来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2010/12/31(金) 大晦日
 この一年は長く感じる年でした。何といっても「タミコ」が死んでおもしろくもない日々でしたがどうにか「タミコ」の幻にも慣れてきました。このところズーッと後ろ向きで来たのですがそれはこれからの日々を無駄に過ごさないようにするための準備であったと思っております。昭和24年生まれの僕はこれで61回目の正月を過ごします。すると直ぐに兄の亡くなった62歳ということになります。生きとし生ける者はやがて死ぬのですがその時は恐れと絶望を感じてもいいからその日までは今まで残せなかったことに向って努力しようと思えるようになりつつあります。
 世の中はどうでもいいことがたくさんあります。そのなかで僕にしか出来ないことをやっていこうと思っております。まずは今のもっきりやのスタイルを堅持して諸国を旅する方たちに一夜を提供することです。来年も1泊2食3000円であります。さてその次に僕がやらなければならないことはこの地をどうやって愛するかということです。畑に花木を植えて山に返した小林ムツさんのように生きるか、ターシャ・テューダーのように自然を受け止めるか、僕なりにブラブラ考えて見ます。
 大晦日、久しぶりに年末から正月が続いています。
 皆さんに感謝。ご健闘を祈ります。
 名言
  最後の深い呼吸
           ロストロ・ホービッチ 歌劇「ドン・キ・ホーテ」より

2010/12/30(木) 今日は晦日
 明日はいざ知らず昨日の雪は小さくまとまって止んでくれた。マル福の旦那も湯の主人もほっとしていた。
 今日のTV講義は「ナオキ」。説明はやめるけれどジッと座り続けていた。こんな元全共闘が山形にいて世界を眺めながら暮らしている。僕と同世代だ。似たように暮らしているけれど深く感動するのだ。おかげで除雪作業が遅れてしまった。
 昨日から降り積ったのはせいぜい20cmといったところだ。よかった。安心した。もうけた。
 御普請組に用事が出来たので作業後に川を渡った。ただ行くのではない。道を作りながら、索道のカゴの除雪をしてまた道を作りながら対岸まで行くのだ。今度は車の雪を払いまわりを片付ける。ようやく車は動くことが出来る。
 きょうは晦日で2011年はあと1日になった。難しいTVのおかげで頭が混乱してしまったが、どうやら年を越えられそうだ。なんて云ったて都はるみが歌っていた。おかげですでに酔っ払って何のことだか分からなくなっている。
 名言
  試合が終わって相手をほめたたえられない奴は、すぐ敗れる。
                        WBCフェザー級世界チャンピオン 長谷川穂積

2010/12/29(水) 雪降るなかTV講義
 終日雪は降り続いている。昼に30cm。この分だと1mは積るかもしれない。この3日間の晴天は南風でもあったし、いやに呑気に過ごせた分悪い予感もあったのだ。ブツブツ言ってもしょうがないから家の周回の除雪をして、学生服でも引っ張り出してテレビ講義を受けている。この山間の地に居ながら世界の現状を見ていると、いつも「ううんー」と唸ってしまう。今や世界は小さな村のようになったと云えるのだろう。
 思えばこの20年ほどで世界は大きく変化した。西洋では通貨が新しく生まれた。国家が消滅して新しく多くの国家が生まれた。僕の子供の頃には思いもしない出来事だ。国にしても制度にしてもそれが長く続くということは幻想なのだと指し示している。だから今を見すえて未来に係われと画面のレポーターは示唆しているのだろう。海を越えた僕にはかかわりのないところでの出来事であったとしても、これらがこの国の経済や政治に与える影響は大きいのだ。こうして世界からのレポートを毎日見ていると気持の空回りや自分の無知を恥じるばかりなのだが、僕はそれでも世界のなかのひとりであるのだ。残りの時間を使ってもういっぺんしっかり考えなければならないということか。
 おかげで一日何も出来なかったけれどポコペンの大学の集中講義を聴いているよりかいいのだから。

2010/12/26(日) 青空だから、バンザイなのだ
 いい天気だった。もしかしたら1mと思っていたが今日の青空には嬉しかった。得をした。儲けた。悪いことばかりではないと云うことだ。
 だから窓を開け放して掃除をしよう。気分がよければ何でも出来る。まっ掃除は一週間に一回でいいけれど。洗濯も思ったがこれは次回ということにしよう。そんなに下着を替えることもないだろう。
 湯では除雪機の具合が悪いらしく業者が来ていた。業者の人が云うには十日町から山に登ってくるにしたがって雪が少なくなっているという。十日町では1mほどの積雪があるようだ。ここでは40cm。今年は今のところ里雪型の降り方ということになる。これから山雪型になるのかも分からないが僕はこのままが好きだ。因みに云うと街に1mの積雪があると除雪が間に合わなくなるという。それはそうだ。細かい道にまでも重機を投入するのだからしょうがない。その分ここでは大雪になれば1週間も閉じ込められることだってある。でもそれはここでは当たり前のことでみんな慣れたものだ。雪国の面白さは結局辛さと同じなのだ。
 有馬記念はルーラーシップ単勝1000円負けました。報告。
 名言
  もっとも楽しい思い出をつくってくれる季節は
  夏であり秋であり、冬であり春である
                          ウイリアム・ブラウン

