチが入らない。バールで浮かせながらようやくねじを締めグリースをこれでもかと入れた。アジャスターが左右に広がってキャタピラが固定された。このキャタは磨耗が激しく無理が利かない。上手に付き合っての機械なのだ。重機を取り付け道路まで上げ、燃料を買って来て軽トラのドアを開けたとたん強烈な風でドアが持っていかれ少しゆがんでしまった。つまりドアが思いっきり閉めないと閉まらなくなった。貧すれば鈍するてっ訳だ。山は雨がみぞれになって顔に当るわ道に大きな石が落ちているわで急いで帰ってきた。それでもこの風で融けるだろう。ドアはそのうち余裕が出来たら取り替えよう。そんなとこだ。
 ここのところどうもイカン。どうも自分のことばかり考えているようなことで、たとえ凡夫のあさましさだとしてもイカン。
 名言
  己を忘れて 他を利するは 慈悲の極み   伝教大師最澄

2010/04/21(水) 勢い余ってキャタはずれ
 どうもうまくいかない。今日はまた大きな失態で困った。
 昨日の続きの作業を始めた。下手は下手なりにやってきたのだが斜面では雪にキャタピラーが滑って上手に排土板で雪を押せず、バックで作業するのだが路面を傷める。どうにか下まで来たのだが側溝にキャタを落として上がろう無理をしたのがいけなかった。キャタが外れた。鉄のキャタピラーは重く雪を噛んでいてスコップでようやく掘り起こし、どうにか機械の下まで移動したのだが今度は重くて動かせなかった。湯に来てもらってキャタを歯車に乗せたのだがアジャスターのオイルが、道具がないので緩まず、今日はやめた。明日特殊なレンチを借りて油圧のオイルを抜いて嵌めれば直りそうなのだがやってみなくては分からない。嫌になった。それでもこれで直ればミニバックならキャタを直すことは出来るということになる。もちろん非力の私ひとりでは厳しいか。
 考えた。一生重機なんか使わないで暮らしていたいと。殊にキャタピラーの付け替えなんかしないで死にたかったと。だけれどすべてには原因がありその注意を怠ればこういったことになる。暮らすとはこういったことなんだと。私の浅薄な脳みそではこれからもたくさんこんな場面に出くわすことだろう。その都度天を仰ぎ溜息をつくのだ。とにかく明日はどうにかしなくてはならん。だから脳みそは酒でも飲んで寝てしまえと言ってくれた。

4月絵日記の続き


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