来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2010年3月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

直接移動: 20138 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200811 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200711 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200611 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200411 10 月 

2010/03/31(水) 魚島
 昨夜は喉の痛みが鼻に上がって二度も起きてしまった。汗も掻いたのだが替えの下着もないから寝間着ひとつになって、ウイスキーでうがいしたり忙しい夜だった。朝もまだ喉や鼻が痛いし頭を振ると頭までおかしい。風邪が佳境に入ったようで、魚島行きさえ考えた。しかし今回は魚島が目的だし戦争中の兵隊さんを考えて船に乗った。ただ船は土生止まりだと独り我てんして、土生に着いても乗客は立たないので待っていると船はそのまま生名まで行ってしまう。こりや参ったと土生に戻る方法を船員に聞くと「いまフェリーが着いて、すぐ土生に戻るから」て教えられ、ホッとした。後で考えれば尾道からの船も、魚島行きの船も弓削を通るのだった。それなら帰りの船も弓削を中継点として考えるのが「失敗は成功の元」なのだが帰りも弓削で時間調べなんかをして、気がつくと尾道行きの船が出て行ってるではないか。参った。旅慣れた観光客を自任する私はすっかり悄げてしまうのだ。「何で一言聞けないのか」と自分を責めてみたって本当は「何でアナウンスがないのか」と他人をなじっているのだ。ここは観光客が来る所じゃなく地元の生活者の島だからこれでいいのだ。分からないことをちゃんと聞いてこそ生活者のお邪魔をしている旅行者の掟なのだから。
 そこを頭に入れてこの魚島のサクラを見に行ったらいい。タミコも見晴らしの良いサクラの下で遊んでいる。瀬戸内海はサクラは早いと考え勝ちだが、潮風が吹くせいか遅いと聞いた。またサクラは多くなく道沿いに植えられたサクラは長年掛けて住人が事あるごとに植えたもののようだ。その島民も300人を割って今では旅館も食堂も商店も無かった。

2010/03/30(火) いいとこ見つけた
 久し振りの鉄道で疲れたのか、昨日は喉が痛く今朝はうがいばかりだ。それでも今日の因美線の車窓からの眺めは関東、信越以北にはないように思う。車窓から見る家々の屋根が瓦だったり、それがそれがことのほかきれいだ。ことに智頭駅から津山間は昨日の雪が薄く積もり白黒の風景がきれいだった。こんな降りなら雪は贈り物なのにと感じつつ津山の町を歩くが時間が早いせいか店のシャッターが開かず通り過ぎるだけだった。津山は竹竿で有名で大昔、若い頃三本繋ぎの竹竿を津山で買って兄に預けたように思う。喜んだ兄の顔を忘れない。先調子の5mほどの思い出深い竿だったが、今の津山はずいぶん変って路地の中にしか昭和は残ってない。旅に出てそういった変化を寂しいとは思わない。ただどこの町だったのかと記憶に残らないだけだ。オレはいい時にちゃんと旅していたなーと嬉しかった。
 津山を出れば桜が待っている。

2010/03/29(月) 雪が降って、寒いだけじゃない
 十日町は雪で、北越急行線の気動車は誰も乗っていなかった。長いトンネルが多い線でたまたま雪だったせいかトンネルの合間に見る景色はよかった。富山も金沢も福井もガラーンとして新しくなった金沢駅前の地下街はだれもいなかった。車窓の景色はまだまだ冬で寂しげに汚れて見えた。それでも目をつぶってレールのリズムにゆだねていると、若かった時のなかに帰って行くように感じる。余計な車内アナウンスがなければいいのだけれど。
 福井駅に懐かしい国鉄時代のキハ58型の気動車が停車していた。越美北線に向う列車で勾配がキツイのだろう。キハ58はJRになってモーターを二倍にした車体がある。勾配区間は軽い車体の気動車では空転を繰り返すようでこの辺りでは只見線や米坂線に残っていたが今はどうか分からない。キハ47辺りの古い車体でなければ走れないというのは何故か溜飲が下がる。

2010/03/28(日) 不景気とみんなの工夫
 27日は風が無いのですが日差しは弱かった。御苑に繰り出す人たちもどこと無く元気が内容で私らは団子を食べて昔話で笑っていました。サクラに人出はつき物ですがあんまり人が多いと気が引けます。千住に向って喫茶もっきりやの仲間とお膳を囲むのですが、夜中に運転するのでビール位にして池袋の高速バスに乗り込みます。バスは4台も出てそのほとんどが満員で料金の安いバスを利用して生活防衛する庶民の大変さが見えます。3時間でバスは湯沢に着き5分走って湯沢の健康ランドという温泉付き仮眠所に入るのですが2200円の料金のせいか大広間は満員で3時前の時間では寝る場所を探すのに大変でした。客は関東圏のスキーヤーで1000円高速とここの利用で安くどう遊ぼうかと苦心が見えます。伊達巻戦争で苦労した私としてはここの雑魚寝は問題がありません。時々歯軋りや、いびきを眠さで打ち負かせば気がつけば朝です。お金は大切に使うものなのだと勉強させられました。
 朝に風呂に入っておにぎり買って秋山の地区総会に出て帰りましたが、ここでも一杯一杯と懇親会では酒になるのです。ビールだけにして万歳が終わってから帰りつきましたが、今は雪がどんどん降っているのです。それも積っているのです。明日瀬戸内海に向ってここを4時に出られるか震えてきました。

