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2010/03/31(水)
魚島
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昨夜は喉の痛みが鼻に上がって二度も起きてしまった。汗も掻いたのだが替えの下着もないから寝間着ひとつになって、ウイスキーでうがいしたり忙しい夜だった。朝もまだ喉や鼻が痛いし頭を振ると頭までおかしい。風邪が佳境に入ったようで、魚島行きさえ考えた。しかし今回は魚島が目的だし戦争中の兵隊さんを考えて船に乗った。ただ船は土生止まりだと独り我てんして、土生に着いても乗客は立たないので待っていると船はそのまま生名まで行ってしまう。こりや参ったと土生に戻る方法を船員に聞くと「いまフェリーが着いて、すぐ土生に戻るから」て教えられ、ホッとした。後で考えれば尾道からの船も、魚島行きの船も弓削を通るのだった。それなら帰りの船も弓削を中継点として考えるのが「失敗は成功の元」なのだが帰りも弓削で時間調べなんかをして、気がつくと尾道行きの船が出て行ってるではないか。参った。旅慣れた観光客を自任する私はすっかり悄げてしまうのだ。「何で一言聞けないのか」と自分を責めてみたって本当は「何でアナウンスがないのか」と他人をなじっているのだ。ここは観光客が来る所じゃなく地元の生活者の島だからこれでいいのだ。分からないことをちゃんと聞いてこそ生活者のお邪魔をしている旅行者の掟なのだから。 そこを頭に入れてこの魚島のサクラを見に行ったらいい。タミコも見晴らしの良いサクラの下で遊んでいる。瀬戸内海はサクラは早いと考え勝ちだが、潮風が吹くせいか遅いと聞いた。またサクラは多くなく道沿いに植えられたサクラは長年掛けて住人が事あるごとに植えたもののようだ。その島民も300人を割って今では旅館も食堂も商店も無かった。
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