来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2010/11/15(月) 帰ってみればこれだ
 東京の昼までは暖かかったがバスに乗って湯沢は氷雨だった。こりゃー山は雪かと心配した。案の定、雪が舞っていた。まだ道に積ることがなくホッとしたが、ひとつまたガンバラにゃ。

2010/11/13(土) 白石加代子の迫力は勉強だ
 歯医者さんからの帰り千住の路地でタミコと同じ毛色のヒマラヤンのネコを見た。タミコは千住の捨て猫である。だから僕は何時もタミコを探すのだがこの頃あの尾っぽの短いタミコ系のネコが見えない。
 こまつ座の劇を新宿サザンシアターに見に出かけた。先達てのドイツの女子高校生に日本の演劇をプレゼントした。今回は朗読劇と群読という形式でドイツの少女には面白くなかったかもしれない。彼女を電車に乗せてからひとりで路上ライブしている女の子と応援隊を見た。このほうが面白そうだった。しかし幕間に出て来た白石加代子の迫力あるトークと井上ひさしの真面目さだけがこころに残った。早稲田小劇場のあの白石加代子は他を寄せ付けない大きな女優になっていた。
 お多幸で一杯飲んでから帰った。今度は篠原演芸場か。

2010/11/12(金) この分ならどうにか…
 砂防ダム工事の立会いで午前中は仕事を休んだ。それからが大忙しである。
 まず、便槽の汲み取りに掛かる。それが終わって物干し場の単管を外し、沢に掛かる道の手すりを片付ける。それから灯油タンクの雪囲いをして仕事に出た。仕事は例によって木の葉の片付けで終わってから東京行きの準備に入る。今は洗濯機がカラカラ廻っている。水を少し出しっぱなしにして凍結予防に努める。
 そんな訳でこれから湯沢に出て前回と同じバスに乗って池袋に向うのだが幸い天気がよく暖かで得をした。この分では今月内はそんなに大雪にはならないと踏んでいる。どうにか間に合いそうである。冬が来る前にすべて終えることが出来そうだ。これが大切で少しいい気分でバスに乗れるだろう。バスは混んでいて単身赴任のお父さんが多く乗車している。今回は通路側の席だから呑気に本なんか読んでいられるはずだ。今度は何があるかな。行ってみよう。

2010/11/11(木) 津南では十二の木でクマが柿を食べている
 仲間の話では津南の十二の木という国道117号線沿いの集落ではクマが柿の木に登ってその実を食べているという。80歳になる人にはこんなことは初めてだと言われたと。
 津南新聞によると町ではすでに17頭を捕獲し人家近くでクマに襲われる人も出て来た。このところナラ枯れが進んで冬ごもり前に栄養になるドングリやブナの実がなく食料を求めて山を下りているという。来年はもっと厳しくなるようだとも書かれていた。僕はこの山奥にいるわけだけれどここではクマを見たことがない。もうすっかり山を下りたのだろうか。こんなことを考えているときっとクマに出会って驚くのではないだろうか。
 明日は仕事を終えてからまた東京に行かねばならない。冬の準備が残っているのでここにいなければならないのだけれど、致し方ない。因みに残っている作業は雪囲い。索道道の手すり外し、三角小屋の掃除整理、汲み取り、雪消し用のブルーシート池、索道のグリース塗り、看板取り外し、トイレの水切り、凍結防止の水の管理、水場の最終見回りなどだが出来れば軽トラの動く内に片付けたいものだ。まっ一気に1mも積ることはないだろうが気になって遠くの山をみると1800m辺りに今日も降雪があったのが望まれる。いやはや。

2010/11/10(水) ソバ刈りを終えて共に飲んだ
 午前中は暖かく何だか得をした気分だったが、午後からの寒さは応えた。仕事は無理をせず怪我をしないように続けるのだ。今日は奥志賀方面のガードロープの取り外しで中腰での作業の連続に腰が痛くて痛くて痛くて何十回も背伸びをしなければならなかった。
 高波さんが先日から二日間ですっかりソバ畑を刈り終えてやってきた。あの日は真っ暗のなかソバを刈ったようだがコンバインにソバが詰まって大変だったようだ。それでもいい出来のソバをたくさん収穫できたということだ。酒を飲む姿に嬉しさが溢れている。よく頑張ったと褒めた。
 勝手知ったる畑とはいえ真っ暗のなかでのひとり作業にはいろいろと不都合もあるのだろうけれど彼はいつもひとりでやり遂げる。そんな彼だから「花咲き村」の応援部隊も頑張ってくれるのだろう。いい関係である。
 名言
  人には分からないことを、ひとり見つけてたのしむ。それが私の遊びです。
                             熊谷守一

