来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2010/11/30(火) 総て終了。
 とにかく暖かい日だった。遣り残した側溝の落ち葉拾いをやって総ての準備を終えた。来るなら来てみろの気分である。
 今日届いた自分用のTVを組み立てたのだがラックに入れるのが大変でラックを空にしてまた仕舞い込むまで半日掛かってしまった。夜の10時になってどうにか全部終えた。明日は何をしようかといい気分である。ゆっくり起きて掃除でもするか。洗濯もいい。何にもしないのもいい。映画を見るのもいい。本を読むのもいい。なにをしてもいいとなるとこれがなかなか大変なのだ。ないものねだりの暮らし方はこれからもズーッと続くのだろう。でもこれで予定していたことを済ませたのだからあとは今年の降り方だけが問題だ。
 昨日のネズミがトンネル型のネズミ捕りに掛かっていた。逃がすわけには行かない。またセットして二匹目を狙うか。
 これから夕飯を作って一杯やるか。

2010/11/29(月) 生きものの気配が濃いのだ
 去年の今ごろのことだけれどネコのタミコが砂場でフンをしようと頑張っているのだが一向に排便が出来なくなった。それからふた月してタミコは旅立ったのだがタミコがいた頃はネズミも出なかった。今は玄関でネズミが暴れまわっていたり、このPCの周りに出没するようになった。風呂場に出てきたり天井裏を走り回ったり。ネズミといっても小さい奴でこの辺では「ハツカネズミ」と呼んでいてピンポン玉くらいのものだろうか。目を見ているとなかなか可愛いのだが、目のまえをウロチョロされると僕も反撃に出ざるを得なくなる。追いかけて捕まえることは出来ないからバケツに水を張って米ぬかを浮かべておく。一度出稼ぎから帰ってみると7匹ほどのハツカネズミが掛かっていたことがあった。どうもこの歳になるとカメムシやカマドウマを除けばあんまり殺生が出来なくなってしまったのかそんな仕組みの罠も掛けたくないのだ。やはりタミコの存在をこんな時に思い出してしまう。僕がいくらニャーと啼いても一向に鳴りをひそめようとはしないネズ公にひとあわ吹かせてやるか。来週留守にする時にもまだ騒ぐようなら一つ軍事演習を行うようになるだろう。
 雄川閣の捨て丸は何か上目使いで僕を見る。捨て丸ではネズミへの対抗にはならんだろう。タミコの不在は大きい。

2010/11/28(日) 重機も去って
 右岸の堰堤道に砕石を敷いて今年の仕事は終了です。ご苦労さん。よく出来たね。と褒めてみた。
 居間の電気がスイッチを引いても切れない。そこで主任に余剰のペンダントライトを頂いて、どうしようもない故障に備えた。新品より中古のオンボロが僕には合っている。何でもいいのだ。そのくせ東京では無駄使いするのだけれど。
 さてダンプを返してマル福商店に寄って、元気な旦那の健啖を聞いてから切明温泉で一風呂つかってみた。このところ和山も切明も温泉の温度が低く感じられる。今時の人は熱い風呂に入らないから低めにしているのかとも思うが冬の寒さで体がガチガチに冷えた時の温泉はその字のごとく温かくなければいけないだろう。タオルを腰に当てて両足を閉じて小さくなってあっぁあっつとうめきながら入る冬の風呂は大人の快感であるだろう。河原から野天風呂の湯気が上がってここよりも河原の湯のほうが熱そうに感じられた。雨は時折みぞれに変わっていくのだが僕はそのままMロードを下ってもっきりやまで帰ってきた。
 雄川閣の捨て丸は冬用の小屋を作ってもらったと金正恩に似た支配人は言うのだけれど捨て丸は寂しいのだ。毛布を外にほっぽり出すのも家に入れてもらえない短毛の犬の僻みなのだ。「捨て丸今年の冬は寒いぞ」

2010/11/27(土) 今日もいい天気だ
 だからゆっくりに起きだしてボーっとしているしかないだろう。といえば呑気なのだが昼過ぎに索道のワイヤーのメンテナンスを行った。滑車の油を差して鋼鉄のワイヤーにグリースを塗りたくった。安全ベルトを締めてブラシにグリースを塗りながら対岸に渡った。本当はもっと暖かい頃にやるべきだったがこれはしょうがない。ついでに仁成館によると食事の最中でご相伴に預かって一杯ご馳走になって帰ってきた。いい気持になってそのままグーグーと寝てしまった。気がつくと日も暮れて静かなものだ。遣り残したといえば側溝の掃除であるがこれは雨でも出来る。もう一分張りだ。
 この時期にここにいるのははじめてのことで15年間ずい分貧乏をしてきたせいかやれタクシーだリフトだと稼ぎ仕事に追われていたせいか冬の準備を終えてのんびり小春日和を楽しんだことがなかった。僕もこれでいっぱしの地元民になったということだろう。以前冬になるとここを離れる僕を「あんたは雪のないところに行けるのだからいいね〜」と言われ続けていた。これからはズーッとここかと思うとそのときのおばちゃんの気持がよくわかる。でも雪のなかでの過ごし方や楽しみ方を分かり始めている今では町に出ることや、町の良さもつまらなさも分かるようになってどっちに転んでも大した違いがないということだけは感じられる。雪の時期は短いが人生はまだ長い。せいぜい残りの旅を楽しもう。