2010/12/25(土) 積雪40cmメリークリスマス
 あんまり脅かされたので今朝はビクビクしながらカーテンから外を覗いた。雪は止んでいて積雪はヒザ下まであったかな。40cmといったところだ。ホッとした。BSアンテナに着雪。レベルが5ポイントで何にも映らない。
 家の外周の除雪を始める。やるほどではないが運動の為だ。屋根に上ってアンテナの掃除を考えたがまだ上れるような状況にはないのでやめた。僕は屋根の上が嫌いなのだ。怖いのだ。足が震えるのだ。だからやめた。
 一日家に居るのも結構大変でテレビ見るのも気合が入らないと苦痛が先にたつ。BSが見えなければ余計に退屈でスイッチを切って時代劇を読んでいた。これからはずーっとこんな感じになるのだろう。仕方ない。来年の庭園着工のプランでも考えようと思った。サクラマップだってあった。しっかりプランを立てて暮らさないといけないのに。
 また予報士がいうには明日にかけて1mの大雪だという。あんまり笑った顔で云うなよ。おどろくじゃーないか。でもここは50cmと僕はふんだ。
 名言
  目標があれば生きられる 目標がなければ生きられない
                          小野田寛郎

2010/12/24(金) ちょっと不安なイブ
 マイナスに下がることがない日がつづいていた。天気予報では明日から本格的な雪降りでクリスマス寒波だといった。昨夜は外に出てみても降るには降っているけれどまだ気温がそんなに下がっていず、川の上にはモヤが掛かっていた。それでも降るというのだから降るのだろうと思って寝てしまった。
 風呂を沸かして、洗濯して、ひとりで酒を飲んでも少しもうまいとは感じないのだけれど、徳利一本の酒をなめなめ1時間かけるこの頃の晩酌に慣れたのかどうも元気がなくなった。
 今朝はようやく積雪も20cmほどになっていよいよ秋山郷の冬になった。気温も−4℃から上がらずひたすらストーブに薪を投げ込んだ。今ごろ燃やす薪は軽い杉でこのような薪は30分も持たない。それでも使い切るには投げ続けるしかない。
 アンテナに雪が積もって映像が切れるのでDVDの「絵馬に得る婦人」を見た。はじめて見る「絵馬…婦人」があれから33年。どんなおばあさんになっているかと想像してみた。若い頃どうして見なかったのか分からないがあの頃に見てたら大変忙しいことだったろう。今となっては何をか謂わん也である。残念なことをした。
 さて、おでんを食べてキリストの誕生日をお酒を飲んで祝うか。
 名言
  自分は老人の初心者なのだ
                  立川談志

2010/12/21(火) 月に叢雲
 昨日の月はまん丸できれいなものだった。月にむら雲といった躍動を見ていた。気温はその夜から今夜までマイナスになることもなく雪はずい分と融けた。
 津南で友人宅のTVの設置をして帰ってくる。道に雪は和山までなく津南町などは湘南の海沿いの町のように空っ風が吹いているだけだった。雪がないというので友人達はシメシメとばかりに出来ない仕事をしているようである。その辺は僕と違うのだが、津南の人も眉をしかめるという秋山郷でウロチョロしている僕としてはそんなに勤勉である必要はない。降り始めると止まらない空を見ながら「冬の夢」を見ていたいと思っている。
 ひとしきり山を揺るがした強い風が止んだと思ったら今度は雨が降りだした。気温はなんと5℃。南風である。この分だと「冬の夢」を見るまでに年をとってしまいそうだ。
 町へ出るとお金が掛かっていけない。年寄りのクリスマスには熱燗があればいいが、正月はお雑煮だけでいいだろうと今年は山を下りないと決めた。もしかしたら下駄を履いてお正月を過ごせるかもしれないな。
 名言
  いくら鍋の中をかき回しても、いれたものしか出てこない。
                       イタリア 俚諺    三島のS氏より