2010/11/09(火) 復活に向けて
 午後から一気に気温が下がって雪が舞った。風も強まってすっかり体が冷えてしまった。帰って風呂に入って熱燗でもと思うのだが昨日からの混乱で家中が汚れてしまっている。敷布と枕カバーを洗ってすべての部屋を掃きだして8時になってしまった。まだ夕飯前なのだがこれをやっつけて風呂に入ろうとしている。
 客人が入って家の中が汚れてしまっても掃除をすると復活するように感じている。これはいいことでゼロに戻して次の準備をすることは精神的にとてもいいことのようだ。
 今朝は11人の侍がおにぎりを作って帰って行ったが、NPOという組織が持続して世代交代をくり返せるようになるのは経済的の自立や手弁当であったとしても他では出来ない体験、経験を残すことが出来なければならないのだろう。個性豊かな侍を束ねて目的を同じくするようにするためには何といっても面白くなくてはならないのだし、その面白さを目一杯たのしむ屈託のなさが必要なのだろう。そう云えば映画「七人の侍」で最後に寛兵衛が「今度も負け戦だったな、勝ったのはあの百姓たちだ」というと田植え唄に合わせてはたらく百姓の嬉しそうな顔が出てくる場面があるがあれも戦国時代のNPOのような気持がして来た。人を助けることは七人が三人になってもやり遂げることのような気がして来た。

2010/11/08(月) 花咲き村NPO
 渋沢に遠征してから萱刈りの応援に来ているNPO「花咲き村」の方達に天然キノコ鍋を作っていた。風呂に入っていると応援を終えた元気な方がどんどんと入って来た。何といっても元気なのだ。
 萱刈りはこの辺りでもめっきり少なくなった萱屋根の萱をこの時期に刈り集め、来る萱屋根の葺き替えに備える大事な作業だ。昔は結いという仕組みで村人が助け合ったが今はそんな助け合いはなくなってしまった。だから萱屋根の家は必死で萱を集めるしかない。ただこの時期は僕もそうだが収穫の時期や冬の準備の頃でなかなか萱を集めるのが大変な作業となる。そんな時この「花咲き村」の面々は6年も毎年通って応援をしてくれている。75歳位の方から50代まで11人の補充部隊は薬やシップを張りながら手伝ってくれる。ありがたい存在だ。津南の高波さんが彼らの面倒を見ているのだがそれもまた大変で食事の準備や手打ちそばを作って彼らを支える。おまけに尺八で座を盛り上げて大活躍なのである。人を受け入れることは何といっても大忙しで彼は酒も飲まず夜の10時に明日の天気が気にいらないというのでそれから帰って1町歩のそば畑を電気をつけて刈るのだ。いい出来のそばで雪に埋めたくないという。彼の体の使い方にはとても追いつけないがそんな仕事の仕方に何ともいえない大きさを感じる、それを事も無げにやり遂げる彼の人間性には頭が下がりっぱなしだ。そうなれば僕ももっきりやの総力を上げて協力する。それでいいのだ。