2010/03/27(土) 焼き鳥は西荻に限る
 ほんとは今日は28日で26日27日と昔の仲間と逢って来ました。悠長に日記なんか書いていたもので出発が送れ積雪の中を車を滑らしながら急いで湯沢に向いました。結局4分早く着いたからよかったものの何回も間にあわないと覚悟する始末でした。気が急く時に雪降りでこんなことをしていたら何時か死んじゃうなと思いながらの出発でした。東京も涼しくサクラも2分咲きといった感じで残念だったのですが、友人と逢って飲みながらつまんだ焼き鳥は田舎ではチョットと言った味でした。二軒目は今度は魚の美味しい店でそこから馬場に出てジャズバーでウィスキーを飲んだりして最後はやはりラーメンと餃子で飲むも飲んだりの夜でした。
 日が変わって翌日は少しお頭が重いのですが昼に遠くに帰る友を送って電気屋を見たり、せっかくだからともうひとりの友人を引っ張り出して御苑をサクラ見物して4丁目でソバを手繰ったりするのです。それでもまだお頭はすっきりしないのでした。
 千住は以前のもっきりやを営んだ場所で店と隣の法人ビルのあいだで出遭ったタミコの骨をまいてやりました。粉になったタミコの骨は風に吹かれてあっという間に消えました。

2010/03/26(金) 努力すれば逢える
 「やー元気だった。久しぶりだな。ジンバブエ以来かな、何か変わったことは…。そう、おふくろさんがネ。俺のところは伯母、母、兄とネ。あのときゃ参ったな。それでももう還暦って云うやつも過ぎてね。君だってもう直ぐ五十じゃないか?いやーすまん、そんなに若かったかい。でも四十七も五十も同じだよ。そっちは桜がきれいだろう。えっまだ東京のが早いって。だって山口だろ。どうなっちゃってんだろねこのところの気候は。それでも雪は今年は3Mといったとこかな。それもネ。一週間降って晴れてまた一週間降るって感じでね。3回雪下ろしをしただけだから少ない方だろう。2月になったら大雪はなかった。仕事は?昔どおりかい。リストラは?そう、年配者には…新人が入らない。それじゃひとりでふたり分働くようだ。やんなちゃうね。生きてるうちは世の中よくなりそうも無いしさ。エッ。そうなんだよ。タミコがね、俺のヒザの上でさ。人間と同じだよ。20年生きたようだからもう年には不足はないんだが、いいネコだったからさ、今でも寂しくてね。こんど瀬戸内海に骨の一部を散骨してこようと思っているんだ。これから行くところに少しづつね。エッそうなんだよ、仏陀のパゴダのようだな。それほどのネコでもないけれど。俺にはいいネコだったから。もんなことはいいとして今日は西荻の(えびす)で一杯やろう。割り勘だぜ。うそうそ。ここはまーまー」……
 名言
  幸福は一夜送れてやって来る      「女生徒」太宰治

2010/03/25(木) 今日も雪だった
 東京も寒いようだ。ここでは今日も雪降りだった。瀬戸内の桜だって、この週末に開花すると言っていた。どこでもこの寒さだ、みんなイライラしているのだろう。
 今日も一日時刻表で旅をしていた。ほくほく線で直江津から富山、金沢、敦賀、福知山から鳥取には21時24分に着く予定だ。そこで安いホテルを探すのだが今時はビジネスHの情報は取れても昔の駅前旅館の現状は分からなかった。しかもBHの方が料金は安い。これでは寅二郎が徳利を傾けて隣の泣き声を聞いて…といった旅は出来ないようだ。駅前旅館は大きな町には無くなって日に1.2本の急行の停まるような町にしか残っていないのだろう。そう云えば連れ込み旅館も風前の灯なのだろう。もっと行っておけばよかったが、あそこはひとりでは泊めてくれないのだ。どうしてだろう?
 鳥取から尾道へ向うのもゆっくりなんてしていたら何時になっても着きゃしない。山陰線で米子から伯備線と考えたのだがここも特急ばかりで鈍行は時間の無駄が多い。米子や中国山地では桜はまだまだだし、電化されているので止めにした。結局鳥取から因美線で津山。津山線で岡山に出れば瀬戸内を眺めて走れるはずだ。そこで考えた。ここでもBHに予約するかと言うことを。結局島に渡る船の時間を考えて予約をしてしまったがそれもしょうがないと思った。何せ西は詳しくないのだ。
 それにしてもJRの列車ダイヤは調べるのに苦労だ。もう少し考えればいいものだがつまらなくなった。ところで山陽本線に長距離列車は特急を含めて見当たらなかった。
 名言
  「いそいじゃ いかん」
        「秋日和」