2010/11/24(水) ひどい目に遭っている
 朝はずい分いいようだったので仕事に出たのだけれど作業をしている内にまたどこかを捻って作業を終えるときには歩行困難になってしまった。こんなにひどいのは久しぶりでそのまま帰宅するしかなかった。仲間には申し訳ないのだけれど「いたい、ウッツ」といって突っ立っているわけには行かない。昨日は援軍氏と腰痛演技なんかをして笑っていたのがいけなかったのか。私の今回の腰痛は多分ぎっくり腰で変形した骨が神経に当るのだろう。今は風呂に入って暖めてシップとカイロを当てているのだがあしたはまず医者に行こう。直るものなら注射の一本も打ってもらおう。それしかない。
 昔、山小屋を作っていたころ、20代の前半だったけれど思い部材を構っていてぎっくり腰になってからずい分長い間苦しんだ。ここのところは腰よりもヒザがいけなくて腰は安定していたのだけれど残念である。どうも僕の病は歯の痛みであったり、ヒザや腰のそれで病人としては質は低級である。こんどは心臓だったりガンだったりするような立派な病人にならなければいけない。
 山は気持ちのいい景色できれいなのだが。ひとつ志ん生のように一杯引っ掛けて寝ようか。

2010/11/23(火) この雨は天佑?
 屋根を叩く雨は終日つづいておかげで一日何にもしないで過ごせた。これは腰にいい休養になったはずである。
 援軍氏を津南まで送って貼るカイロを買ってきた。軽トラを車庫に仕舞って仁成館で湯治の湯に暖まった。腰にシップを貼ってから帰ってきたのだけれど調子がいいように感じる。あしたは腰紐で患部をギュっと締めて仕事に出よう。今年の稼ぎ仕事もあとわずかになってここ一番頑張らねばなるまい。休むのは死んでからにしてもう少し頑張るか。
 雪にならないで雨のまま過ぎるのは暖かいからなのだろう。ボストンに住む友人からボストンは暖かいとメールが入った。ボストンに比べればここはまだ緯度も低いし暖かいの当然だが僕も暖かいと返事を返した。庶民は頑張って生きているのだけれど、どうもこの国の政治家たちは子供っぽい口争いばかりで情けないばかりだ。この国ばかりでなくアメリカもロシアもフランスもイギリス、ドイツも上手くないようだ。中国のおじさんたちだけが選挙もせずにひとり勝ちになるのでしょうか。それにしても世界は混迷を深めているのだけれど息つく暇なく今度は北朝鮮の軍部の独走だ。昔だったらこれで局地戦に発展するような事件でノモンハン事件や盧溝橋事件と比べても今回の砲撃はまずいのではないのでしょうか。
 名言
  大きくなったら世の中の為になることをするのですよ。
                       べネシアの叔母の言葉

2010/11/19(金) いろんなことがある。誰にだって。
 朝にひどい目に逢った。いつものように弁当を作って食事の準備をしていたのだけれど台所のマットに足を引っ掛けて飛び込むように倒れた。右足が前に伸びてガラス戸が目のまえに迫った。瞬間スローモーションのように戸が映った時には何が何だか分からなかった。ドウと倒れて立ち上がったのだが立つことは出来る。でも腰を打ったようだった。倒れてしまったのだからしょうがないが今日の仕事を如何にしようと悩んだ。とにかく仕事に出た。歩くことは問題なかったが中腰になるとピンと神経が痛んだ。仕事で山を歩きながら考えた。あれがそのままガラス戸に倒れこんでいたらずい分痛い思いをしたろうと。きっと死ぬ時はあんなものなのだろう。腰を打ってガラスで血まみれになってそれでビックリして気を失う。生意気なことを言っていてもいざとなったらドキドキして自分を失って泣くのだろう。何だかたくさんのトンネルを潜り抜けて行くようなものだ。
 山は頭上からパラパラと氷が落ちてくる。樹木についた霧氷が気温が上がってとける前に降ってくるのだ。小春日和の昼に着ぶくれとなって寝ていた。今年最後の山での昼寝となるだろう。
 まだ腰は痛いが折角の土日、休んで入られない。だましだましだ。

