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2010/03/18(木)
熊の胆について
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「銃を返して寂しくない?」と聞くと「もう少し出来たな」と武雄さんは笑うけれど、彼の狩猟の話の中には充分にやったという満足を私は見た。 中国の研修生が津南百ノ木の民宿「もりあおがえる」の中島さんに連れられて狩猟の話が聞きたいとやって来た。中島さんは面白い宿を続けていてなかなかお客さんの受けもいいという。いつも助けられているもっきりやとしては秋山郷の「マタギの歴史」を確認する為にも研修生を連れて出かけてみた。 昔の秋山はそれこそ雪でも降ればどこにも出られない陸の孤島になって病気になっても医者に掛かるのも大変だった。そこで昔から民間薬が伝統的にあって、人びとは家に伝わるその薬でほとんどの病に対処していた。今でこそ1時間も走れば病院もあるしよく利く薬をもらえるから使われなくなったがほとんどの家には昔ながらの民間薬が大事にしまわれている。まるで家宝のように持っているだけで安心するといった感じである。まず、貴重な薬としては熊の胆がある。文化文政の頃秋田マタギが山中、獲物を追いかけてやって来て、火縄銃を伝えここに住みつた。今は少なくなったが武雄さんが猟を始めた20歳のころには40〜50人ほどのマタギがいたという。彼らは三つ位の組に分かれて志賀、野反湖、赤湯まで命がけでクマを追った。クマは当時10〜15頭ほどとったという。毛皮、熊の胆、肉と利用価値が高く捨てるところがなかったという。とったクマの内臓は酒で煮て振舞われ山の神に感謝してはじめて獲物として分けられた。「この辺りのクマは山の薬草のオウレンやウド、といった自生する野草を食べていて、他のクマとは違っている」という。熊の胆は当時金と同じ値段で取引され町から業者が買いに来たという。 熊の胆は滋養強壮、高血圧、骨折、切傷、貧血、腹痛など何にでも効いたと物の本で読んだことだある。飲み方は米粒の半分ほどを水や白湯に溶いて服用したという。一週間位置いて飲むという。それほど効果は強いという。 (つづく)
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