2010/12/20(月) 厳しい自然を愛するためには
 今日は気温も4℃に上がり根雪と思われた雪もずいぶん弛んだようだ。今年の北極からの寒気の噴出しはヨーロッパに向っているようでロンドンでもパリでも大変だとニュースはつたえている。当地でも来週は雪降りのようだがこっちはいつでも来いと気合を入れて待っているのに降らないというのは気が抜けるものだ。きっとドカッと来るのだろう。待っていよう。
 今日はカレーを作って賀状なんかを書いて過ごしまして、ゴミ捨てに投函、お風呂を借りて来るのです。ビールを飲んだら途端に眠くなってひと眠りした。
 そう云えば昨日のTVでバーモントの絵本作家、ターシャ・テューダーには驚いた。92歳で亡くなった彼女の言葉にはこれからの僕のここでの残りの時間の使い方が示されていた。いつもこころここにあらずで暮らしてきた僕がいまいちばん気がかりなことは「どうしたら、ここでの自然の厳しさを愛せるようになるのだろうか」である。彼女は何にでも楽しさを見つけて日々をすごせた。同じようには出来ないが、東洋人の僕は僕なりの時間を待とう。それならまた小説を読もう。
 名言
  苦しいかどうかも ただ自分しだいだ
                      ターシャ・テューダー
 

2010/12/18(土) まぼろしの猫
 夜にふとんに入って本でも読んでいると家の中にはいろんな物音がしていることに気がつく。サササと天井を走る音やドタドタと天井裏で暴れまわる音、ストーブの薪がはぜる音に、池に水が落ちる音。山は静でそれらの音は始めての人にはあんまり気持のいいものではないはずだ。
 ここに来たころ天井からズズズッ、ズズズッと何かが這いずり回るような音に驚かされたことがあった。その時はここに来たばかりでネコのタミコがいたから無理にでもタミコの出す音だろうとこじつけてみたのだけれどタミコはそばにいて、どきっとし怖いとふるえたことがあった。翌日2階の廊下に大きな青大将を見つけて原因が分かってホッとしたものだ。無住になっていた家に住み着いてたヘビがねぐらを変えようとしていたのだろう。また大雨が外壁を叩いたときにはバタンと大きな音で飛び上がったこともあった。雨が止んで外に出ると土壁に塗られた漆喰が雨に打たれて落ちた音だと納得した。
 音というのは怖いものでその原因が分からない内はどうしても震えてしまうものだ。ただそれも長く暮らしているとすべて原因と結果があるもので自身の怖いと思う気持がやみくもに恐怖につながるようだ。「幽霊見たり、枯れ尾花」である。むしろひとりでこんな辺鄙なところに馴染めないでいる自分がここを出たいという気持につながって、後ろ向きな気持を正当化しようとするのだ。カメムシが大量に入り込んだり、羽虫が大発生したり、クマの足跡を見たり「とても住めない。早く逃げろ」と自分を突き動かす。昔読んだリルケの「マルテの手記」の現実版のように感じている。
 昨日はそのままウトウトと眠りに入ろうとしたとき、階段を上がってくる足音のようなはじめて聞く音でウッと目が覚めた。怖いのではない。何とも懐かしいやさしいddとあまえるような軽い響きが実にタミコの足音に良く似ていた。僕はそのまま寝返りをひとつ打ってまぼろしのタミコをふとんに入れてやった。

2010/12/16(木) アオゲラや戦闘機でなかなか賑やかだ
 朝にアオゲラの奴が定期便のようにやって来て柱を叩くので時計を見ると7時30分。彼等はタイムレコーダーに打刻して作業を始めるように決まってこの時間にやってくる。柱に穴が開いてどうも気分がよくない。銀球鉄砲を取り出してサッシをあけてビンと撃つ。アオゲラが「キィーッキィーッ」と飛んで栃の木の裏に逃げ込む。まるでゲームみたいなものだ。それから一日が始まる。おかげで昨日よりかずっと早く起きられた。
 気温は−3℃で雪は5cmほどだ。この分だと山の雪も少ないのだろう。いや、これからか。右岸の堰堤上の水路の橋を直そうということで鉄板を掘り起こし、溶接したり、切ったりしながらコンパネから鉄板の橋に架けかえた。勿論湯の指導の下だけれどこれで気にしていた箇所の不安はなくなった。湯のご主人にはおんぶに抱っこに肩車といったことで迷惑をかけたけれど二人してホッとして飲んだお茶は実に美味かった。
 戦闘機が今日は何回も低空で飛んだ。音速を超えているのか写真には撮れないが一回仁成館の上空を飛ぶF15を視認した。福一さんに聞いて見ると「どこかで戦争が始まったのだろう」ということだった。

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