2010/03/24(水) 魚島、魚島、魚島の桜
 一日寝ころんで旅を作っていた。
 昨夜布団のなかで考えていると28日の集落の常会が終われば4月5日まで予定がないし、桜はこの寒さでまだ持つだろうと思ったらスイッチが入った。魚島は30年ほど前に行ったことがあった。当時「旅」という雑誌が瀬戸内特集をやってい、職場に魚島出身の女性がいて「行ってごらん」と言われたりして響灘に浮ぶ魚島に向った。かっこつけてコートを着て尾道から船に乗ったことがある。鞆の浦も尾道も魚島も記憶に残る旅だった。それに今年の桜は瀬戸内、響灘の魚島の桜と決めた。海の青と空の青の間で散る桜は人生の思い出になると感じた。
 魚島は今は200人ほどの住人しかいないという。宿も飯屋もないという。船便は因島に4往復だという。ただ帰るまで4泊はかかるようで節約をしなければならない。これが嫌だ。とすると鳥取一泊、尾道一泊で島からの帰りは京都辺りで桜を見てこようかと少し混乱した。そこで目をつぶって寝ころんで中国、近畿の地図を思い浮べ、鉄道地図を重ねて考えているとだんだん旅が出来てきた。岡山か姫路で泊まれれば帰りは京都山科に桜を探すか雄琴温泉辺りを研究するかどうにか1日には帰ってこれるだろう。お金を下ろして旅にでも出よう。昔は鈍行でいくら旅しても疲れなかったが今回はどうかとちょっと面白い。5日のドックで何か悪い病気だと言われてもいい年だし頑張って旅をしてこよう。  (写真は去年5月2日の桜です)
 名言
  おれのお袋って この世に何しに生まれて来たんだろう。心配ばかりしていたな。
                                野村克也

2010/03/23(火) ここの桜は
 東京ではサクラが咲き出し、高知では満開だと伝えている。ここではそう1ヶ月も後にならないとサクラは咲かない。去年は5月連休のころ満開になった。ほとんどが山桜なのだがこの辺りのサクラは濃い紅色がきれいだ。人に聞くと紅大山桜だという。それでもうすい紅もあって個性的なのは植物も動物も同じようだ。残雪のなかで咲くサクラはちょっと劇的な感じもあるが今年はそうならないだろう。気温が上がって雪は4月には消えてしまうだろう。けれど山に残った雪がサクラを浮き立たせ人はホッと感動するのだ。今年は自分のサクラの木を探して名前を付けて肥料を上げよう。私は15年もすればお役御免になるけれど私が肥料を上げて育てたサクラがその後何十年も生きると言うのはいいアイデアだと思う。そのサクラは樹齢60年位で女で名前も決まっている。だけれどもサクラが咲くまで、これからのひと月は暖かさと残雪に苛立つひと月なのだ。ポトマック河畔にしても瀬戸内海にしてもさっさと行ったほうがずっと健康的なのだ。(写真は去年5月2日の中津川に掛かるサクラです)
 名言
  本気で辛抱してりゃ、自分の目には見えなくても、畳の目のように物事は進んでるんですよ
                         古今亭志ん生

2010/03/22(月) ポトマック河畔の桜を
 昨日の雪はそれでも15cmほどの積雪を残して行った。今年最期の積雪のように思えた。
 夜にボストンに住む友人と話した。ワシントンの桜は毎年4月1日を目途に咲くという。話していたらひとつ桜見物に行ってみようかと思い始めた。そうスイッチが入るとどんどん目の前にポトマック河が浮んできて、桜の下を歩いている自分が見える。ベビーカーを押す若い夫婦と擦違ったりジョキングの人とぶつかりそうになったり、いいなと思った。そうなったら友人に2012年の桜はアメリカにしようと約束していた。会うことが出来る人たちとは努力すれば会うことが出来るのだから、鬼が笑おうが蛇が出ようがその時まで生き延びなければならない目標が出来たわけだ。いい案だと思った。ひとりの友だちはエイプリルフールだろと言うし、もうひとりの友人はアメリカへは行かないといいやがった。それなら私一人でも行ってこよう。ついでにボストンレドッソックスと松井のいないヤンキースの試合を見てこよう。Bの帽子を被って。そう云えば松坂大輔をボストンのファンは期待をしていないと言っていた。勝って幾らのスポーツ選手は結果を残さなければファンは離れていくのだ。日本のスポーツ番組の身びいきは如何なものかと感じた。 
 津南に出て高速バス、湯沢池袋往復の切符を5400円だして買った。このバスは安くていいのだが結構混んでいて予約も直前では買えないことがある。また予約してから前日までに買わないといけない。面倒なのである。帰る途中 萌木の里で風呂に入って帰ってきた。いつもきれいに掃除されているここの風呂はいい。
 名言
  「小欲知足」(禅書)それがわかれば、今の地球上の諸問題は解決するんじゃないか。
                           立松和平

3月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.