2010/11/07(日) 14時のバスに乗る前に
 今日は一の酉だというので「かっこみ」の熊手を花園神社で買った。その前に小さいテレビをヨドバシで買った。京王デパートで粉茶も買った。冬にトイレの水を切るので携帯用のウオシュレットも買った。後は全部ガマンしたが都会は欲情をそそるように出来ている。昨日あった友人はテレビも使わず電気もほとんど使わないというが僕にはそんな真似は出来ない。僕は彼のような環境派にはなれず、人間の存在が環境には一番悪いのだからと云って逃げているだけだが、それには理由がある。大雪に閉じ込められるここではそれでは生きてゆけない。残りの旅もわずかになって我慢が出来なくなったというのも本当だけれど。
 そう云えば花園神社でお参りの行列についていた時前にいた老夫婦が階段でよろけたご主人に「ゆっくりね、来年も来れたらまた来ましょうね」と話していた。彼らの酉の市は毎年が最後の酉の市なのかとドキッとした。僕の桜も後10回とまだ余裕もあるけれど10回を使い切ってしまうとこのご夫婦のように一年一年を確かめて歩いていかなければならなくなるのだろうか。そのときどんな顔でひとりで杖を突いているのだろうか。僕にはまだ想像できない。
 靖国通りの北側にはたくさんの屋台がいろんなテキヤのお兄さんやお姉さんによって出されていたが、この辺りで見かけるイベントの店と違って歴史的な屋台だった。僕は寅さんを探したのだがそれらしいタンカ買の声は聞こえなかった。寅さんはやはりもう死んだようだ。

2010/11/06(土) 赤い糸は見つけられなかったが青い糸はたくさん見つけた
 上顎にドリルで穴を開けて高価なインプラントを埋め込む手術は慣れているといってもあんまり楽しいものではなかった。写真をアップしようと先生に頼んだのだがあんまりグロだったので今回はやめにした。僕の歯は母親の栄養の悪い時代の影響で長いこと痛みと不安にさいなまれていた。先生は延命を主張したが痛さに耐えられず僕は抜歯の方向で対応してきた。戦争後の食料状況の悪さが僕の歯に祟っている。僕はその意味で戦争犠牲者で反戦の側に立つのだがかっこいい戦闘機や軍艦は別の僕が興味を示している。それはいいが、その後6時に紀伊国屋で友人と待ち合わせをしていた時だがどこかで見たことのある人が立っている。偶然なのだが驚いて少し話をした。新聞記者の彼は視覚障害者の取材をしていると話した。それぞれ待ち合わせの人が来たので次回の約束をして別れた。
 僕は歯がどうもいかんと感じながらビールで先生の言った傷口を冷やせを実践しているうちに痛みが酔いに負けてよく食べてよく飲んだ。時間制の中国料理店を出て、もう少しと「千草」なる店に入るとなんとギフチョウの先生と彫刻家のO氏と出っくわした。何でか!と驚きながら不思議の青い糸がこんがらがったようになっている友人との絆を確認した。昨日までは山の上で枯葉を始末していた僕が今日新宿で3人の友人に偶然出会えるということは僕の運がまだ続きそうだと感じられた日だった。歯の痛さはとうに忘れていた。

2010/11/04(木) 昨日の晩も今晩もなんと星のきれいなことか
 稼ぎを終えて帰って来るとホッとするのだ。どうにか一日逃げおおせたと思う。自分の仕事は終わるまで電気をつけてでも終わらせなくてはならないが御普請組はそんな無理を言わないし昼にゆっくり体を休めることが出来る。この時期は稼ぎも自分の作業も大変で僕の指の先は血を流したままだ。生き抜くことはいつもこんなもので街で預金通帳をながめながらつく溜息とは違う。それでも今日は昼も屋内でどんなに嬉しかったことか。
 帰ってから台所の雪囲いの柱を懐中電気の明かりを頼りに立ながらこの春に仕舞った順番を間違えて頭をひねっていた。暗いなかの作業はいつも間違いが多くイラつくのだが、考えてみれば今年は伊達巻戦争に従軍するわけではないからあせらずゆっくりやればいいのだけれどここに来て15年間初雪の頃になると逃げるように出稼ぎに出ていた習い癖がなかなか消えないのだ。おまけに次とその次の土日の歯医者通いもあって何となく焦っている。というのもやることやってゆっくり呑気に朝を迎えたいだけなのだが。どうも怠け者故に、いや貧乏性だから昔からいい風を掴みきれない経験が僕を充分に飛び上がらせないようだ。
 今日は初霜が降りた。遠くの山の尾根筋は白く輝いていた。
 折角東京に出るのだから西荻辺りでふらふらしたいのだけれど仕事もあることだし今回は全部お預けだ。その代わり12月に入ったら西荻三昧だ。東京は楽しかろうに。雪も降りはしないに。

11月絵日記の続き


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