2010/11/18(木) 毎日雪が下りてくる
 雨が雪になったり止んでみたり、終日僕の周りにまとわりついた。寒かったがとにかく着膨れ王子?になっての作業だった。フキノトウが来春の芽を出しているのは分かるが気の早いものもあってすでに花を開いているものを見つけた。雪のなかから見つけたフキノトウを天ぷらにして食べるのはこの時期贅沢というものだろう。
 日があるうちに帰って来れたので家の周りの側溝の掃除と、この間使った薪の補充やら池の水を完璧に冬季用に戻したり、雪囲いを行った。ほんの少しの時間だけれど気が入っているのか効率よく作業が進む。雪は日増しに下に降りてきて冬は直ぐそこまで来ている。23日の休日まで何とか持ってくれればノーマルタイヤの軽トラでまず、土曜日にゴミを捨てに出て、看板を外して、小屋を片付け、シートで雪消し用の池を作れればいいのだが。そして軽トラを仕舞えればいいのだが。Mロードの側溝の掃除やこまごまとした仕事は今月内には降っても出来るだろう。そんなに焦ってはいけない。時間はあるのだから。家の周りにはサルの奴らが集まっていた。
 ところでもっきりやのメールアドレスが変りました。
E-mail:mokkiriya@miy.janis.or.jp
 以前のメールも使えるようにしてあるのですが使えません。どうしてでしょうか?
 名言
  沖縄は本土に復帰するのではない。本土が沖縄に復帰するのだ。
                            復帰当時、民俗学者の間で言われていた

2010/11/17(水) 山は霧氷に輝いてきれいだ
 霜がフロントガラスを覆っていた。見上げると山々が輝いている。霧氷に包まれている。きれいだと思いながら仕事に出た。11月も半分終わって寂しい限りだけれどたまにはこんなきれいな景色に包まれる。仕事が無ければきっとまだ惰眠をむさぼっているのだろう。仕事は僕を育ててくれる。
 暮れるのが早くなって帰って来るとすっかり闇になっている。今朝白菜を洗って切って干して出た。帰ってから白菜の漬物を作る。千住のもっきりやの頃から白菜漬けはよく作った。特におでんを日替わり弁当のおかずにする時は決まって白菜漬けを添えたものだ。東京からの帰り際に買ってきたおでんも作る。今ストーブの上でいい匂いを上げている。ついでに塩鱒を切ってあら塩に漬け直した。これで弁当も冬の食材も用意できたわけだ。勿論おでんは無くなるまで食べつくす。これで夕食の面倒な準備はしなくていい。毎日おでんでもメンチでもカレーでも僕は痛ようを感じない。つまりあんまり料理は好きではないようだ。だから千住の店もやめたのだけれど。生きてゆくことは面倒なものだ。それでもまだまだ続けなければならない。なるべく無駄を省いて時間を使わなければ何にも出来はしない。こんな風に病気になるまで暮らすのだ。
 名言
  本当に求めているものは自分自身の心の中にある。
                       べネシアさんの叔母が教えてくれたこと

2010/11/16(火) 雪道逍遥
 雪は山で10cmといった感じで、その上を渡る風の寒さに泣かされた。今年の水平道を閉めに出かけた。山の雪はまだ根雪ということではないが来年の5月までは危ない道となる。
 あんまり寒いのでストーブを燃やして暖まっている。この暖かさで先日の寿司が出てきたら僕は泣きながらむしゃぶりつくところだが今日は1個100円のメンチカツでガマンしよう。そしてゆっくり手足を伸ばそう。どうも東京なんぞに出てゆくと年甲斐もなく嬉しがって遊び過ぎてしまうし、預金を使い込んでしまう。それが面白い。そんでそういった時は一向に疲れないのだ。
 東京の家の近くには機動隊なる警察の部隊があって、僕はその裏門を通って帰るのだが折からのAPECなる国際会議が横浜で行われその警備に多くの警察官が動員されていた。その彼らが夜には「コンバンワ」とひとりづつ声を掛ける。僕は「配置が多すぎないか?」と聞くと「これでいいのです」と子供っぽい巡査が応えた。朝にはまたひとりひとりが「おはようございます」と声を掛ける。そこで僕は「山ではないのであるから代表して一人が声を掛ければいいのではないかい」すると5人の巡査は僕の目を見てニヤニヤ笑った」どうも東京はつまらないところに成り果てた。勉強していなければ行き場所もなくなりそうだ。

11月絵日記の続き


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